光長篠に向かう257号線中ほどに「鳳来三河三石」道の駅あり、家康が立ち寄ったという「満光寺」

武田軍に追われた徳川家康がこの寺に宿をとり、朝、ニワトリがいつもより早く鳴いたため、武田軍の朝駆けを免れたという逸話が伝わる。
昭和49(1974)年県の名勝に指定。
伝承によれば、元亀年間(1570~73)甲斐の武田信玄の軍勢に敗れた家康公の一隊が落ち延びてきて、一隊は夕方のことで疲れも激しく途方に暮れていた。
その時、満光寺が目にとまり、そこで住職に頼み、満光寺に仮泊させてもらうことに、事情を聴き、気の毒に思った住職が快く受けていてくれたので、
家康公は大変喜び、さらに住職に、「事情があって明朝は早立ちしたいので、一番鶏が鳴いたら必ず起こして頂きたい」 と、頼んで床に就いたという。
だが、その日に限って暗いうちに寺の鶏が鳴きだした。住職も不思議がったが、家康公と約束していたので、早速、家康公たちを起こした。
家康公たちは厚く住職にお礼を言って大急ぎで闇の中を出発して行った。間もなく、家康公討伐のために追いかけてきた武田勢の一隊が満光寺を包囲した。
しかし、その時には家康公の一隊は無事に安全な場所まで逃げていた。鶏のおかげで家康公は危機を脱することができたという。
のちに天下人となった家康公は、命を助けてくれた満光寺の鶏に 3石の扶持米を与えて恩に報いた。
さらにその後、家康公の孫である 3代将軍家光により寺領20石が満光寺に与えられ、以降、徳川家に庇護されることになる。

道の駅、満光寺で食事のつもりだったが、適当な店もなく長篠城跡近くで昼食にする事に。
151号線に入ると賑やかな通りに、和食堂、地元の方々が良く使われている感じ。
和食店入口 店の中に魚の剥製

こんなランチがあって楽しい。


武田軍に追われた徳川家康がこの寺に宿をとり、朝、ニワトリがいつもより早く鳴いたため、武田軍の朝駆けを免れたという逸話が伝わる。
昭和49(1974)年県の名勝に指定。
伝承によれば、元亀年間(1570~73)甲斐の武田信玄の軍勢に敗れた家康公の一隊が落ち延びてきて、一隊は夕方のことで疲れも激しく途方に暮れていた。
その時、満光寺が目にとまり、そこで住職に頼み、満光寺に仮泊させてもらうことに、事情を聴き、気の毒に思った住職が快く受けていてくれたので、
家康公は大変喜び、さらに住職に、「事情があって明朝は早立ちしたいので、一番鶏が鳴いたら必ず起こして頂きたい」 と、頼んで床に就いたという。
だが、その日に限って暗いうちに寺の鶏が鳴きだした。住職も不思議がったが、家康公と約束していたので、早速、家康公たちを起こした。
家康公たちは厚く住職にお礼を言って大急ぎで闇の中を出発して行った。間もなく、家康公討伐のために追いかけてきた武田勢の一隊が満光寺を包囲した。
しかし、その時には家康公の一隊は無事に安全な場所まで逃げていた。鶏のおかげで家康公は危機を脱することができたという。
のちに天下人となった家康公は、命を助けてくれた満光寺の鶏に 3石の扶持米を与えて恩に報いた。
さらにその後、家康公の孫である 3代将軍家光により寺領20石が満光寺に与えられ、以降、徳川家に庇護されることになる。


道の駅、満光寺で食事のつもりだったが、適当な店もなく長篠城跡近くで昼食にする事に。
151号線に入ると賑やかな通りに、和食堂、地元の方々が良く使われている感じ。
和食店入口 店の中に魚の剥製


こんなランチがあって楽しい。

