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三河・大沼城 城内への導水路が絵図に載る珍しい山城

2020-02-12 | 歴史

大沼城は愛知県豊田市大沼にあります。
 大沼城は大給松平氏の支城とされ、徳川家康の関東移封によって天正十八年(1575)廃城になったと伝わります。
 今回は「愛知の山城ベスト50を歩く」を資料として見学しました。資料での高田 徹氏の解説によれば、広島市立中央図書館所蔵の「諸国古城之図」に描かれた大沼城には近くの谷川から水を引いた導水路が描かれている、と記されていましたので広島市立中央図書館のホームページで「諸国古城之図」を見てこれも参考にして見学しました。


大沼城 高田 徹氏の縄張図を資料に、導水路と水源地を訪ねました
 資料によれば導水路は八沢川支流の上流部にあるようなので大沼城から沢を遡りました。古城之図にはⅡ郭とⅢ郭にあたる場所まで水が引かれ、貯水槽があったように描かれていましたが、今はそれらしいものは見当たりませんでした。高田氏の解説によると、Ⅲ郭は耕作地だったとありますので、近年まで水は利用されていたのかもしれないと想像しました。


大沼城 Ⅲ郭 今は耕作が放棄され平坦面が残されている。水路にかかわるものはない
 古城之図によるとここまで導水路が描かれていますが、城が稼働していた時に使われていたのか、廃城後に耕作地化したときに水を引いたのかは明確ではありませんでした。


大沼城 Ⅱ郭 周辺に土塁が回った曲輪で水路にかかわるものは見当たらない
 Ⅱ郭からは土塁上を通って主郭に向かう城道が想定されています。土塁に切欠きはないので導水路があったとすれば木樋などで通していたのかもしれないと思いました。


大沼城 沢沿いの山道には今も導水ホースが見られる
 沢筋の道をたどると、今も導水ホースが見られました。どのような利用形態なのか、現在も現役で使用中なのかは分かりませんでした。


大沼城 水源地 沢をせき止める形に見える。いまもせき止めた下部に水が見えている。
 水源地は沢を思ったよりも遡った場所にありました。大切な水源ですから、うかつに触ることはできないので外見だけではどのように取水しているか分かりませんでした。


大沼城 水源地付近、沢の最深部にある石積の水田跡  
 沢の最深部、水源のある付近には水田跡がありました。猫の額ほどの面積の石積の水田が耕作放棄された姿になっていました。少し前まではこんな条件の悪い場所でも懸命な耕作が行われていたのが想像できる状況でした。水田跡は今も水が浮いているような状態でした。


大沼城 水路跡とされる溝が今も残る
 資料で、導水路跡を今も見ることができるとなっていました。注意深く見ると水源からの道に並行して溝が続いていました。これが資料でいう導水路跡と思われました。
 古城之図に描かれた導水路も、溝状の水路や木樋などの導管などが場所に応じて使われていたのではないかと考えましたが、どうでしょう。


大沼城 堀切の土橋を通るパイプ
 大沼城の見どころの一つが主郭とⅤ郭の間を断ち切る見事な堀切です。この堀切には土橋が設けられていますが、資料での高田氏の解説によると後世の改変で堀切が埋められて土橋状の道になっているようです。往時はもっと深い堀切だったということの様ですね。
 ところで、土橋の部分をよく見ると、何やらパイプ状のものが見えます。この位置から考えると、先ほど見た導水管の延長で、山下に水を送っている塩ビパイプのように見えました。
 途中見かけた導水管の太さは一定ではなかったのでここでは細いものを使って土橋部分を貫いているのかもしれません。
 今回は、結論の出ない見学になりましたが、古い時代から沢の水が利用され、現代も利用され続けている姿を垣間見ることが出来ました。

※地図の右上の「取手」の地点は、資料の中で高田氏が古城之図に描かれていると指摘されていたので、今回登ってみました。興味深い場所でしたので、機会がありましたら改めて紹介したいと思います。