限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

『ベンチャー魂の系譜(10)』

2010-01-09 07:00:50 | 日記
【ベンチャー魂の系譜 10.昭和のベンチャー】

今回は、昭和に活躍したベンチャー精神溢れる人たちをテーマに議論した。私が挙げた、本項の対象者たちは、以下の通り。
小林一三
鳥井信治郎
竹鶴政孝
石橋正二郎
野村信之助(二代目徳七)
山岡孫吉
本田宗一郎
藤沢武夫
井深大
盛田昭夫
市村清
和田一夫
安藤百福

この中から、今回のパネリスト達は次の5人について調べてきた。
1.安藤百福
2.本田宗一郎
3.石橋正二郎
4.小林一三
5.竹鶴政孝

こられ5人の人生を見ると、挫折をバネにして伸びた人も多くいる。例えば、チキンラーメンの安藤氏やニッカの竹鶴氏のように、逆境においても妥協せず自分の目指すものを追い求めた人の生き様には励まされる。

今回も、いつもと同様、活発なQ&Aがあったが、その様子は下記の記述からは残念ながら、想像しにくいかもしれない。



 *************************

モデレーター:セネカ3世(SA)
パネラー: ゑとせとら、 ソフィ

1.安藤百福
*日清の創業者。 チキンラーメンやカップめんを作ったことで有名。戦前は機械業や繊維業の分野の会社を経営していたが、戦時中に機械が空襲で燃え、また食の大切さを実感し戦後は食品業界へ参入した。
*冬にラーメンを食べるために行列を作る人々を見て即席のラーメンを作ろうと考えた。 

Q.なぜうどんやそばでなくラーメンなのか?
A.聴衆の学生 -- ラーメンのほうが作るのに手間がかからない、乾燥させるのが楽、そのままで食べられるなど。またカップめんを作る際は麺を乾燥させるのに苦労したり、カップの形を決める際の逸話が残っていたりする。それによるとアメリカで安藤は人々がカップにラーメンを入れて食べているのを見てドンブリがない国でも即席ラーメンが食べれるよう容器をカップの形にしたらしい。 

2.本田宗一郎
*ホンダの創業者。静岡出身で浜松に工場を建設。
*この地方は伝統的に刀鍛冶がいた。室町時代末から、優れた金属加工技術が、鉄砲や時計を作る技術へと転用され、ついにはからくり人形を作るような機械業の伝統となった。
*ホンダもトヨタもその流れの中から登場した。

3.石橋正二郎
*ブリヂストンの創業者。福岡ではじめ足袋を作っておりそこからゴムを使った地下足袋を作り始め戦時中の需要の高まりに後押しされタイヤの作成に本腰を入れた。
*国際的にシェアを拡大するためファイアストンを買収するも、経営難で一時赤字が膨らむがそれでも資金を投じ続け2005年にはシェアが世界第一位となった。結局大博打を打ってそれに勝ったこととなる。

4.小林一三
*阪急グループの創始者。非常にアイデアあふれる人物だった。
*本来小説家志望で三井銀行に勤めるも文学に傾倒しまじめに働かなかった。このため関西で証券会社を作る仕事に回されるが恐慌で計画がとん挫し、その後つてを頼って関西に在住するゆおうになり、現在の阪急電鉄の前身の会社に入社し、鉄道事業に手を染めるようになる。
*いろいろな人に好かれる人物であったようで三井財閥のトップともつながりがあった。
*持ち家率が少ない戦前において住宅ローンを考え出し、阪急電鉄の線路沿いに人が住むようにしてその結果相乗効果で阪急電鉄の乗客を増やそうとした。住宅販売以外にもデパートや宝塚歌劇団を経営したりするなど、鉄道事業以外の広い分野で活躍。

5.竹鶴政孝
*ニッカの創業者。ウイスキー作り一筋の人物。
*戦前、洋酒が日本酒に比べて生産量が非常に少なかったころにウイスキーづくりを志しスコットランドのグラスゴーへ渡り、2,3年滞在する。現地でスコットランド婦人と結婚をする。
*彼がワインではなくウイスキーを作ろうとしたのは日本でブドウ作りが難しく、またふさわしい酵母菌がいないためだと思われる。
*日本に帰国したのちサントリーで初の国産ウイスキーを作るが、サントリーはウイスキーを作ることに本腰を入れていないのに嫌気がさし、独立。スコットランドと同じく北にある北海道の余市にスコットランドと同じレンガの工場を建設した。
*ウイスキー事業が軌道に乗るまでは大日本果汁という会社を作ってジュースを売って、急場をしのいでいた。
コメント
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