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遠江・樽山城 北遠の山深い城だが三河物語にも登場する武田、徳川境目の城

2019-09-26 | 歴史

樽山城は静岡県浜松市天竜区春野町田河内にあります。
 深い山と谷に囲まれた北遠の山間部に位置し、武田氏に属する天野氏の支城であった樽山城を後に徳川氏が奪い取り、境目の城としたのが、今見ることのできる樽山城とされます。
 天野氏の本城である犬居城を攻めあぐねた徳川軍が撤退を始めると、はるか12Kmも山奥の樽山城からも追撃の兵が出て田能、大窪(大久保)で付近の農民も加わって攻撃し、土地勘もない徳川軍に多数の戦死者を出したと、三河物語で述べられています。

 後に樽山城は徳川氏の手に落ち、境目の城として重要拠点であったため城番を置いて守らせたようです。
※今回は『静岡県の中世城館跡』を片手にでかけました。


樽山城、犬居城と周辺  国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
 樽山城の南にある春野町田河内地区から一部ダート道の林道を走って城址に向かいました。現在の田河内地区は住宅戸数も少ない山間へき地の印象ですが、往時は樽山城を守る兵員の生活を支える機能が有ったのでしょうね。


樽山城 ダート道の先に急に広場がひらけ登城口には案内板が立つ
 古くは重要な街道を扼する樽山城でしたが、今は道は林道の様で車の運転に注意が向いていて案内板を見過ごして行き過ぎてしまいました。広場の目的は林業目的とも思えませんが・・・何でしょう?      案内板からはスグ城域に入ります。


樽山城  概略図  尾根上に狭い曲輪が階段状に並ぶ      三方を敷原川の断崖絶壁に囲まれている
 樽山城は細い尾根の先端部をひな壇状に削平した遺構が残っていました。敷原沢の急崖に北、西、南を囲まれています。
東側の案内板があるあたりの地形は後世の道路の開削や広場の造成で地形が変わってしまいましたが、城址東側には尾根がつながっていて堀切があったかもしれないと想像しましたが、どうでしょう?


樽山城 通称城山の山頂 「樽山城址」の看板がある
 山頂の最高所はごく狭い面積なので主郭とは言い難いように思いました。見張り台的な場所だったかもしれません。概略図で主郭?とした場所がやや広いので主郭ではないかと思いました。


樽山城 最高所と主郭?間の堀切① 狭い尾根を断ち切っている。 両側は絶壁
 細尾根に築かれた樽山城ではあるが、2条の堀切と曲輪の一部には土塁も残っていました。天野氏時代のものというよりも、後に徳川氏の改修を受けたものの可能性が考えられるようです。


樽山城 西側から主郭?方向の地形を見る 狭い尾根に曲輪があることが判る
 
狭い尾根なので、広い削平地を造成できず、ひな壇状に削平した小さな曲輪が連なっていました。



樽山城 尾根西先端部の急崖  ここを敵兵が登ってくることはないと思われる
「静岡県の中世城館跡」によると徳川の時、武田の一万余の軍勢が攻め寄せたが五日三夜持ちこたえ武田の軍が撤退したとされますので、三方向を取り巻く急峻な断崖絶壁の要害の効果が有ったのではないでしょうか。
 それだけに、攻めやすい城の東側の尾根筋の防御態勢がどうなっていたのかを知ることができないのが残念でした。

車で行きつくことができるのか?  林道の途中で心細くなるほど奥深い山地の樽山城でしたが、意外に山城パーツの遺構が揃っていて、残りも良かったので、行ってよかったと思いました。


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