八代城は熊本県八代市松江城町にあります。今回は東海古城研究会の3泊4日の見学会で訪れました。八代城は急流 球磨川河口の北側にに築かれています。往時は本丸を取り囲むように二の丸、三の丸、北ノ丸等がありましたが、今は都市化によって本丸と堀を残すのみとなっていました。残された本丸は高石垣がみごとで、幅広の堀と共に残存状態も良好で見ごたえアリ!でした。
八代城 本丸 大天守石垣と堀 北西から
写真の右奥に向けて本丸西面の高石垣が伸び幅広の堀に映えていました。
八代城 二の丸 三の丸 北ノ丸には官庁が立ち並ぶ
北ノ丸には城主格の松井氏を祀る松井神社が造営され、北西部には「浜のお茶屋」と呼ばれた見事な庭園を有する松濱軒が設けられた。
八代城 北ノ丸の松井神社
八代城 浜のお茶屋と呼ばれた松濱軒の見事な庭園
八代城 東側に大手口 北側に搦手口 南側は明治以降の橋
八代城 本丸南面の石垣と堀 橋Aから
橋Aの左右には本丸南面の石垣が超ワイドに広がって石垣を堪能できました。写真の石垣の左端の上には月見櫓があったようでした。※橋の名が不明でしたので橋Aとしました。
八代城 本丸南面石垣と堀 橋Aの東側 堀も幅が広い
八代城本丸は石垣だけでなく堀も幅広で、石垣を映した姿は見どころでした。絵図等で見ると、往時は橋Aがなく、高い石垣がつながっていましたので、今よりもさらに迫力があったと想像しました。
八代城 本丸南面石垣の断面を見る
八代宮の参道の為と思われる橋Aの架設の為に切り開かれた南面石垣の断面を見ることが出来ました。ずいぶん分厚いですね。下部の石垣は後世のものと思われます。
八代城 本丸には八代宮が祀られている
明治の廃城後に、懐良親王を主祭神とし、後村上天皇の皇子・良成親王を併せ祀る神社が本丸に造営されました。
八代城 東面の表桝形虎口 堀を欄干橋で渡ると高麗門がありその内側が大きな桝形だった
八代城の見どころの一つに、この大きな桝形がありました。二の丸から欄干橋で堀を渡ると高麗門があり、門をくぐると大きな桝形になっていました。高石垣の通路を折れるとさらに門が設けられていたようで、その規模の大きさと厳重さに驚きました。
八代城 唐人櫓台と合坂 小天守台方向から
本丸北面には搦手口があり、廊下橋で堀を渡っていたようです。唐人櫓台で折れて小天守、大天守に至りますが、唐人櫓台にはV字形の石段「合坂」がありました。合坂を見かける城は少ないのでみどころでした。
八代城 小天守台の穴倉
大天守台にも大きな穴倉がありましたが小天守台にもありました。石段が傷んでいるため中に入っての見学はできませんでした。
八代城 大天守台 小天守と大天守は連結式だったか
小天守と大天守の間には渡り櫓があったようで、大天守には小天守経由で入るようになっていたと思われます。
八代城 大天守台の穴倉
四階五層の大天主の地階部分に当たる穴倉がきれいに残っていました。天守に登るには地階に当たる穴倉からだったと思われます。
八代城は残存状態の良い本丸の石垣と堀を中心に、近世城郭らしい多くの遺構を堪能できてよかったです。今回の見学会では4日間で13の城址を見学しましたので、順次報告したいと思います。
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