限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・16】『利人莫大於教』

2010-01-06 10:01:41 | 日記
孟子はかつて、君子に三楽(3つの楽しみ)があると言った。それは、何も政治家となって国を治めるなどという大それたものではない。まず、親兄弟が元気でいること、次いで、疚しいことが一切ないこと、そして最後が、『得天下英才而教育之』(天下の英才を教育すること)だと言うのだ。

孟子によれば、中国は昔から『庠・序・学・校』(しょう・じょ・がく・こう)と教育機関とがあった(孟子・滕文公章句上)。これはただ時代時代で同じ機関を別の名前で呼んでいただけの話(夏曰校,殷曰序,周曰庠)。つまり学校というのは、school-school というtautology(類語反復)に過ぎないのだ。ところで、学の重要性はなにも孟子だけが力説した訳でなく、当時の儒者全般の傾向だったことは荀子の劈頭に『勧学編』があることからも知れる。



一方、孟子や荀子とほぼ同時代の呂不韋が編纂したと言われる、呂氏春秋にも教育の必要性を述べた句がある。それが今回の『利人莫大於教』(人を利するに、教うるより大なるはなし)(孟夏紀・第四、『尊師』)

これは、次のような対句の中の一部分である。単独では、迫力が足りなくとも、このように重畳的対句でじわじわと迫り、人を納得させてしまうのが、中国式レトリックの常套手段である。

教えは,義の大なるものなり。
学は、知の盛んなるものなり。
義の大なるは、人を利するより大なるはなし。人を利するに教うるより大なるはなし。
知の盛んなるものは、身をなすより大なるはなし。身をなすは、学ぶより大なるはなし。

教也者,義之大者也;
學也者,知之盛者也。
義之大者,莫大於利人,利人莫大於教。
知之盛者,莫大於成身,成身莫大於學。

しかし、これほどまで早く(紀元前数世紀)から教育の重要性を認識しておきながら、先ごろ(1949年)の共産党革命以前までの中国では、文盲率が日本とは比較にならない位低かったというのを歴史の皮肉と言わずして、何と表現しえようか?
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