津市安濃町に有る安濃城は中伊勢で室町から戦国期に大きな勢力を持っていた
国人領主・長野氏の一族、細野氏が城主であったと伝わります。
城址・主郭部には江戸末期に阿由多神社が再造営されている。神社造営によって
遺構の一部が改変されているが、神社が有ったために遺構がここまで残った
と言えるかもしれません。
なお、今秋9月の東海古城研究会の定例見学会で、亀山市の峯城とここ安濃城を
見学の予定となっています。
主郭(阿由多神社)に立つ案内板の概要図 一部加筆
安濃城はA地区に主郭があり阿由多神社が建っている。A地区周辺だけ見ても
十分に満足できる遺構が残っているが、なにせ安濃城は東西約450m、南北約350mの
巨大な城域を誇っているのでB、C地区も見学しないともったいない。
阿由多神社参道で堀の一部は埋められている
安濃の集落から参道を進むと、すぐに城域となり左右に土塁や堀の遺構が現れます。
参道工事のために堀の一部分が埋め立てられていますが、参道以外の部分の
遺構はしっかり残されていて、見ごたえ十分です。
主郭虎口の土橋と堀を見る
主郭に建つ阿由多神社の参道が主郭の虎口と紛らわしいですが、本来の虎口は
近くに残っていて、堀を土橋で渡る遺構を見ることが出来ます。虎口からの主郭内は
神社工事のために改変があるようですが、虎口周辺の構造は概ね確認できました。
B地区の櫓台状の遺構
B地区はA地区に付随した方形の屋敷地のように見えますが、櫓台状の地形「あ」や
土塁で囲まれた地形など変化に富んでいて見どころがいっぱいです。
後世の土取りによって一部が削り取られていますが、残された部分はハッキリと
遺構を確認することが出来ました。
C地区にも曲輪が連なっている
C地区の曲輪群も方形の屋敷地の様に見えますが、分厚い土塁や虎口の形状等から
櫓台など備えた別の城郭だったかもしれないと思わせます。
曲輪を囲む土塁に開く虎口状の形状等、再度確認したい遺構が多い地区でした。
東海古城研究会の見学会で、どこまで見ることが出来るか、楽しみです。
国人領主・長野氏の一族、細野氏が城主であったと伝わります。
城址・主郭部には江戸末期に阿由多神社が再造営されている。神社造営によって
遺構の一部が改変されているが、神社が有ったために遺構がここまで残った
と言えるかもしれません。
なお、今秋9月の東海古城研究会の定例見学会で、亀山市の峯城とここ安濃城を
見学の予定となっています。
主郭(阿由多神社)に立つ案内板の概要図 一部加筆
安濃城はA地区に主郭があり阿由多神社が建っている。A地区周辺だけ見ても
十分に満足できる遺構が残っているが、なにせ安濃城は東西約450m、南北約350mの
巨大な城域を誇っているのでB、C地区も見学しないともったいない。
阿由多神社参道で堀の一部は埋められている
安濃の集落から参道を進むと、すぐに城域となり左右に土塁や堀の遺構が現れます。
参道工事のために堀の一部分が埋め立てられていますが、参道以外の部分の
遺構はしっかり残されていて、見ごたえ十分です。
主郭虎口の土橋と堀を見る
主郭に建つ阿由多神社の参道が主郭の虎口と紛らわしいですが、本来の虎口は
近くに残っていて、堀を土橋で渡る遺構を見ることが出来ます。虎口からの主郭内は
神社工事のために改変があるようですが、虎口周辺の構造は概ね確認できました。
B地区の櫓台状の遺構
B地区はA地区に付随した方形の屋敷地のように見えますが、櫓台状の地形「あ」や
土塁で囲まれた地形など変化に富んでいて見どころがいっぱいです。
後世の土取りによって一部が削り取られていますが、残された部分はハッキリと
遺構を確認することが出来ました。
C地区にも曲輪が連なっている
C地区の曲輪群も方形の屋敷地の様に見えますが、分厚い土塁や虎口の形状等から
櫓台など備えた別の城郭だったかもしれないと思わせます。
曲輪を囲む土塁に開く虎口状の形状等、再度確認したい遺構が多い地区でした。
東海古城研究会の見学会で、どこまで見ることが出来るか、楽しみです。