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しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

直江津~和倉温泉

2011-09-21 06:00:36 | 旅行

                  早朝の直江津で2日目の親鸞めぐり旅を終えたあと、
                  次の目的地、石川県七尾市の和倉温泉に行きます。
                
                  直江津から金沢に行く予定でしたが、迷っていたとき
                  旅行の仕事をしている息子が和倉温泉を教えてくれた。

                  1人旅で温泉に行くのは・・と躊躇していたのですが、
                  時刻表を検索していたら、直江津から和倉温泉行きが
                  あるのを知り、決めたのです。

 

                 

                    直江津駅から11時38分の「はくたか」に乗ります

 

                 

                   直江津駅、2階改札口階、11時前頃の時間です
                   あまりの人影がないのに驚きました。

                   タクシーの運転手さんが、東京から金沢に新幹線が 
                   開通すると直江津駅は通らないからもっと寂れて
                   しまうのではと話していたのを思い出しました。

 

 

         

        列車を見に来ていた、お孫さんを連れたおばちゃんにとも話したのですが、
        「昔から比べると淋しくなるばかりで、歴史ある直江津をもっと宣伝して欲しい」と
        言っていました。 恥ずかしがりやの坊やは、カメラに顔を向けてくれませんでした。

        直江津は1日半の滞在でしたが、歴史ある古寺も多く、よいところでした。

 

 

          

                 出発には少し時間があったのですが、ホームにおりました

 

 

                

                      お弁当屋さんが出ていました

 

 

           

 

           

                これは越後湯沢行き、反対方向の列車です

 

 

           

                  

                      「はくたか」を撮影していました

 

 

                  

            同じ列車の車両に乗り合わせることになった東京から旅行中のお二人、
            優しいご夫婦とお話しをして、心和み、写真を撮らせていただきました。

 

 

                

                     鉄道好きにはわくわくする瞬間です 

 

 

         

        お弁当屋さん一押しの”鱈めし” 偶然買ったお弁当なのですが、息子に写真を
        送ると、「渋谷東急と京王デパートの駅弁大会1位になったと、ヨネスケのブログに
        書いてある」とか「親子弁当対決でも優勝したらしい」とか、たしかに親子といえば
        鮭とイクラが普通で、「全国唯一らしい」「酒のつまみにいい」と書いている人が
        いたり、「ご飯が少ない」とか賛否両論と答えが返ってきた。

        車窓を楽しみつつお弁当時間、棒鱈の煮物は濃いめの甘辛味、軽く焼いたたらこ、
        鱈の和え物や、わさび漬け風、小型のお弁当箱ですが、鱈の親子を堪能しました。
        駅弁は鉄道の旅の楽しみの上位なのだそうです。

 

 

          

            直江津駅で一緒になったご夫婦はここで下車、「お気を付けて」と声を
            かけていただいた、「お二人もお気をつけて旅をお楽しみください」

 

 

                 

                  金沢近くで見かけたのは新幹線工事でしょうか?

 

 

          

 

          

               黄金色の稲が初秋の青空に美しく映えていました

 

 

          

                 「はくたか」は快適でした

 

 

 

       

            直江津からちょうど3時間ほどで和倉温泉駅に到着

 

 

              

               温泉街はここからタクシーで10分はかからないとか、、、
               こんな景色を見て、ひとりで温泉地に来てしまって、
               失敗?と頭をよぎりました、でも澄んだ青空と、その先の
               海を楽しみに、タクシーに乗車したのでした。
              

 

 

 


上越 「光源寺」

2011-09-17 08:53:19 | 旅行

               「国府別院」を出て、流罪を解かれた親鸞の「喜びの表情」に
               出会うお寺「光源寺」に向かいました。

               4,5分歩くと、なんと前日道がわからなくなり、若い方にたずね、
               車で駅まで送っていただいた、見覚えのある交差点に出たのです。
               

 

 

           

                   光源寺はそこからすぐの所でした

 

 

                 

                      親鸞の弟子・最信によって開かれたお寺です
                      
                  木曾義仲の家臣であった堀徳兵衛光政は越後にやってきた
                  親鸞に深く帰依し、覚円坊最信という名をもらった。

                  流罪を赦免された親鸞はその後関東へ旅立つが、最信は
                  越後に残って草庵を結び「覚円坊」と称する。
                  これが光源寺の始まりである。

 

 

     

            荘厳な雰囲気の漂う本堂

 「野菊にも 配流のあとと 偲ばるる」  と詠んだ高浜虚子の俳句さながらの趣を今に伝える

 

 

                  

               本堂の内陣は本堂と御影堂を併設した珍しい配所ならではの様式
            
               御影堂の中央には「流罪勅免御満悦御真影」が安置されている。
               これは赦免の知らせを受けた親鸞が、その喜びの表情を自らの手で
               描いたと伝わるもの。

               左手を上にしていることから「左上の御影」とも呼ばれる。
               親鸞が着ている衣は、流罪中の着衣を仕立て直したものだという。

               光源寺は妻・恵信尼とのゆかりも深く、数々の宝物を今に伝えている。

 

                 

                       恵信尼座像  

              越後で暮らした20代後半から30代前半頃の恵信尼の姿といわれる

 

 

                 

                こちらにも「越後の親鸞七不思議」のひとつ「八房の梅」の碑が
                ありました。

 

 

                 

                     朝陽の木陰の鐘楼はなんだか神秘的でした

 

 

            流刑地であった越後には、親鸞にまつわる様々な伝承が残されている。
            中でも有名なのは七不思議、親鸞は県内各地を訪れて、人々に教えを
            説いたといいます。

            その際に起こしたとされる動植物の関する不思議な言い伝えは、
            親鸞の超人性、非凡性を感じさせ、人々が親鸞に何を期待してきたか
            いかに慕ってきたかをうかがうことが出来ます。

 

            上越市 居多神社に伝わる「片葉の葦」   
            阿賀野市 梅護寺に伝わる 「八房の梅」その他
            新潟市 西方寺の「逆さ竹」  親鸞が竹の杖を地面に突き刺して仏法を
                               説くと、杖から根が出て逆さの枝が生えたと
                               いう。
            阿賀野市 孝順寺「三度栗」 親鸞が焼き栗を埋めると芽が出て、年に3回
                              花が咲き、実を付けたという。
            南蒲原郡 了玄寺「繋ぎ榧」 糸で紡いだカヤの実の一粒を親鸞が埋めると
                              木が生え、小穴の開いた実がなるようになった
            阿賀野市 梅護寺「数珠掛桜」 親鸞が桜の枝に数珠を掛けて教えを説くと
                                花が数珠のようにつながって咲くように
                                なった。
            新潟市 田代家「山田の焼鮒」 あるとき食事に出された焼いた鮒を親鸞が
                                池に放した。
                                すると鮒が泳ぎだしたという。

 

           越後では初めて農民や漁民など、人間の生活の根本を支える一般の人々と
           ふれあうことが出来た。

           京都での生活が主に「消費生活」であったとしたら、越後で「生産生活」を
           知った。

           人間が生きるとは何かを、肌で感じることが出来たのではないか。
           つまり流人生活は親鸞にとって、「学び」と「深化」の時期だったと考えられる。
           
           もはや僧でもなく、だからといって俗人でもない、ただの愚かな自己(愚禿)
           と徹底して向き合った日々であった。

                 (「親鸞めぐり旅」 講談社より)

 

           流罪を赦免された親鸞は、新天地関東へと旅立つ、親鸞42才、胸には
           念仏布教への熱き思いがあった。

           関東の巡り旅もできたらと思いますが、その足跡は広い地域に点在しており、
           交通の便を考えると、難しいところもありますが、数カ所は行けそうです。
           その時はまた「親鸞めぐり旅」の続きとして見ていただけたら幸いです。

 

 

 

 


上越 「国府別院」

2011-09-17 07:30:52 | 旅行

                 前日夕方から夜にかけての雨も上がり、早朝から
                 強い日差しの中、運行の少ないバスの時刻表にあわせて
                 直江津駅バスターミナルに向いました。

 

                 

               前日の感じから思ったよりも近く、10分ほどで目的地に着きました

 

 

 

                 

 

           

 

 

                 

                親鸞は五智国分寺で紹介した竹之内草庵に1年ほど住んだ後、
                「竹ヶ前草庵」(たけがまえそうあん)に移り住んだ。

                草庵跡とされる場所に本願寺国府別院が建立された。

 

 

                 

                      居多ヶ浜に上陸した親鸞と弟子たちの像

 

 

        

          越後随一ともいわれる壮麗な本堂は総欅造りで1805年に建立されたもので、
          本尊の阿弥陀如来座像と親鸞聖人御影とを並べて安置する独特な様式。

 

 

 

         

        親鸞は関東に旅立つまでの間を、ここ竹ヶ前草庵で暮らし、妻の恵信尼との間に
        信連房らの子供が生まれ、家庭生活を営んだ。

        農民や漁民たちとの交わりから学ぶことも多かったであろう。
        そして思索にふけり己の信仰を深めていった。

 

 

                

              境内には親鸞が袈裟をかけたと伝わる「袈裟掛けの松」があったが
              残念ながら松喰虫被害によって伐採された。 跡に建てられた碑。

 

 

                           

              少し朝早い時間でしたが、本堂の中でお詣りさせて頂けるように
              お願いしてみればよかったと、あとで後悔しました。

 

 

 

               

                  参道を振り返りながら国府別院前の道に出ると、
                  ちょうど通学時間帯だったようでした。

                 地図によればこの道の先に次の目的地「源光寺」の
                 道に出ると思われるのですが。

 

 

 


上越市 「浄興寺」

2011-09-15 07:10:48 | 旅行

             「ゑしんの里」の新井駅から3駅直江津方面に戻った田駅で下車。
             

 

         

              田は寺町でした、ここから徒歩7分ほどのところです

 

 

               

                親鸞が関東に結んだ「稲田草庵」を受け継ぐお寺です

 

 

         

             本堂  江戸時代前期に建てられた、県内最大、最古の真宗本堂

          流罪を赦免された親鸞は常陸の国(茨城県)へと移り、稲田に草庵を結んだ。
          「教行信証」(きょうぎょうしんしょう)を完成させると、喜びのあまり草庵を
          「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」(かんぎゆやくざん)と名付けたという。
          略して「浄興寺」。

 

 

               

                      本尊・木造阿弥陀如来立像

             親鸞は60才の頃京都へ帰るが、その時寺を弟子の善性に譲った。
             寺は後に戦火を受け転々としたのちに、1737年頃現在地に
             再建された。

 

 

               

               数々の変転を辿りながらも、稲田時代からの親鸞ゆかりの
               貴重な遺品を数多く伝える。

 

 

               

              浄興寺が建つ田は、家康の6男・松平忠輝によって築かれた
              田城の城下町です。

 

               

                 木造聖徳太子立像は親鸞自作の像と伝えられる

 

 

               

                     お詣りをする人が絶えないそうです

 

 

         

                親鸞の頂骨が納められている本廟

          本願寺歴代門主や、親鸞を慕う50万人もの人々の骨頂も納められている

 

               

                   精緻な彫刻が施された本廟正門の唐門

             本廟は柏崎の名匠、篠田宗吉が棟梁となって6年の歳月をかけて
             完成させた。

 

 

               

                    越後の親鸞七不思議のひとつ「八房の梅」

               塩に漬けた梅を親鸞が植えると芽が出て、ひとつの花に
               8つの実を結ぶ梅の木になったという。

 

             骨頂や自筆の名号など貴重な遺品を今に伝える「浄興寺」でした

 

 

           

               浄興寺の近くにこんな案内板があり驚きました、寺院案内なのです。

               田城、城下町の寺町には60余りもの寺院が甍を連ねている。
               そして静寂な町並みは訪れるものを江戸の昔へといざないます

 

 

 


「ゑしんの里」

2011-09-14 06:58:32 | 旅行

                 「ゑしんの里」記念館、「恵信尼公廟所」に向かいます。

 

           

                     直江津駅で信越本線(各駅停車)に乗り換えです

 

 

           

                  こんな列車が来ました、昔の特急列車です

 

                 

                        20分ほどで新井に到着
                 駅から「ゑしんの里」までバスはなくてタクシーで10分ほど
                 列車の回数も少なくて、帰りの時間に合わせて、タクシーの
                 迎えも頼みました。

 

 

 

           

                   ゑしんの里記念館 (上越市板倉)
               親鸞と共に生きた恵信尼は晩年を越後で暮らした

 

 

           

                 記念館前の広場に出てみた、向こう似見える山は妙高山

 

 

           

                    87才の生涯を全うした恵信尼の廟所には

 

                 

                  六字の名号と共に恵信尼が建てたといわれる五輪塔が 
                  750年の歴史を経て静かに佇んでいます。

 

 

                     

              親鸞の妻、恵信尼は晩年を板倉で過ごし、この地で亡くなりました

 

           

                     広い庭に出てみました

 

                  

                   廟所として整備される前に、樹齢六百年とも推定される
                   「こぶし」の木が残っていた。

 

 

         

             こぶしの木が植えてあるという小さな丘に登ってみた。
             秋の風情のこの丘で美しいこぶしの花が咲く頃を想像してみた。

 

 

         

               ここでこぶしの花が見られるという

 

           

                     ご本尊の両脇に

 

                 

                         こぶしの花です

 

 

                      

                    恵信尼に関する資料を展示するミュージアム、
                    恵信尼に関する絵像や書状など貴重な資料が
                    展示されている。

 

           

                  慈愛に満ちたほほ笑みを浮かべる晩年の恵信尼

             恵信尼の生涯は、流罪となった親鸞を支え、東国に移住してからは
             各地を転々とし、50才から60才頃、関東から越後に移ったといわれる。

             実家は越後に領地を持つ家柄、領主として年貢を取ったり、抱えている
             使用人の世話をしたりする必要があったと推察される。

             恵信尼は子や孫たちの世話をしながら、87才で没するまで、たくまし
             過ごした様子がうかがわれます。

 

 

                  

                  寒い夜、親鸞や子供達に文をしたためる様子でしょうか

 

               「ゑしんの里」を訪れたのは、東京を発ったその日の朝でした、
               翌日火曜日は(6日)ここが定休日と知り、直江津に着いた
               朝9時過ぎに、すぐ向かったのです。
               
               ここでお昼を済ませてから、直江津に戻る途中の田にある
               「浄興寺」に向かう予定でしたが、生憎この日は貸し切りで
               食事ができませんでした。

               その石川県からの団体さんが、「浄興寺」で出会い、居多ヶ浜で
               出会った人達だったのです。

 

              電車やバスの回数が少なく、思ったように移動ができない旅ですが、
              列車やバスの時刻表を見て予定を立てての移動は、旅ならではのこと、
              東京にいて、3~5分待てば次の地下鉄が来るような生活とは違い、
              ゆったり流れる時を感じるのも旅の楽しみのひとつと、あらためて
              感じました。

              「浄興寺」に向かうため予定通りの列車で田駅に向かいます。

 

 


上越市 「五智国分寺」

2011-09-12 07:35:27 | 旅行

               流罪によって僧籍を奪われた親鸞はもはや僧でもなく、
               だが俗人でもないと、「非僧非俗」と「愚禿」(ぐとく)を名乗った。

               初めに参拝したといわれる「居多神社」から徒歩で5,6分の
               ところに、最初に住んだ竹之内草庵跡が残る「五智国分寺」は
               ありました。

 

                

                     ひっそりとして人影もありません

 

                

                     趣のある山門を入ります

 

           

                   正面に本堂  

          本尊の五智如来(阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、宝生如来、釈迦如来)を
          安置する。    五智国分寺の寺名は、この五智如来に由来する。

 

                 

                  親鸞が最初に住んだ「竹之内草庵」が見つかりました

                  流刑により僧籍を剥奪された親鸞は「藤井善信」(よしざね)と
                  名乗らされて、国府の代官の監視下におかれた。

 

                      

                    再建された草庵、草庵は孟宗竹で骨組みを作り、
                    その葉で屋根や壁を作ったことから、「竹之内」と
                    呼ばれたと伝えられている。
                    親鸞はこの草庵で約1年を過ごしたという。

 

 

                

                    草庵に安置されている「親鸞聖人座像」は親鸞が
                    自ら刻んだと伝わる。

 

 

                

                         旅姿の大きな親鸞像

 

 

                 

                           三重塔

 

                 

                       上越市内最古の建物 「経蔵」

                 歴史ある建物が佇む広い境内に、しばらくいた間に
                 地元の人らしい2~3人が通過したのみで、静かすぎる
                 くらいでした。

 

 

                 

                 こんなのぼりが見えたので、ひと休みできるかしらと
                 行ってみましたが、ここも人気無し、お店は閉まっていました

                 
                 居多神社と同じく当時の寺は海岸近くにあったとされます。
                 現在は高台の静かな住宅地でしたが、道を歩いても人影が
                 本当に少ないのです。

                
                 お詣りを終えて、夕方になり、あと2寺行きたかったのですが、
                 時折降る雨が激しいこともあり、途中まで歩いたのですが
                 イラストマップでは方向もわからなくなり困りました。

                 誰も歩いている人はいなく、バス停を見つけても1日に数本しか
                 通らないところ、夕方からは一本もありません、心細くなり
                 住宅地の信号で止まったバイクの若い男性に、タクシーを
                 呼びたいけど、このあたりの住所か、目印になるところ聞きました。

                 そうしたら「家が近いから車に乗り換えて駅まで送ります」と
                 いわれ、仏様に会った気分でした、間もなく来てくれて、
                 直江津駅まで送って頂きました。

                 翌日目的地のお寺さん行ったらその交差点からすぐでした、
                 上越市国府「光源寺」さん近くから直江津駅まで送ってくださった
                 若い方、有り難うございました。   
                 ホテルに戻る頃には土砂降りになりました。
                 

 

 


親鸞めぐり旅  ー上越・直江津ー

2011-09-11 16:02:10 | 旅行

                4月に「親鸞めぐり旅」 ー誕生の地 京都ー から始まり、
                専修念仏禁止の弾圧により越後に流刑となった親鸞が
                京都を発ち、越後で上陸した居多ヶ浜とそこでの生活など
                知りたくて直江津に行くことにしました。

 

                

                    居多ヶ浜(こたがはま)の高台の小道を行くと

 

         

         流罪となって僧籍を奪われた親鸞が上陸したと言われる直江津の居多ヶ浜。

         9月5日、この日は台風の余波で風も強く、時折雨が降る日でした。
             

 

               

                      居多ヶ浜に上陸したときの親鸞は35才

 

 

               

                      念仏発祥の地の石碑もあり

 

 

               

                   高台に「見真堂」(けんしんどう)がある

 

 

               

             聖徳太子が建てた法隆寺夢殿にならって八角形に作られたという

 

 

               

              堂内には親鸞の座像が安置されている(少し厳しい表情でした)

 

              親鸞も聞いたであろう波の音に耳を傾け、海風に吹かれながら
              ゆっくり思いを馳せられるところです。

              高台から居多ヶ浜が一望できる場所なのです。

 

 

               

               ここにも”片葉の葦” 風になびいて寄っているのではなく、
               片側にしか葉が無いのです。               
              (越後の親鸞七不思議のひとつ、いわれは居多神社で説明します)

 

               直江津からバスの回数も少なく、静かな場所のはずが、
               観光バス2台の年配の女性ばかりの団体に遭遇!
                 (私が入ってもわからないような年代のグループ)
            
              乗り物の回数も少なく、都合でこちらに行く前に、信越線列車で
              降りた駅からタクシーでなければ行けない「ゑしんの里」で出会い、
              さらに信越線の別の駅から行くお寺さんでも出会っていた団体
              だったのです、ですからここは3度目、旅行社の人らしき男性が
              ”行く先々でお騒がせしてすみません”と声をかけられました。
              こちらは1人旅ですから、気がついたのでしょう。
              

 

                    

                    石川県のお寺の信者さん達のようでした

 

              親鸞の越後、居多ヶ浜で1人静かに、とはゆきませんでしたが
              1207年春上陸した親鸞は、越後でどのような生活を送って
              いたのでしょうか。

              上陸した親鸞が、まず参拝したといわれる、越後の一の宮である
              居多神社にいってみました。

 

 

           

              居多ヶ浜から6~7分のところの「居多神社」

 

                 

                        二ノ鳥居の奥の社殿

 

 

                 

                          親鸞聖人像

                 親鸞は海面に輝く夕日を見ながら日の丸に6字の名号
                 (南无阿弥陀仏)を書き、歌を詠んだといいます。

                   すゑ遠く法を守らせ居多の神
                        弥陀と衆生のあらん限りは

                 神社にはこの親鸞自筆と言われる「日の丸の名号」が
                 伝わっている。

 

           

               また親鸞が神社に祈願すると、周囲の葦が感化されて、一夜にして
               片葉になったという話が残る。

               現在も神社に群生して親鸞の威徳を伝えている。

 

 

                 

                    居多神社に800年の年を経て伝わる”片葉の葦”

 

                 一般的に流人は、1年目は米や塩が与えられるが、その後は
                 種のみ与え、自給自足の農耕生活を送らなくてはならないと
                 されている。

                 だが親鸞には要職を務める伯父や、越後に影響力を持つ豪族の
                 義父がおり、援助を受けることができたようだ。

                 一方で尊敬する師・法然や、切磋琢磨してきた同士たちから
                 引き離された悲しみや苦しみはいかばかりであっただろう。

                 しかしそうした孤独が親鸞を鍛え、自己に沈潜する契機となる。

 

 


台風接近中の熱海

2011-09-03 06:51:57 | 旅行

               台風12号が日本列島に向かって近づいていた31日に
               息子夫婦といつものホテルに1泊の予定で熱海に出かけた。
               東日本に上陸するかも知れないという予報は気になっていたけど
               予定通り午後東京駅を出発。

 

         

           東海道線根府川駅で少し停車、外に出てみた、どんよりした空模様でした

 

 

         

                  狭いホームに上り列車も到着

 

 

          

          途中横浜から息子夫婦が乗車して、東京駅から2時間ほどで熱海に到着
          熱海駅には伊豆急下田行きが停車中、旧地下鉄日比谷線(東急)の
          車両だそうです。
           

 

          

              ホテルの部屋から眺めたら、台風が接近中の海は荒れ模様でした

 

 

          

          

          

             ホテルの前は車専用道路、夕方には通行止めになりました。

             しばらくすると波の音にも慣れ、温泉を楽しみました。

 

 

         

               歩行者用出入り口は屋上(10階)  朝、雨は上がっていました

 

 

 

                

                        散歩に出てみました

 

 

          

                 お宮の松がある熱海海岸ここは海水浴場になっています

 

 

          

                 初島や大島に向かう船が出るあたり    

 

 

          

             駅まで向かう送迎車で、仕事の連絡が入った息子は急ぎ帰宅。
             私達は、館内で見かけたポスターの「起雲閣」に行ってみることにしました。

 

             台風は相変わらずのろのろ日本列島に接近中の様子でしたが、
             晴れたり、急に降り出したり、めまぐるしい天気の1日でした。

 

             台風12号は今朝高知県室戸岬沖に接近中、暴風域が広いです。
             広範囲に大雨の心配があるそうで、接近中から雨が多かったので、
             被害が心配されています。
             願わくば被害少なく、早く通過して欲しいです。

 

 


「日光の旅」のまとめ

2011-07-24 08:50:51 | 旅行

                      「日光の旅」をまとめてみました。

 

                    

            日光山「輪王寺」では修理中の「三仏堂」の地上26mの空中散歩で
            屋根の高さまで上り思いがけない光景を目の当たりに出来ました。

 

                     

                        そして「東照宮」へ

         

            「三猿」の「神厩舎」の前を通り日暮門「陽明門」に感動して

 

      

                 日光で名高い「猫と雀」の彫刻の下を通り

 

        

            坂下門から200段を少し帰りを心配しながらも静寂と緑を楽しみ

 

         

                               奥宮に詣で

                       

                     杉の大木の参道を通り「二荒山神社」にお参り

 

                 

                     「この先が滝尾神社」かしらと思いつつ
                     かなりの距離があるので、今回は通過して
                
                     「大猷院」へ

 

         

         「仁王門」を潜り、見上げたのは「二天門」、ここも通り、次の階段の上は「夜叉門」
         「唐門」を潜り「拝殿」で参拝、「皇嘉門」を見学して下山

          

                 あまり人気のない帰り道、ひたすら階段を下り

 

                

                  小道の先には何が?と思いつつ下り階段に疲れ通過

 

               「大猷院」を下るとそこにバス停を見つけ世界遺産巡りバスで
               日光山を後にしました。

 

                

                  美しい赤い橋「神橋」の所でバスを降りて見学後、
                  お昼には遅い時間で空腹に気がつきここからすぐの
                  「金谷ホテル」でひと休みしようと坂道を登りました。

 

          

 

          

           フロントに人がいないわけではありません、写真を撮っていいか聞いたら
           女性がカウンターの下に引っ込んでくれました「そのままでよかったのに、、」
           ちょっと恐縮しちゃいました。

 

          

           有名な外国人も多く宿泊したといわれるホテル、落ち着いた雰囲気です

 

                

                  ウイークデイの午後お茶の時間でしたから
                  食事ができるのは、カフェでした。

 

           

                サンドウイッチかカレーだったので、カレーの3種類の中から
                ”鴨肉カレーセット”をチョイス、サラダが食べ終わる頃に
                カレーが運ばれました、ここのカレーは有名なのです。
                カレーソースは美味しかったけど、鴨にしたのにちょっと後悔!

 

           

                     アイスクリームとコーヒーもセットでした

 

 

                 

                    「金谷ホテル」を後に日光の街にでました

 

 

                   駅に戻る道で、名物の日光羊羹をおみやげに買い
                   日光の旅は終わりました。

                   帰りは手持ちの乗車券に特急券を買い指定席で
                   少し疲れた体を休めながら旅の余韻と車窓を
                   楽しみました。

 

 

 


日光山輪王寺「大猷院」

2011-07-22 09:12:33 | 旅行

                 「大猷院」(たいゆういん)は徳川三代家光公の廟所です。
                 境内には世界遺産に登録された国宝・重要文化財が
                 杉木立の中にひっそりと佇んでいます。

                 先祖である「家康公の廟所(東照宮)をしのいではならない」
                 という家光公の遺命により彩色や彫刻は控えめに造られたが
                 それがかえって重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 

                 

                       まず見えてきたのは「仁王門」

 

 

                 

                  仁王門を潜り左に折れると大きな二天門が見えてきます

 

 

 

        

          杉木立に映える美しい門です、楼門下層正面左右に持国天、広目天を安置
          していることから「二天門」といわれます。

 

               

                均整のとれたこの美しい門は上部分と下部分の色彩が
                著しく異なる、日光では他に例のない建物だそうです。

 

 

               

 

               

 

               

 

         

 

         

                背面の風神雷神像

 

 

 

            二天門の前で振りかえるとこんな美しい眺めでした

 

 

               

               二天門を潜り続く石段を左手に曲がり次に見えてきたのが
               霊廟への最初の入り口となる「夜叉門」です。

               切り妻造りで正背面に軒唐破風を付けた落ち着いた造りながら
               鮮やかな色彩が目を引く華やかな門。

               正面背面に「四夜叉」を納め霊廟の鎮護に当たります。

 

 

                

                      「夜叉門」を潜ります

 

 

  

               背面の二夜叉

 

 

           

              拝殿の前、大猷院の中心に位置するのが「唐門」

 

           

                 繊細な彫刻にも気品が感じられます

 

 

           

                  拝殿

 

           

            本殿の最奥部「厨子(御宮殿)の中に宝物殿「家光公座像」と「御位牌」
            その前に家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が安置されています。
            拝殿の内部は金箔が施され、金箔玉楼となっています。

            寺院は本尊が南を向くのが定式で、家康公の廟所東照宮もそのような
            造りになっています。

            ところが大猷院の本殿は東北(鬼門)を向いている、これは家光公が
            「死して後も朝夕、東照大権現の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も
            東照宮の方へ向けてあるといわれる。

            それでは大猷院のご本尊はどちら向きかと言いますと、本殿奥壁の裏に
            実はもう一つの部屋が設けられ、そこに「釈迦如来三尊画像」が後ろ向き
            (南面)に掛けられています。

            定式と遺言のどちらにも沿う妙案といえるでしょう。

 

 

 

           

                    皇嘉門 

              本殿の後ろ大猷院の最も奥に位置する家光公の廟所へ入る門。
              中国明朝の建築様式を取り入れたその形から一名「竜宮門」とも
              呼ばれている美しい門、門の天井には「天女の画像」が描かれている。
              門の名前は「陽明門」と同じく宮中の門の名前を戴いているそうです。

              22年が家光公360年遠忌と世界遺産登録10周年記念で本殿と
              共に公開されていたようですが残念ながら公開は終了していました。

 

 

             

              「二天門」の所まで戻り振りかえるとこんな景色が見えました
                (好きな写真になりました)

 

 

   

         輪王寺 「大猷院」 前回訪れたときは1月の寒い日でした、雪が残る境内にも
         拝殿にも人影がなく、し~んと静まり、寒さと寂しさに足早にお詣りを済ませた
         覚えがあります。

         今回は梅雨の真っ只中6月でしたが晴れ間も見えて、参拝客もかなり多く、
         杉木立や木々の新緑が美しい季節でした。
         日光山全体が「世界遺産」、多くの国宝や重要文化財などゆっくり見ることが
         出来ます。
         次回は紅葉の季節がいいかしらなんて思いつつ日光を後にしました。