限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・19】『衣錦尚絅』

2010-01-31 11:50:21 | 日記
千利休は日本の茶道を完成した人だが、彼の考えた茶道の粋とは何かをあらわす有名な話がある。

ある本では息子とあり、またある本では弟子となっているが、ともかく千利休は家の者に庭掃除を命じた。その彼が、一生懸命に掃除をし、ちり一つ落ちていないようにした。それを見た千利休はそこで、近くの木をゆすって、わざと落ち葉を数枚散らした。これが千利休の考える最高の美だったのだ。

と、書くと、『確かに、こういった侘び・寂びの美感は日本人にしか分からないんだよな~』という声が聞こえてきそうである。しかし、この感覚は日本以外にも存在する。今回取り上げた『衣錦尚絅』は、錦をきて、絅(けい)をくわう、と読む。出典は、四書のひとつ中庸。意味は、はでな色彩の錦を着たら、その派手さをやわらげるように(悪其文之著也)、薄手の衣かショールを羽織るのがよい、という忠告なのだ。派手ずきの中国人も日本人のような美的センスを持っていたとは考えられまいか。

と、書いたが実は、この言葉は本来は着物に関する話ではなく、人徳に関する話である、というのが中国古来からの道学者が好んで用いるレトリックとしたものだ。なぜなら、この句のあとに続く句がそれを物がたっている。『君子之道,闇然而日章;小人之道,的然而日亡』意味は、君子のやり方は、一見ぼんやりとしているようであるが、日数が経つとその真価が誰にでも明らかになる。一方、ゲス(下種)のやり方は、一見、はきはきとしているようでも、日数が経つと誰も相手にしなくなる。

これは、これは、どこかの国の首相のことを既に二千年も前に予言しているではないか!



さて、絅(けい)というのは、薄手の衣であるが、インドでは蝶の羽のような薄い絹を織る技術がかつてはあったといわれている。そのような高度な織物技術をもっていたインドは、また綿織物でも安価で良質の肌着を作っていた。イギリスが19世紀に産業革命のおかげで綿織物が安価にかつ大量生産できるようになったが、それでもまだインド人が手工業で作っていたものに敵わなかった。そこで、イギリス人はそれら織機職人の手を切り落とし、インド人に、はた織りをできなくさせた、と言われている。それと共に、蝶の羽の織物も、そしてその匠の技も姿を消してしまったようだ。
コメント
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