馬杉本城は滋賀県甲賀市甲南町上馬杉に有ります。甲賀の南端部で伊賀に接する上馬杉地区に展開する上馬杉氏城館群8城の本拠と伝承されています。
今回は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」と「図解 近畿の城郭Ⅳ」を参考資料として出かけました。
上馬杉地区の城館はいずれも興味深い遺構が残っていましたので、馬杉本城以外も機会があれば紹介したいと思います。
馬杉本城 新東名 甲南ICを南に向かうと上馬杉の集落があり、伊賀と接している
馬杉本城のみを見学するのであれば上馬杉草の根ハウスの駐車場をお借りすると便利ですが、上馬杉城館群をいくつか見学する場合は油日神社近くの道路余地の路肩駐車が可能でした(但し駐車は自己責任で)。
馬杉本城 民家の裏に城址遺構。民家の立つ平坦地も曲輪跡?
誓蓮寺、二蓮池の脇を通って民家の立つ平坦地に出ました(下図①)。ちょうど地権者の方が作業をしておられましたので見学に来た旨を告げると、ご親切に害獣フェンスのゲートがある登城路を教えていただけました。
馬杉本城 曲輪Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ以外にも多数の削平地が見られる。城郭遺構か?後世の耕作地か?
馬杉本城はⅠ郭を中心に東、北、西に何段もの削平地を見ることが出来ましたが、資料で城郭遺構の曲輪として扱われているのはⅠ、Ⅱ、Ⅲ、と武者隠のようです。①⑦⑧⑨⑩及び墓地は曲輪と断定されていませんが、いくつかは城郭遺構だったのではないかと思わせる雰囲気が有りました。
南側の尾根には、見どころの尾根を断ち切る三重の堀切、B、④、⑤が遺されていました。⑥は城域の南端を区切る低い切岸が残りますが、見ようによっては浅い堀切のようにも見えました。
馬杉本城 虎口D 改変でスロープ状になっているが、右側から折れを伴う道があったように見える
Ⅰ郭の東辺は土塁③が有ったようですが後世の改変で失われ、虎口付近の形状も変わってしまい単純なスロープ状の地形になっていました。現地でよく見ると写真の左から道が折れて虎口に入っていたように見えましたが不確かです。害獣ゲートのあるⅢから虎口Dに至る道はいかにも「城道」らしい雰囲気がありました。
馬杉本城 主郭Ⅰ 曲輪内は、今は使わていないようだが耕作地化されていたらしく排水路が設けられている
虎口Dから主郭Ⅰに入りました。東辺の一部③を除いて土塁が残されていました。写真の土塁Aは一段と高くなっていて櫓台とされます。虎口Cの通路面は曲輪面から0.5mほど高く、普段の通行には使われていなかったように見えました。ここから外に降りると資料で「武者隠」とされる小曲輪がありました。武者隠からⅡに降りる道は見当たりませんでしたが、もともとなかったのか失われたのかは不明でした。
馬杉本城 主郭には現代の排水路が残されている
馬杉本城の主郭の曲輪面は最近まで耕作地化されていたようで、金属製の排水路が設けられていました。この改変によって失われたと思われる東辺土塁③の北端部が写真奥に見えています。
馬杉本城 堀切B 右側に土塁A 南尾根の3条の堀切で最大
馬杉本城の見どころの三重の堀切は南尾根に有りました。遺構は改変を受けておらずよく残っていました。
馬杉本城 南尾根の堀切⓹ 多少埋まっているが改変は受けていない
南尾根の三重堀切は風化によって多少埋まっているようですが、改変を受けていない往時の姿を見ることが出来ました。
馬杉本城 主郭北東下の墓地 往時は曲輪だったように見える
馬杉本城の東、北、西に展開する削平地は城郭遺構だった可能性があるように見えましたが、今は墓地となっているこの場所も往時は曲輪の一つだったのではないかと想像させる地形でした。
写真左端には堀切跡のような地形がありますが、今は切通道として使われていました。
※曲輪跡が墓地となったと思われる例は下馬杉地区でも見られる→ 近江・小池城
馬杉本城では土塁囲みの主郭を中心に三方向の山すそに多数の曲輪状地形を、また南尾根には三重の堀切を配した遺構など、上馬杉城館群の中核の名にふさわしい城郭遺構を見ることができ、充実した見学になりました。