限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第34回目)『人類知の総和の探訪』

2010-01-03 00:09:48 | 日記
明治期の文人といえば夏目漱石や森鴎外の名が常に挙がり、あたかも彼らが当時の知識人の代表のように考える人が多い。私も中学・高校あたりまでは、こういった刷り込みに支配されていた。しかし、大学生になり、多少自分で意識的に渉猟してみると、全く違った光景が見えてきた。

まず英語では、漱石より凄い斎藤秀三郎という英語の達人がいたし、支那学や漢学では、京都帝国大学・文学部教授であった内藤湖南、狩野直喜、桑原隲蔵という大碩学がいた。
(注:『支那学』の呼称は、当時の用語をそのまま引用しただけで中国を蔑視する意図はない。)



ところがこの人たちにも増して、博覧強記で、かつその活躍のスケールがグローバルであった人がいる。南方熊楠がその人だ。彼は、明治17年に大学予備門(現・東京大学)に入学したが、夏目漱石、正岡子規と同窓生であった。『歩くエンサイクロペディア』とも呼ばれる桁外れの記憶力や、幅広く渉猟した書物の範囲は今までの(そして多分今後も)日本人の域をはるかに超越しているように私には思える。

さて、数年ほど前、南方熊楠全集(全12巻)を買ったが、最近、巻1,2,3,7(十二支考、南方随筆、書簡など)を読み終えた。率直な感想を述べると、今になって読んで良かったと思った。というのは、もしずっと前に読んだとしても、当時では彼が引用している、ギリシャ、ローマの民俗学の関連の本はあまり親しみがなかったから、退屈に感じたかもしれない、と感じたからである。

私も、10年前にラテン語・ギリシャ語を自習し始めてから言語的興味もあり、これらギリシャ、ローマの歴史・民俗学の本をLoeb本(英訳付き)などで読んで知識がかなり増えた。それで、いま、南方熊楠を読むと非常に興味をそそられる。読んだ本のなかで、とりわけ興味をもったのが、『十二支考』である。というのは、その暫く前にプリニウスの博物誌を半分まで読んだのだが、記憶が新しかったので、南方熊楠が引用している文の意図が正しく理解できた。まったく彼の引用の的確さには舌をまく。ラテン語で読んだのか、英訳で読んだのかは分からないが、ともかく彼はプリニウスの博物誌を三回ほど読んだというには驚きを通り越し、畏敬の念を抱いた。

南方熊楠は西洋古典の本丸を攻略していただけでなく、漢学では、中国の古典は言わずもがな、大乗仏教の経典の集大成である大蔵経(一切経)をもそらんじていたと思わせるような文章の運びだ。ところが、あるところで、彼は自分のことを『予、漢学は一向修めざしゆえ。。。』とあり、唖然とした。これは果たして衒いなのか、はたまた本心なのか?

ところで、これらを読みながら、以前からぼやっと不満足だった点があきらかになった。つまり、私は学生時代から人文系の学科のどれも、単一の科目(たとえば、日本古典文学、西洋古典、西洋哲学、東洋思想、中国史など)では物足りなく感じていたのだった。南方熊楠やプリニウスを読んでみて、私がしたかったのは、まさしく彼らが実践したような、『人類知の総和』を対象とした『博物学』であったという事が、ようやく明確になった。そして博物学の中には、私が中学生のころから興味をもっている語学含まれ、道具として、また知的刺激剤として、一層語学を極めなければ、と再確認した次第である。語学に興味を持ち続けることが知の膨張には必須であるとは、渡部昇一が『発想法』で力説している点でもある。
コメント
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