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近江・山本山城 独立した4か所の城の連合体を徹底解説で見学

2020-02-08 | 歴史

山本山城は滋賀県長浜市湖北町山本にあります。
 今回は城郭研究家 長谷川博美先生を講師としたNPO法人自然と歴史ロマンの会の見学会に参加しました。
山本山城は公園化によって山上の城郭遺構が重機で一部破壊され、曲輪など遺構名が全体で一つの城として扱われていますが長谷川博美先生の研究によると、4ヶ所の城の連合体だったということで、見学会の中で詳しく解説がありました。 ※仮称として4ヶ所はA、B、C、Dとなっています。


山本山城 高月町熊野から登り尾根を縦走して湖北町山本に降りるコースで見学
 山本山城を訪れるのは今回が二度目でした。以前訪れた時は単独行で、湖北町山本の朝日山神社から登りA、B、C、Dと見て地点までを見学して引き返し、湖北町津里の宇賀神社へ下るコースをとりました。
  今回は高月町熊野から登り、尾根を南向きに縦走して見学し朝日神社へ下るコースで、前回とは逆のコースでした。
 尾根の峠への登りは、古くからの道が高月町熊野から高月町片山へ通じ通り、以前は小学生が片山から峠を越えて熊野の小学校へ通っていた道だそうです。


山本山城 熊野から峠への道と途中の秋葉神社 神社境内の平坦地は曲輪だった可能性も
 熊野から峠までの道の途中には秋葉神社が祀られていました。神社が造営されている平坦面のほかに削平地と竪堀状の地形などもあり、かつて山本山城の北端の砦があった可能性が示されました。
 写真は秋葉神社の背後の地形ですが、いかにも城郭関連の遺構地形のようですね。


山本山城 尾根上の堀切と古墳
 今回の見学コースの範囲だけでも名前の付いた古墳が7基ありました。名前のない古墳はそれ以上に有って、尾根上に古墳がびっしり並んでいました。解説がなければ自然地形と思って見過ごすものも多くありました。城郭遺構の堀切も何条もありましたが、説明が有ったのでわかりましたがそのつもりで見ないと気づかずに通り過ぎてしまったかもしれませんでした。古墳に関連する地形と城郭に関連する遺構との見分け方の解説もありました。
※古墳は名前があるだけでもさらに北側の尾根上に26基あり国指定史跡「古保利古墳群」となっています。まさに古墳の集合団地です。


山本山城 B郭 北側からのハイキング用の木橋と階段

山本山城 B郭 城郭遺構の北側からの土橋と虎口への城道
  山本山城は公園化により、ハイキング用の道や階段が随所につけられていました。城郭遺構の城道や土橋とは違う位置になっている場合も多くあります。今回の見学会でははっきり区別して解説がありましたので往時の山本山城の姿を確認することが出来ました。


山本山城 D郭 堀切、土橋と城道
 長谷川先生の見学会では、毎回土橋の形状についての指摘があります。土橋は重要な防御施設の一つとして敵の侵入速度を落とし、一列に並んで侵入するのを上部からの狙撃で阻止するため、わざわざ曲げて土橋は作られているとここでも解説がありました。ついつい見過ごしてしまうポイントですね。


山本山城 B郭 食違い虎口 土塁の食違いは見落としがち
 山本山城はA、B、C、Dの城が独立性を保っており、各々に虎口が設けられていました。写真の虎口は土塁が食い違って配置されていました。いわゆる食違虎口ですが、解説がないとこれも単なる虎口として見てしまいそうでした。


山本山城 重機で破壊された遺構に「二の丸跡」の看板が立つ 奥にB郭
  公園化に際して重機で遺構が破壊されたので原形は不明になってしまった場所。「二の丸」は後世の便宜的な命名とのことで、全山一城を前提にしたもの。4ヶ所の城郭の連合体として研究成果から見ると不適当な命名に思えました。せめて伝二の丸跡でしょうか。

今回は前回訪れた時とは逆のコースをたどっての見学でしたので、長谷川先生の解説と相俟って違った景色を見る様で新鮮で興味深い見学が出来ました。