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月原城山城 三河 峠を通る主要道を扼する山城 二つの離れた曲輪の意味は?

2022-03-13 | 歴史

月原城山城は愛知県豊田市月原町にあります。月原城山はワチバラシロヤマと読みます。城址は西曲輪と東曲輪が150mほど離れて尾根上にあり居住性はなさそうでした。西曲輪の北西側には城ケ峠と呼ばれる古い峠が有り北の月原と南の摺を結ぶここを通る主要な峠道が今も残されています。城の来歴、城主などは不明のようですが北700mにある橋向城と関連があり、城ケ峠を監視する役割があったのではないかと想像しました。
 今回の資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 と (2)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001 などです。   ※橋向城は→こちら


月原城山城 城への道はA、B、Cの3本がある
 城ケ峠を越す古い峠道A、Aから分岐して尾根上を進む道C、東側の谷筋から登る道Bがありますが、資料(2)には東側の谷筋を通る古い道が記されていませんので往時の城道はAを城ケ峠まで登り東に折れて登る道、またはCだった可能性がありそうでした。


月原城山城 西曲輪Ⅰと東曲輪Ⅱは約150m離れている
 月原地区から峠道Aを登ってくると城ケ峠の切通に出ます。峠を越えると摺地区に向かって道Aは下りますが、今も明瞭に残っていました。帰路は道Cをたどりました。道Bは東曲輪Ⅱへ直接登る道ですが往時から在った道かどうかは疑問が残りました。


月原城山城 車の道からの道Bへの登り口の目印の「お地蔵さん」
 ネット情報などで、お地蔵さんからの道Bが紹介されていますので、以前ここからも登りましたが今回登った道Aか道Cのほうが城道らしさがありました。
 

月原城山城 城ケ峠の切通 道Aは摺地区に向かって下る
 月原地区からの道Aは山下の砂防ダムで登り口付近が一部が変わっていますが、車の道ができるまでは主要な道として利用されていたようでした。道の途中には崩落した部分や山道との分岐などが有りましたが、注意深く見て登れば城ケ峠まで往時の道がたどれる状態でした。


月原城山城 尾根道Cを下る
 城ケ峠を通らずに城に直接登る道も在ったのではないかと思って帰路は尾根道Cを下ってみました。写真のように尾根道Cは踏跡は有りませんでしたが、歩きやすい尾根筋が山下まで続いていました。山下の部分は砂防ダムのために乱されて道Aとの接点がよくわからない状態でしたが、城への道としては可能性がありそうに感じました。


月原城山城 西の曲輪Ⅰが主郭、東の曲輪Ⅱが物見台のように見える いずれも単郭
 月原城山城には、井戸も確認されていませんので見張り小屋程度のものが建っていたのかもしれません。Ⅱ郭はⅠ郭に比べて面積が狭く、資料(1)では設けられた時期差があったのではないかと記されていました。Ⅰ郭とⅡ郭の間の尾根筋に城郭遺構らしきものは見当たりませんでした。


月原城山城 堀切1 北から 左上にⅠ郭
 北東尾根を断ち切る堀切1は、幅広ですが浅いものでした。Ⅰ郭の周囲には竪堀も3条設けられていました。


月原城山城 西の曲輪Ⅰ郭   中央部にゴルフ場のフェンス
 曲輪上に土塁や城郭遺構らしきものは見当たらず、虎口も明確ではありませんでした。


月原城山城 南側の山麓部にはゴルフ場が開発された
 月原城山城の南側にはセントクリークゴルフクラブが有り、遠くにプレーヤーの声がきこえました。城址の一部までゴルフ場の敷地のようで、フェンスはその境界を示しているようでした。


月原城山城 Ⅰ郭の南東隅の虎口地形2    不明瞭です
 Ⅰ郭の虎口を探しましたが明確な地形は発見できませんでした。唯一それらしい地形は南東隅に残された通路らしき跡でした。


月原城山城 平場3 北から 奥に堀切4 左に土塁5 右にⅠ郭東辺の切岸
 Ⅰ郭東側の堀切は中央部が平場3となって南北に分断されていました。それぞれ先にある尾根を断ち切っていて中央部は谷地形のため堀切を設けてないように見えました。


月原城山城 東の曲輪Ⅱ 西側の堀切6 南から   右にⅡ
 Ⅰ郭とⅡ郭の間に峠道は無かったようですのでⅡ郭の役割は東側の谷筋(今はお地蔵さんのある車の道)を監視する必要が生じたときに設けられた見張り台だったのではないかと想像してみましたがどうでしょう。


月原城山城 Ⅱ郭北東下の平場7 奥上にⅡ郭
 平場7のある北側尾根は道Bで登って来るとここへ出ます。この尾根を断ち切る堀切は見当たりませんでした。Ⅱ郭は中央部が高く、削平されていない自然地形のようでした。


月原城山城 東の曲輪 Ⅱ郭へ登る通路跡か
 二郭の虎口もⅠ郭同様、明確な地形は見当たらず周囲の法面は自然地形のようでした。南側にわずかな通路の痕跡8が有りました。往時の通路や虎口かどうかは確認できませんでした。
 
月原城山城のⅠ郭は城ケ峠を監視する役割でⅡ郭は東の谷方向を監視する役割と考えましたが、資料にもその点は記されていませんので想像の域を出ません。城郭遺構としてはシンプルでしたが、離れて設けられた二つの城址に至る往時の道を探って歩くという見学が楽しめて良かったです。


 

 

 


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