城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

美濃・一夜城 武田勝頼の明知城攻めで陣が構えられた伝承の山城

2020-02-20 | 歴史

一夜城は岐阜県恵那市明智町にあります。
 明知城の北東約2.5Kmの山中に尾根を利用した、シンプルな遺構が残されていました。
武田勝頼が明知城攻めの時に陣を構えた、秋山信友が明知城攻めで戸障子を白壁に見せかけた城を築いたので「一夜城」と呼ばれた、などの伝承があるようです。
 今回は岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集を資料として出かけました。

一夜城の名称は全国に多数あったと思いますが、有名な武将と結びついた場所が伝承として今に残されているように思います。


一夜城 細い道を進むと安住寺があり、さらに細い林道の先に入り口がある
 入り口に不安が有りましたが、林道の余地に車を停めて付近を捜すと「あたご様入口」の小さな表示がありここから尾根伝いに遺構へ向かいました。林道へ入る手前途中に元亀三年の上村合戦で武田勢との戦いに敗れて自害した遠山景行を葬った安住寺が有りました。  ※国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆


一夜城 あたご様入口の表示 ここから尾根に向かって進む
 写真のように、林道は一車線しかありませんので、付近の路肩余地を捜して車を停めました。駐車は自己責任ですが、都会地だけでなく田舎でも駐車には苦労しますね。


一夜城 概略図 あたご様は尾根の先、西下に祀られる
 資料によると慶長年間の明知城の鬼門にあたるこの地に鬼門除けとして「愛宕社」を祀ったとされています。それを今では「あたご様」として祀っていると思われます。


一夜城 東側の尾根を断ち切る見どころの堀切  西から見る
 入り口から尾根伝いに城址に向かうと、最初に現れるのがこの堀切です。一夜城の遺構は不明瞭なものが多いのですが、この堀切は明確で、見どころでした。写真の堀切の奥に向かって竪堀が伸び下っていました。


一夜城 主郭下の腰曲輪 左上に主郭
 一夜城は主郭のある尾根の周囲に数段の削平地が浅く刻まれていますが、風化も加わって不明瞭な削平地が多くなっています。写真の腰曲輪も風化で切岸が緩やかになっていますが、一番わかりやすい曲輪でした。


一夜城 主郭(最高所)に祀られる永久穂神社の石碑
 一夜城は主郭とされる明確な地点はないようですが、ここでは最高所のある削平地を主郭と呼びました。主郭には三体の石造物がありましたが、そのうちの一体には永久穂神社の文字が刻まれていました「ながくぼじんじゃと」読むのでしょうか、かつては社があったのかもしれませんね。
 帰ってからWebで検索すると愛宕社は城址の西下の尾根上に石の祠で祀られているようなので、ここではなさそうですね。


一夜城 尾根を二分する浅い堀切状地形 724mの三角点が見える
 資料の高田 徹氏の縄張図によると三角点付近に浅い堀切状の地形が描かれています。現地で見ると、不明瞭な浅い堀切状の凹み地形が有りましたが、もともと自然地形に人の手を少し加えた程度のものだった様に見えました。


一夜城 南辺の虎口状地形 ①は狭く②は広い間口になっている
 南辺には2か所の虎口状地形があります。人の手が加わった地形ですが、資料では虎口と断定できないとされています。往時からこの浅い地形だと虎口とするには無理がありそうですが、風化で浅くなったとすれば虎口と言えなくもないと思いました。ただし2か所が並んでいる意味合いは分かりませんでした。

一夜城は東側の堀切を見どころとし、不明瞭な遺構群を推理しながら見極めるという藪漕ぎのない楽しみの多い山城でした。