城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

三河・橋向城 状態の良い多数の城郭遺構が残り、足場も良くて見学が楽しめる山城

2021-06-26 | 歴史

橋向城は愛知県豊田市月原(わちばら)町にあります。付近には橋向城を囲むように五ヶ所の山城があります。
 興国五年(1344) 児島高徳がこの地方に来て広瀬城(矢作川沿い南西約5㎞)を築き、北の守りとして月原城を築いたという伝承があるようですが、月原に所在する橋向城、月原本城山城、月原城山城の3城のどれに該当するかは不明とされます。 ※児島高徳の伝承は検討の余地ありとされます。
 月原の地は三河の大河・矢作川と支流の阿摺川の合流点近くにあり、古くはいくつかの道の結節点として重要な場所でした。 
 今回の参考資料は(1)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001 と (2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 です。


橋向城 月原本城山城、月原城山城の中間、阿摺川沿いに所在。山下には居館の可能性も
 伝承の月原城がどれかはわからないようですが本城山城・城山城には居住性が感じられず、3城のうち橋向城だけが麓の大きな平場に居館があった可能性が高そうでした。


橋向城 山上の城郭遺構と阿摺川の間には多数の平場がある
 見学時に、麓の住人の方にお聞きしたところによるとa、b及びの平場は近年まで耕作地だったようです。現在は耕作はされておらず、い・う・え の平場には植林がされていました。
 資料(1)ではa、bの平場は上屋敷と呼ばれる場所で居館跡ともみられる、としていました。住人の方は「以前は一軒建っていた」と言っておられました。
 橋向城の特徴はY字形の尾根に遺構が展開しているところで、図2の南の谷間⑬には水場の痕跡と見られる小平場⑫がありました。


橋向城 図2 a、b 北から    左手に平場あ
 平場aは猛烈なブッシュで覆われていてほとんど確認できませんでしたが、平場bは面積が広く雑草で覆われているものの、屋敷地として十分な面積が確認できました。


橋向城 掘切⑤と城道 北から
 橋向城のY字型の三つの尾根にはそれぞれ掘切が設けられ、尾根を断ち切る掘切がそれぞれに設けられていました。麓からの城道は平場bを通って⑯、⑮の脇を登り⑤に達していました。
 平場⑮には墓石があり、住人の方のお墓で今も現役だそうでので、ここまでは墓参の道とも言えそうですね。


橋向城 平場② 左に掘切⑧への道 右にⅡ郭への道がある  
 平場④、③の脇の城道を登ると平場②に出ました。②からは道が二手に分かれていて左にゆくとⅠ郭の東下を巻いて掘切⑧に出ます。右に進むとⅡ郭への道がありました。
 ⑯~②までの平場には土塁などはありませんが、各々の切岸が防御の要となっていました。


橋向城 掘切⑧  東から  右手上にⅠ郭  切岸の高さは人物と比較すると分かる     見どころです!
 思ってもいなかった切岸の高さに驚きました。Ⅰ郭には土塁はありませんがこの掘切と切岸が北尾根からの敵への厳重な備えとなっていました。見学者としては、見応え十分!の遺構でした。


橋向城 谷筋⑬と小平場⑫ 掘切⑧から⑨、⑬、⑪とたどって⑫へ   北から
 図2の開口部のある土塁⑨、直角に折れ曲がる堀底道⑬、土塁⑩など興味深い遺構がありましたが、⑪の踏跡をたどると小平場⑫に出ました。⑫の直下は谷筋で、見学時にも水が勢いよく流れていましたので、水場だったのではないかと想像しましたがどうでしょう。小平場⑫は資料(2)では描かれていませんでしたが資料(1)では描かれていました。


橋向城 Ⅰ郭  左下に平場① 西から
 最高所にあるⅠ郭が主郭だったとされますが面積が狭く削平も丁寧にされていませんでした。Ⅰ郭の北側には腰曲輪状の平場①が一段下がってありました。


橋向城 Ⅱ郭  西側先端部と大岩 Ⅲ郭から
 Ⅱ郭は丁寧に削平された曲輪でした。西端部には写真のような大岩が切岸のかわりに、デンと据わっていました。わざわざ運んできたものではなく、自然地形を利用したもののようでした。


橋向城 Ⅲ郭 西から 左の曲輪の縁に犬走り   奥にⅡ郭
 Ⅲ郭は山上の曲輪では最も面積が広そうでした。削平も丁寧にされていて北辺には犬走り状の一段下がった地形が見られました。


橋向城 北西尾根の平場⑥   奥上にⅢ郭  ここも切岸が見どころ
 北西尾根はⅡ、Ⅲ郭が設けられていますが、Ⅲ郭の先端部は平場⑥で高い切岸が削り出されていました。Ⅲ郭と平場⑥を行き来するハッキリした城道が見つけられませんでしたが、往時もあまり必要がなかったのかもしれませんね。


橋向城  北西尾根の掘切⑦ 北西から    ここまでが城域かも
 北西尾根から山麓へ下り平場 い、う、え を歩きましたが尾根筋には城道らしいものは見つけられませんでした。往時もこの尾根筋にハッキリした道は設けられていなかったのではないかと思いました。

橋向城は来歴がハッキリしない城郭ですが、多くの遺構が残っており、残存状態は良好で見どころの多い楽しい見学ができてよかったです。山麓には平場が多数あり往時の遺構なのかと思いましたが、住人の方にほとんどの平場は近年の耕作地だったとお聞きして納得でした。