syuの日記・気まま旅

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六日町・八海山とロープウェイ

2014-12-03 | 気まま旅

「ほくほく線」
国鉄時代に「北越北線」という名称で工事が進められ、魚沼丘陵などを通り抜ける鉄道線。
予算の都合で工事が中止。計画も白紙に戻されたのでしたが、長年付近住民が開通を悲願し、開通させたいという線。
県や地元の商工会議所、地元銀行の共同出資による第三セクター鉄道会社である「北越急行株式会社」を設立。
北越急行が、北越北線の工事を引き継ぎ、国からの指示によって北越北線は高規格化し、新幹線の路線整備と、レールを在来線と同じ。
在来線ながら高速走行可能な路線を建設するなが高規格化。
高規格化の為に、非電化線とされる予定が、高架橋タイプの電化線され、新しく、高速鉄道が走行可能な線として建設された。
1998年に、「ほくほく線」として開業。JRは、このほくほく線を利用して、上越新幹線と北陸方面を繋ぐ高速特急を企画、「はくたか」が復活。
「はくたか」は、利用する鉄道会社、「JR東日本および西日本、北越急行の三社」。
三種類の車両が使われていると云う。「はくたか」が走るラインが、この三社のラインと云う。
その為、 越後湯沢→六日町(JR東日本・上越線)→犀潟(北越急行・ほくほく線)→直江津(JR東日本・信越本線)→富山・金沢(北陸本線・JR西日本)。

「ほくほく線」は、上越線(長岡・新潟方面)六日町駅から、別れている。

越後湯沢駅・ほくほく線            魚野川                 私の好きな八海山
    

魚野川は、県中央部を流れる「信濃川」の一支流である。群馬県境の谷川連峰北斜面に源を発し、北魚沼郡川口町で信濃川に合流する。
三國川・水無川・佐梨川・破間川等の支流が扇状地郡を形成している。
魚野川流域一帯が「魚沼コシヒカリ」の産地として全国的に知られている。三国街道は、江戸の向かい「長岡ー六日町」は、「上田船道」と呼ばれ
重要な交通路で、特に六日町は栄えたとお云う。(魚野川長さ68km・

魚野川に沿って、三國街道・国道17号線・関越自動車道・上越線・新幹線と混み合っている。

                   魚野川支流・上流の清水川
    

「JR・六日町駅」
駅は、県南魚沼市六日町の中心地に、JR東日本・北越急行の駅で、JR東日本の上越線と、北越急行のほくほく線が乗り入れている。
六日町駅でほくほく線は、直江津方面へ。
                   JR六日町駅(南魚沼)


「直江兼続」-上杉家の名家宰・米沢城主。樋口総右衛門の子。                 八海山
    

義・愛の精神を大事にと、駅前の「兼続通り商店街」
直江兼続公・上杉謙信・石田三成・真田幸村など5体の武将フィギアが点在している商店街。
商店街には戦国ブーム、プラスチックの等身大フィギュア、アニメ風・ゲーム風の容姿で点在。「関ヶ原の戦いで直江兼続は、西軍に」

南魚沼市で行われる最大級の商店街夏祭りの会場に。
神輿や、よさこい踊り、太極拳の披露、民謡「お六甚句」で千人以上が参加する民謡流しの「お六流し」、山形米沢からも参加で賑わいを見せる。

   上杉謙信               石田三成               真田幸村
    

「八海山」は、県南東部、池ノ峰ー五龍岳の鋸歯状の岩峰、駒ヶ岳・中ノ岳・八海山を越後三山を構成している。
中心、地蔵・不動・七曜・剣ヶ峰・白川・釈迦・五大・大日と呼ばれる八ッ峰が連続する。
越後野志には、「山中に八湖あり、故に八海山と云い、一説に八楷と云う、、、、」とある所から「八海山」と云われ、講中の信仰の山として知られる。

         浦佐から見た越後三山(八海山・中ノ岳・駒ヶ岳)と魚野川 


「八海山ロープウェイ・六日町八海山スキー場」
南魚沼市を一望 のもとに見渡せる。 空気の澄んだ日は、遥か日本海や 佐渡島が見える。
毎秒10秒の速度で、4合目まで一気に登る。多くの登山者は、ここを 利用して八ツ峰を目指して進むコースが人気。
周辺には、ベースキャンプやパターゴルフを楽しめる 屋外施設があり、そこから遊歩道を3分歩くと山麓駅に到着する。
四合目まで5~7分の所要時間、
(山頂駅から八海山頂上まで片道2時間半の所要時間で登ることができ、山頂駅は八海山山頂の西北西約3km、片道3時間と云う)

                    八海山ロープウェイ


山頂に八つの岩峰が,のこぎりの歯のように立ちならぶ姿の山。 山腹にも切り立った岩場が連なっており、修験修行に適した山容をしているため、修験道の代表的な山の一つに数えられている。
八海神社の冊子によると、「八海山は二百余本の鎖が設置された日本でいちばん険しい山」だという。(日本一というのは言い過ぎだが、険しい山)
八海山は、八つの険しい岩峰からなる八ッ峰の部分を指しており、この場合には、八ッ峰でいちばん高い大日岳(1710m)が八海山の山頂。

                    霊峰・八海山標高1778m


八海山と豪雪地帯、「八海山雪室」雪と日本酒。
1,000Tの雪を収容する雪中貯蔵庫で、最長5年をかけて日本酒を熟成させている。
雪室で貯蔵することにより、まろやかな味わいの日本酒が生まれると云う。
雪国の暮らしと食文化、魚沼ならではの出会い。

     八海山から2000m級の中ノ岳・荒沢岳・越後駒ヶ岳が


        六日町下界   10年振りの八海山(八海神社・会館の天ぷらそばを)


          大日岳、1720mー摩利支岳ー釈迦岳ー白河岳ー七曜岳ー不動岳ー地蔵岳、1707m。
                            日の池・月の池
                 ロープウェイ山頂付近


               八海山の冷水は、超軟水で旨い、夏でも7~8℃
 登山は、ロープウエイ山頂駅・女人堂・薬師岳・千本檜小屋・八つ峰・入道岳・千本檜小屋・ 山頂駅、、、、、。等いろいろコースがある。

                山頂見晴らし台から    巻機山(1960m)


               ロープウェイの料金往復10・11月¥2000.4~9月¥1800.
     81人乗りの大型・前長 2217m・山麓駅376m-山頂駅1147m(4合目付近)、日本海・佐渡島が見える時もあると云う。

              水無川流域は,古生代の変成岩から形成されている
   

           「八海神社」越後三山只見国定公園域


北麓大倉の坂本神社・西麓大崎の大崎神社・南麓山口の八海神社は、大日岳標高1720m「奥の院」の里宮。
    

八海神社は、開山1200年余の歴史のある山岳信仰の修験者の修行の場としされ、自然石を祠とし杉 を御神木として崇拝され、
延長440mの参道両側に続く杉並木が特徴。
毎年初夏の山開き 行事では、素足で火中を渡る火渡り祭が行なわれる。

                       参道・杉並木が続く
    

八海神社の創建など不詳。
八海山は古くから山岳信仰の盛んだった霊山で薬師岳や大日岳など薬師信仰と神仏混合している。
荒行も当時の修験者の修行の名残が感じられると云う。
境内には赤い滝と称する鉄分を含んでいると思われる滝とイザナギ(男神)、イザナミ(女神)と称する男根石と女陰石が祀られている。
一の鳥居から二の鳥居までの参道は、1836年に大干ばつが起こりその対策の一環として植林されたもので樹齢250年を越える杉並木が続く。

八海神社の冊子、1200年前に藤原鎌足(614-669)、藤原氏の祖。大化の改新の功労者によって開山されたとある。
山尊神社の看板によると、孝元天皇(紀元前三世紀頃)の第五皇子、彦大忍命が、山容を愛し国土平安を祈願したのが八海山信仰の始まりとされ、
山全体がご神体になっていると云う。
八海山信仰が一般に広まったのは、江戸時代中期、木曽の御嶽山の中興の祖の一人である普寛行者が、大崎村の泰賢行者とともに道を切り開き、御嶽山の兄弟の山として行場を開いてからとも云う。
御嶽山と同じように、霊神碑と呼ばれる薄型の石碑が、山中や麓に建っている。 霊神碑は功績のあった行者を霊神としてまつるもので、霊魂が山に帰って大神に仕えるということから碑を建てると云う。
                        田舎そばの昼食
    

               魚野川ー長谷川洋作詞(神奈川出身・音楽活動家)

       百銀の遠き山脈 雪解けの水をあつめて 今もなお 流れ変わらず 春を呼ぶ 魚野川

       蕗のとう 土堤に匂いて ねこやなぎ 岸に萌え出る 口笛を 空に鳴らせし 懐かしき 魚野川、、、、。

                        「魚野川」の碑


「魚野川」県魚沼地方を流れる一級河川、信濃川の支流。魚野川支流ー破間川-黒又川ー佐梨川ー水無川ー宇田沢川ー三国川ー澄川など。
六日町は、舟運で栄えた。
新潟県と群馬県の県境の谷川岳西麓一帯に源を発し、新潟県の魚沼地方を南から北へ向かって貫流。
長岡市東川口付近で信濃川と合流。かつては別名として上田川とも称した。上流部の湯沢・土樽駅付近でも比較的川幅が広い。

                      天日干の稲・三面川


次回は、坂戸城址方面の「雲洞庵」へ。

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