限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第32回目)『伊藤博文の下半身の不行跡』

2010-01-08 00:20:22 | 日記
森銑三という人がいる。世間的にはあまり知られていないかもしれないが、大変な篤学かつ博学の士である。人物描写に優れて、こくのある人物評をたくさん書きのこした。岩波文庫の『おらんだ正月』などは手ごろな読み物であるが、流石に考証はしっかりとしている。また、歴史上の人物(江戸時代から大正時代)の逸話を集めた辞典をいくつか編纂している。
『人物逸話辞典』、『明治人物逸話辞典』、『大正人物逸話辞典』

出版は東京堂出版といい、神田神保町のすずらん通りにある渋い本屋である。私も東京に住んでいる時は、よく立ち寄っていたが、隣の三省堂と比べると常に閑散としていた。しかし、並べられている本の選択眼には全く脱帽した。さすがプロと思わせる品揃えで、他の店ではお目にかかれない、一読の価値ある本が取り揃えられていた。

さて、この明治人物逸話辞典を開いてみると、明治の元勲達がお互いに所謂プラクティカルジョークを愉しんでいたありさまが髣髴とする記事がいたるところにちりばめられている。また、初代総理大臣の伊藤博文の項では、京都の御茶屋での彼の性豪ぶりとそれに反比例した吝嗇ぶりが、女将の愚痴を通してコミカルなタッチで描かれている。



ところで、伊藤博文は日韓併合後、初代統監に就任したため、日韓併合の首謀者の如く誤解されて暗殺されたので、韓国ではいまだに彼を憎んでいる人が多いのは残念だ。

さて、私は、わが国の歴々たる総理大臣の行跡を道学者流に非難する意図はさらさらない。逆に、彼の下半身の不行跡と彼の業績は全く別個に評価すべきである、ということを強調したい。つまり、彼が公職における能力で世間に多大な寄与をしているのであれば、些細な私事をあげつらって、その公人の功績を否定する必要性を感じない。この点で私は、現在の日本では何ものにも増して小市民的な廉潔さが尊ばれるが、万人が普遍的に潔癖であるべきという風潮には組しない。

ところで、孔子の九代目の子孫に孔鮒という人がいる。その著書といわれる、『孔叢子』には次のような話が載っている。

孔子の弟子の子思が衛に居た。衛の王に、苟変は能力のある将軍なので、採用したらと勧めた。衛王は、わしも彼の才能は知っているが、かつて役人の時、民家から卵を二個くすねたことがあるので、失格だ、と言った。子思は、王様、それは考え違いをしているとたしなめた。名工は材木に多少の瑕疵(きず)があっても使えないところを削って、使える所は使うものだ。ましてや今は戦乱の時代ではないか、規則に縛られてびくびくしている役人ばかり選んで、卵二個のために有能な将軍を捨ててしまうなんて、隣国に知れたら苟変をかっさらわれてしまいますぜ。衛王は、反省して、仰せの通りにしようと言った。

子思居衛、言苟變於衛君、曰其材可將五百乘、君任軍旅、率得此人則無敵於天下矣、衛君曰吾知其材可將、然變也嘗爲吏、賦於民而食人二鷄子、以故弗用也、子思曰夫聖人之官人・猶大匠之用木也・取其所長棄其所短・故杞梓連抱・而有數尺之朽・良工不棄・何也・知其所妨者細也・卒成不訾之器・今君處戰國之世・選爪牙之士・而以二卵棄干城之將・此不可使聞於鄰國者也・衛君再拜・曰謹受教矣。
(居衛第七)

伊藤博文の話に戻ると、明治天皇が伊藤を初めとした元勲の使い方は、まさにここに見る『猶大匠之用木也』(猶ほ、大匠の木を用いるがごときなり)を地で行っていたように私には思える。まさに明治帝は将に将たるの器であった。平成の現在、このような鮮やかな人の使い方をできる将はなかなか見当たらない。
コメント
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