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夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

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昔 電気蓄音器(電蓄)という音響機械があった

2021年03月12日 | 音楽
古いレコードのジャケットに電気蓄音器の宣伝が
乗っていた。これは1955年から60年頃の
電蓄の宣伝でしょうか?我々の年代には懐かしい品です。
 

 
あの頃としてはずいぶん高い電化製品です。
ネットで調べてみたら次のように書かれていた。

当時、電蓄はきわめて高価であった。コンソール型の
大型電蓄の場合、公務員の初任給が2,000円程度の時代に
10万円近くするのが普通であった。比較的安価な卓上電蓄でも
3万円台と、スーパー受信機の3倍にもなった。
これは、戦時中の1944年から電蓄に対して120%という、
禁止税的な物品税がかけられていたことによる。物品税は
1947年に100%、1948年には80%、1950年には60%と、
段階的に引き下げられていくが、きわめて高い税率で
あることにかわりはなかった。ちなみに、レコードの税率も
電蓄の税率とほぼ同じであった。このため、ラジオと
それほど変わらない回路構成の電蓄でも価格はラジオより
はるかに高くなってしまったのである。
<物価の目安> 
1946年(昭和21年)頃
 小学校教員の初任給400円、鉛筆1本50銭、
 電球(60W)1個7.65円(統制価格)、
 もりそばは統制により休業
1948年(h総和23年)頃
 小学校教員の初任給2,000円、鉛筆1本5円、
 電球(60W)1個21.25円(統制価格)
 もりそばは統制により休業
1949年(昭和24年)頃
 小学校教員の初任給3,991円、鉛筆1本10円、
 電球(60W)1個60円
 もりそば1杯15円(麺類外食券)
この時代は悪性インフレにより急激に物価が上昇している。

以上ネットより。

私が小学校低学年の頃、父が電気蓄音器を買った。
このような形↓のラジオも付いた電蓄です。
写真はネットからお借りしました。
 
レコードは未だ買うことが出来ず、夜、みんなで
浪曲や落語を聞いた。というより聞かされた。
浪曲は広沢虎造落語は長屋の花見饅頭怖い
数年後、レコードが買えるようになり、兄とレコードを
よく聴きました。聞いたのは兄が好きだった洋楽。
歌謡曲はもっぱらラジオで聴いた。電蓄が買えなかった時代は
手回しのポータブル蓄音器でした。

電気蓄音器、昔は随分高い物品税が掛けられていた事を
知りました。庶民が「電蓄を買う」というのは「贅沢」と
みなされていたのでしょうか?
今は好きな時に好きな音楽が聴ける。いい時代になりました。



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