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美濃・室原城 遺構は完存だが、わかりにくい山城

2018-11-13 | 歴史
室原城は可児市室原にあり、可児秀行によって築城されたと伝承されます。
 今回は、岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集 加茂地区東濃地区 所載の「室原城跡」のページを片手に訪れました。作図と論評は全国各地の城館跡の縄張り図を多数描いておられる高田 徹さんです。高田 徹さんの縄張り図はとてもわかり易く、論評は慎重かつ的確で、僕の遺構見学のバイブルになっています。 
 永禄8年(1565年)金山城に森可成が入城した時、室原城主可児秀行は臣従し、森氏に従い各地を転戦し、小牧長久手の戦いで森長可と共に討死にしたとされます。
 慶長五年(1600)森忠政の海津城への転封で可児氏もそれに従い、室原城は廃城となった。

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国土地理院地図をカシミール3Dスーパー地形で加工、加筆
城址碑は北側山下の長洞側に立っているが、今回は南側から登りました。高田 徹さんの論評によると、南または東に城道が有った可能性が書かれていたので㋐とか㋑の道を想像しました。
 現地では踏み跡も見つけられなかったので㋒で直登し帰りは㋓で下りました。
遺構は①②③が削平された遺構、④は自然地形の幅広尾根、ABCは堀切です。


城址の南側山下の妙智寺の裏山が室原城ですが直接見ることは出来ません。山麓部は藪を切り払う作業中で、とても歩きづらく、踏み跡も見当たりませんでした。


①が主郭です、②の郭の北側下を回り込んで①郭の北側から①郭に達する道が残っているので、これが城道かもしれません。城址碑のある入口から尾根筋を登ってくる道は、写真の⑥の小さな郭に出るようです。


主郭①から④へ下る土橋と堀切A 横から見る
この部分の遺構が室原城の一番の見所です。室原城には土塁が見当たりませんが、土塁が有ればこの部分は虎口と見ることができそうでした。


④の部分は高田 徹さんの論評では自然地形で、郭として使われていなかった可能性を示しています。④の先端部をBとCの堀切で区切っているのは④の部分へ敵が侵入するのを阻止するのが目的ということです。室原城独特の遺構ということのようです。

室原城の有る山は植林されていませんでした。そのため遺構が完存状態で保たれているということでしょう。人が山に入ることも少なかったため、本来の城道の踏み跡も埋もれてしまったのではないかと思いました。
 高田 徹さんの縄張り図がなければ見分けが付かない薄い遺構地形が多い城址でした。


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