東西交流というと、シルクロードと思い浮かべるが、当然のことながら、絹が運搬される以前からいろいろなものが東西を行き来していた。有名な話では、現在のアフガニスタンあたりの土着宗教であったミトラ教がインドを経て中国に伝播し、弥勒菩薩になりすました一方で、西方のローマに伝わり大流行したと、言われている。
さて、ここではそういった形而上の難しい話はさておき、形而下のたわいない話をしたい。
胡椒というのは、その名に胡がついているように、中国にとっては外国産の植物である。インドが原産らしい。その胡椒を酒につけた胡椒酒というものがあり、 2000年前のローマにその製法が載っている。
ローマの博物学者、プリニウス(Pliny)の『博物誌』 Vol.14, Seciton 108 を見てみることにしよう。
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この節に、胡椒酒(piperatum)の作り方が詳しく書かれている。一種のハッカぶどう酒と言えよう。要は、胡椒そのままだと辛いので蜂蜜を添加するのがミソらしい。
... apud alios nardi etiam et malobathri selibris in musti congios duos additis, qualia nunc quoque fiunt pipere et melle addito, quae alii condita, alii piperata appellant.
【英訳】Other persons, again, put half a pound of nard and malobathrum to two congii of must; and it is in this manner that at the present day, with the addition of pepper and honey, the wines are made by some known as confection wines, and by others as peppered wines.
出典:Pliny the Elder, The Natural History (eds. John Bostock, M.D., F.R.S., H.T. Riley, Esq., B.A.)
http://old.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?lookup=Plin.+Nat.+toc
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ちなみに同じくプリニウスに拠ると(Vol.12, Seciton 29)胡椒やショウガはローマでは大変高価であった、という。インドでは自生しているのに、ローマに来る頃には金や銀と同じ値段になっているという。
さて、この胡椒酒がどういう経路かは分からないが、はるばる中国に伝わっている。晋の張華が書いた『博物誌』に、胡椒酒のつくりかたが次のように記されている。(ただし、出典は『斉民要術』)
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大意は、『胡椒と乾燥させた薑(しょうが)をすり潰して粉にし、それに石榴のジュースをまぜて、酒につける。熱燗にしてもよし、冷酒もよし。二日酔いや、体調不良の時には、これを飲めばすっきりする。胡椒やしょうがの量は好みに応じて随意に調整すればよい』とのこと。
以好春酒五升;乾薑一両,胡椒七十枚,皆擣末;好美安石榴五枚,押取汁。皆以薑、椒末,及安石榴汁,悉内著酒中,火暖取温。亦可冷飲,亦可熱飲之。温中下気。若病酒,苦覚体中不調,飲之,能者四五升,不能者可二三升従意。若欲薑、椒亦可;若嫌多,欲減亦可。欲多作者,当以此為率。若飲不尽,可停数日。此胡人所謂『畢撥酒』也。(畢撥酒の畢は本当は草がんむり)
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胡椒はその後日本にも舶来された。大日本史によると、平安末期の後三条天皇は青魚に胡椒をいっぱいふりかけて召し上がるのが大好きだったとか。当時胡椒は大変高価だったはずだ。というのは、ずっと後のことであるが、ザビエルが日本に行く宣教師に『布教の資金を稼ぐためには、胡椒をもっていけば日本では高く売れる』と知恵づけしていたことがザビエルの書簡集に載っていることからも分かる。
おせち料理に食べ飽きたら、はるか昔の東西交流に思いを馳せながら、胡椒でも振りかけて、一風変わった和風料理を試すのもいかがかな?
さて、ここではそういった形而上の難しい話はさておき、形而下のたわいない話をしたい。
胡椒というのは、その名に胡がついているように、中国にとっては外国産の植物である。インドが原産らしい。その胡椒を酒につけた胡椒酒というものがあり、 2000年前のローマにその製法が載っている。
ローマの博物学者、プリニウス(Pliny)の『博物誌』 Vol.14, Seciton 108 を見てみることにしよう。
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この節に、胡椒酒(piperatum)の作り方が詳しく書かれている。一種のハッカぶどう酒と言えよう。要は、胡椒そのままだと辛いので蜂蜜を添加するのがミソらしい。
... apud alios nardi etiam et malobathri selibris in musti congios duos additis, qualia nunc quoque fiunt pipere et melle addito, quae alii condita, alii piperata appellant.
【英訳】Other persons, again, put half a pound of nard and malobathrum to two congii of must; and it is in this manner that at the present day, with the addition of pepper and honey, the wines are made by some known as confection wines, and by others as peppered wines.
出典:Pliny the Elder, The Natural History (eds. John Bostock, M.D., F.R.S., H.T. Riley, Esq., B.A.)
http://old.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?lookup=Plin.+Nat.+toc
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ちなみに同じくプリニウスに拠ると(Vol.12, Seciton 29)胡椒やショウガはローマでは大変高価であった、という。インドでは自生しているのに、ローマに来る頃には金や銀と同じ値段になっているという。
さて、この胡椒酒がどういう経路かは分からないが、はるばる中国に伝わっている。晋の張華が書いた『博物誌』に、胡椒酒のつくりかたが次のように記されている。(ただし、出典は『斉民要術』)
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大意は、『胡椒と乾燥させた薑(しょうが)をすり潰して粉にし、それに石榴のジュースをまぜて、酒につける。熱燗にしてもよし、冷酒もよし。二日酔いや、体調不良の時には、これを飲めばすっきりする。胡椒やしょうがの量は好みに応じて随意に調整すればよい』とのこと。
以好春酒五升;乾薑一両,胡椒七十枚,皆擣末;好美安石榴五枚,押取汁。皆以薑、椒末,及安石榴汁,悉内著酒中,火暖取温。亦可冷飲,亦可熱飲之。温中下気。若病酒,苦覚体中不調,飲之,能者四五升,不能者可二三升従意。若欲薑、椒亦可;若嫌多,欲減亦可。欲多作者,当以此為率。若飲不尽,可停数日。此胡人所謂『畢撥酒』也。(畢撥酒の畢は本当は草がんむり)
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胡椒はその後日本にも舶来された。大日本史によると、平安末期の後三条天皇は青魚に胡椒をいっぱいふりかけて召し上がるのが大好きだったとか。当時胡椒は大変高価だったはずだ。というのは、ずっと後のことであるが、ザビエルが日本に行く宣教師に『布教の資金を稼ぐためには、胡椒をもっていけば日本では高く売れる』と知恵づけしていたことがザビエルの書簡集に載っていることからも分かる。
おせち料理に食べ飽きたら、はるか昔の東西交流に思いを馳せながら、胡椒でも振りかけて、一風変わった和風料理を試すのもいかがかな?