限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第23回目)『馬糞汁を飲み、籠城に耐える』

2010-01-04 12:04:05 | 日記
班超が西域で匈奴を叩いて活躍していたころ、別の地方では漢の軍が逆に匈奴に包囲され大苦戦を強いられていた。

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資治通鑑(中華書局):巻45・漢紀37(P.1467)

耿恭は疏勒城には湧き水があるので、ここに陣地を構え、兵を率いれた。馬肥える秋になって、匈奴が再び来攻した。湧き水の所を占拠したので城に水が来なくなった。城の中で井戸を掘ること30メーターでも水がでなかった。兵士達は喉が渇ききったので、馬糞を絞って飲んだ。将軍の耿恭みずからもっこを担いで井戸掘りに協力した。ようやく水が出て皆万歳をさけんだ。水脈を得たことを包囲している匈奴に示したので、匈奴はあきらめて去った。

耿恭以疏勒城傍有澗水可固,引兵據之。秋,七月,匈奴復來攻,擁絶澗水;恭於城中穿井十五丈,不得水,吏士渇乏,至搾馬糞汁而飲之。恭身自率士挽篭,有頃,水泉奔出,衆皆稱萬歳。乃令吏士揚水以示虜,虜出不意,以爲神明,遂引去。

耿恭、疏勒城の傍に澗水あるをもって、固めるべしとし、兵を引きてこれに拠る。秋、七月、匈奴、また来攻し、澗水を擁絶す。恭、城中において井を穿つこと十五丈、水を得ず。吏士、渇乏し、馬糞の汁を搾りこれを飲むにいたる。恭、身をもって自ら士を率いて篭をひく。頃ありて、水泉、奔出す。衆、みな万歳を称す。乃ち、吏士をして水を揚げてもって虜に示さしむ。虜、出ずるをおもわず、もって神明となし、ついに引き去る。
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写真出典: http://www.lightstalkers.org/images/show/506655

飲み水がなくなったので、馬糞を絞って飲んだというのだ。たしかに中国人にとってはショッキングなことであったので、記録されたのだろうが、アフリカのスーダンのNUBAという部族では牛の小便で手や顔を洗うのが習慣だそうだ。

一方、中東に目を向けると、籠城で食料がなくなった悲劇は旧約聖書にも見ることができる。

列王紀、第6章25節には、サマリヤがベネハダデ王に包囲されたので、サマリヤに激しい飢饉が起こった。そしてとうとう『鳩のふん一カブの四分の一が銀五シケルで売られるようになった』とある。つまり、鳩の糞が塩代わりに使われたのだ。

As the siege continued, famine in Samaria became so great that a donkey's head was sold for eighty shekels of silver, and one fourth of a kab of dove's dung for five shekels of silver. (New Revised Standard Version)

故国から遠く離れた西域で籠城を続ける耿恭の軍の危機は、これで去った訳ではなかった。。。
コメント
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