しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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増上寺

2011-03-30 07:08:59 | Weblog

               港区芝の「増上寺」、この辺りは私の生まれた場所に近く、
               祖母が住んでいたことで増上寺がある芝公園辺りで遊んだ覚えもあり、
               懐かしい場所です、久し振りに出かけてみたくなりました。

 

 

                  

                増上寺大門  大江戸線の大門駅を北に向かうとすぐ見えます

 

 

 

         三解脱門(さんげだつもん)  威風堂々とした姿を見せる三解脱門(三門)、増上寺が
         江戸の初期に造営された当時の面影を残す唯一の建造物で国の重要文化財です。
   
         三解脱門は三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門、大門から煩悩の数と同じ
         108間のところにあるとか、、、

 

 

 

           

                上層部には中央に釈迦三尊蔵と十六羅漢像が安置されています

 

 

        

            鐘楼の脇に枝垂れ桜が咲いていました、そして東京タワーがすぐ近くです

 

 

          江戸の川柳に「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」
                   「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」
                   「西国の果てまで響く芝の鐘」などと謳われ江戸っ子鐘と親しまれていた。

 

 

       大殿(だいでん) 

      沿革によりますと 三縁山 広度院 増上寺は浄土宗の大本山です  明徳4年(1393)の創建、
      徳川家康公入府とともに、慶長3年(1598)現在の芝の地に移転、江戸時代に入り、徳川家の菩提寺となり、
      常時3000名の僧侶が修行に励む寺院となりました。

      明治時代の廃仏毀釈、大火による本堂の焼失、大正期に復興も試みられたが、一部を残して
      昭和の戦火により焼失しました。
      昭和46年より本格定な復旧が始まり、49年に大殿が完成しました。

 

 

           

                 ご本尊は阿弥陀如来

 

 

        

              本堂で法要が行われていなければ写真撮影できました

 

 

                     

                           宗祖 法然上人像

 

 

                     

                           高祖 伝道大師像

 

 

                  

                         大殿の正面

 

 

               枝垂れ桜越しの大殿

 

 

                    

                         枝垂れ桜越しの東京タワー

 

 

        この日東京で開花宣言のあった染井吉野はまだつぼみも硬く、枝垂れ桜に心洗われました

 

 

           

             平成23年法然上人八百御忌を記念して22年に完成した新安国殿

 

 

           

                秘仏黒本尊  家康公が深く尊崇した阿弥陀如来像(恵心僧都作)

 

 

           

                  千躰子育地蔵尊

 

 

           

                   整然と並んだお地蔵さま

 

 

                  

                       西向観音像

 

 

                  

                  お地蔵さまに優しい桜の風が届き、穏やかな時の流れが
                  心地よい境内に、間もなくたくさんの染井吉野も咲きます

 

 

 

           

                安国殿裏手の徳川家の墓所  6人の将軍と皇女和宮(静寛院宮)
                各公の正室、側室、子女多数が埋葬されています

 

 

          

             四菩薩像    左から文殊菩薩、虚空像菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩

                       それぞれ卯年、丑虎年、子育て、辰年のお守り本尊

 

 

        

            もとはこの場所の北西、地蔵山に安置されていた、西向き観音像に対し
            東向きであった、正嘉2年(1258)の作と言われる古像です

 

 

 

           

                      光摂殿(こうしょうでん) 

              「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂 、道場(2000年に完成)
              大広間の格子天井には、日本画壇の画伯達が描いた草花図が
              はめ込まれています、残念ながら公開の時期は決まっているようで
              見られませんでした。

 

 

           

                   経蔵  慶長10年(1605)に創建された白壁土蔵造り

 

 

           

                   慈雲閣

 

 

           

            青空にのびる大殿と金色の鴟尾そして東京タワー、増上寺のどこからでも
            目に入るタワー、スカイツリーに高さで負けたけど青空に突き刺さるように
            延びたその姿はやっぱり貫禄があり、東京のシンボルです。

 

 

           

               黒門  増上寺旧方丈門  増上寺方丈(庫裏)の表門であったので
                    方丈門と呼ばれ、全体が黒漆塗りだったので黒門とも呼ばれた

 

 

                

                     特別展「五百羅漢ー増上寺秘蔵の仏画」が
                     江戸東京博物館で開催の予定でした

                     展示見学と見どころ解説を申し込んでいました
                     この時期だから仕方ないことです

 

 

                

                  大殿入り口にこんなパンフレットが貼ってありました
                  確かに現在放送中のNHK大河ドラマの主人公ゆかりの
                  場所でした。

                  芝 増上寺  都会の真ん中にあり、歴史あるそして
                  私には懐かしいお寺さんでした。
                   
                  このあと芝界隈の散策を楽しみました。

 

 

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熱海温泉

2011-03-28 06:59:13 | 旅行

              息子夫婦に誘われて1泊ですが熱海の温泉を楽しみました。
              この時期にとも思ったのですが、2月末に決まっていたことなので
              3人で行くことにしたのです。

 

 

           

               列車の旅好きが高じて旅行社を始めてしまったほどですから、 
               新幹線でなくて、のんびり東京駅から「快速アクティー熱海行」に
               2人は横浜から乗車でした

 

 

           

            「 リゾーピア熱海」今回は2回目、熱海東海岸のリゾートホテルです

 

 

           

               8階の部屋から向かいに初島が見えます、今回海を見る気持ちが
               少し違いました、大好きな海ですが、怖い現実を見たばかり、
               恨めしくも見えた美しい海でした。

 

 

           

                 高速艇が入港するのが見えました

 

 

           

                  大島からかしら?それとも初島から?

 

 

           

                浮いているように見えます、私が温泉に入っているあだに
                息子が撮っておいてくれた写真です

 

 

                 

                       こちらが温泉、もちろんオーシャンビューです

 

 

           

                翌朝 いつものように早く目覚めたので外に出てみました

 

 

                 

                      朝陽です 

 

 

           

                 早朝、漁に向かう船でしょうか、穏やかな海です

                温泉に入り、息子夫婦が視察で訪れた台湾をぐるっと1周した
                列車の旅の話や、映像を夜の更けるまで楽しんだ一夜でした。

 

 

           

                  熱海駅前の展示列車

 

 

           

              熱海駅の裏手高台の景色、一番上のMOA美術館には前回行きました

 

 

           

             今回は駅近くのお店を巡り干物など買っただけで帰宅することにしました

 

 

                   

                        こんなところがありました

                   手湯「福福の湯」 手を浸し温泉の暖かさを感じて
                   幸せになって下さいと書かれてありました。

                   熱海市の源泉数は500ヶ所、平均温度は約63度
                   高温泉の数は、東日本の温泉地で一番多い
                   地域だそうです。

                   このモニュメントは熱海市在住の彫刻家、三澤憲司氏の
                   作品だそうです。

                   この日は熱海の観光もなしの午後早めの帰宅でした。

 

 

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三月大歌舞伎

2011-03-26 06:35:23 | Weblog

             「三月大歌舞伎」は今日26日千穐楽を迎えます。

             22日にお誘いを受けて久し振りに素晴らしい舞台を楽しみました。
             歌舞伎に詳しいわけではありませんので今回はしっかり解説を聞きながら
             観劇しました。
             あらすじを知っている演目と、私でも知っている有名な役者さん達の出演で
             とても楽しめました、少し紹介しましょう。

 

 

           

            11時開演前の列、三月大歌舞伎も公演中止した日もあり少々の混乱も、、、

 

 

           

                 歌舞伎座は新築中、新橋演舞場での公演でした

 

 

                 

                      親子出演も何組かでした

 

 

           

                 出演の役者さん達の顔ぶれを見ただけででわくわくします

 

 

           

                     「恩讐の彼方に」

            主人公は松緑、染五郎、菊之助など若手の役者さん達。

            旗本の中間市九(松緑)主人の愛妾お弓との不義が露見したはずみから
            主人を殺してしまい、お弓(菊之助)と江戸を出奔。
            2人は峠で茶屋を開きながら、夜は強盗を働きくようになり、良心の呵責に
            さいなまれ続ける市九は、九州の耶馬溪で出家、了海と名を改め難所の
            岩壁を掘って道を作る決心をして20年余り、衰えながらも岩に挑む了海の前に
            現れたのが、亡き父の敵市九を捜す実之助・・・

            可憐な女形をを演じる菊之助が妖艶な悪女お弓を演じ、迫力がありました。

            大分県耶馬溪に残る”青の洞窟”の由来記を題材にした菊池寛の初期の傑作。

 

 

           

            2作目(右)は  六世 中村歌右衛門十年祭追善狂言 
            「伽羅先代萩」 (めいぼくせんだいはぎ)  「御殿  床下」

            お家横領を企む仁木弾正(幸四郎)らは、幼君千代の命を奪おうとしますが、
            乳人政岡が我が子千代松と共に若君守護につとめるお話し。

            有名なお家騒動ですが、六世歌右衛門の当たり役のひとつで女形の大役政岡に魁春、
            八汐の梅玉をはじめ所縁ある顔ぶれが揃い名優を偲びます。


            花道の大見得を切る場所に近い席でした、弾正の幸四郎が、つかつかと花道に出てきて
            何も言葉は発せず、表情と所作で演技をして引っ込む場面は圧巻でした。

 

             3作目(左)は  曽我もよう侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)
                          御所五蔵

             任侠の御所五蔵(菊五郎)は元浅間家の家臣。元皐月との不義を
             星影土右衛門(吉右衛門)に密告され、主家を追われました。
             五蔵がその土右衛門と五条坂中之町で鉢合わせをするお話。

             江戸の粋な魅力漂う、河竹黙阿弥ならではの七五調の台詞のやりとり、
             歌舞伎の様式美溢れる名場面の数々でした。

 

 

                  

 

 

           

             この花道の横、前から4席目、舞台に着く前に花道で見得をきる場所で
             有名な役者さん達がほんの2メートルほどのところで、息づかいも聞こえる
             ような席でしたから、感激でした。

             私には鬼平でおなじみの吉右衛門氏がすぐ手の届くようなところでの演技に
             わくわくしました。   

 

           

            歌舞伎座より少し狭めでしようか、数日公演を中止したそうですが、
            この日はほぼ満席のようでした。

            11時から始まった公演は、昼食と休憩をはさみ終わったのは、
            午後4時頃だったでしょうか、歌舞伎の公演は結構長いのです。

            今回は前日にお誘いを受けたピンチヒッターの2人でしたから、
            お昼の予約もしなくて、お弁当やおやつ持参でした、ピンチヒッターとはいえ、
            歌舞伎を教えていただいたkiyさんとでしたから、内容のお話しもできて
            勉強になりました。
            最近は欧米でも人気の日本を代表する伝統文化を満喫出来た日でした。
            そして歌舞伎のすばらしさをあらためて認識した日でした。

 

 

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癒しのひととき

2011-03-23 08:57:07 | Weblog

             家に閉じこもりがちでしたが、お彼岸に墓参に出かけて少し気分転換になりました。
             満開の大寒桜の蜜を吸いに集まった小鳥たちの声に癒された、青空がきれいな朝でした。

 

 

  

         ソメイヨシノより少しピンクがかっているでしょうか大寒桜が満開になっていました

 

 

            数えてみたら20羽近い小鳥の賑やかな声が響いています

 

 

           

                     小鳥たちの朝食の邪魔をしないようにそっとのぞきます

 

 

           

                  こちらは寒緋桜 下向きに咲きます

 

 

        

                  見上げた方が花がよく見えます

 

 

 

           

                   こちらは河津桜、まだ若木ですが満開です

 

 

           

              ため息の出るような美しさでした

 

 

           

                          枝の先まで開いています

 

 

           

                           少しの風で散ってしまいそう

 

 

 

           

             まだ咲きはじめのゆきやなぎと辺り一面春の香いっぱいの沈丁花

 

 

 

 

               サンシュウの木はのびのびと枝を伸ばし、花を沢山つけました

 

 

           

                       ”もう春ですよ~”

 

 

             

                     沢山の”顔”にも出会いました

             
             
             

                  「なになに」 「どれどれ」 「だ~れ」なんて聞こえてきそう

 

 

                 

                        こちらにも精一杯お日様に向かう顔が、、、

 

 

             
                        
           

                      花壇には春がいっぱいでした

 

 

                

                        ムスカリも

 

 

                

                  デージーの間からから顔をのぞかせているのは誰?

 

 

                

 

            

                 公園の花壇の花も美しさを競っているよに見えます
                 
              美しい花を見せてくれてありがとう!思わずつぶやいていました

 

 

               

                    木々の間に白い花を見つけました

 

 

               

                     咲き始めました白木蓮です

 

 

               

                    似ている花ですがこちらはこぶし(辛夷)の花

 

 

                

                     小さな釣り鐘形の花はトサミズキ

 

 

        

               小道の右が梅の花左は寒桜のトンネルです

 

         沢山花を見て、香りを楽しんで、帰る頃にはすっかり元気になっていました。

 

 

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山王日枝神社

2011-03-21 07:23:30 | Weblog

                  妹の休日に合わせて赤坂見附で待ち合わせたのは3月9日でした。
                  よく出かけた赤坂でしたが、日枝神社は久し振りでした。

 

                 

                     日枝神社の参道は何カ所かあります

 

 

           

                     少し高台にあります

 

 

                 

                     稲荷参道を行きました

 

 

           

                   社殿      まずはお詣り

             
             日枝神社の大祭は徳川時代江戸城内に入れた神輿を三代将軍以来歴代将軍が
             上覧する「天下祭り」として盛大に行われ、深川富岡八幡宮、神田明神と共に
             江戸三大祭と言われています。

 

 

           

           さらに京都の祇園祭、大阪の天満宮祭りと共に日本三大祭にも数えられます

 

 

          

                 神門

 

 

          

                    神門から続く参道をでると永田町界隈も近いです

 

 

 

          

                    さざれ石

             国歌に詠まれている”さざれ石”です  由来を読んでみました
             
             石灰石が雨水に溶解しその石灰分を含んだ水が時には粘着力の強い
             乳状態となり地下で小石を集めて大きくなる。
             やがて地上に出て長い年月を経て(千代に八千代に)さざれ石巌となり
             苔むすようになるめでたい石になるそうです。

 

 

          

               外堀通りにでる参道には上りエスカレーターが完備されています
               こんなに立派な山王橋になっていました

 

 

                 

              この参道を下りて外堀通りを渡りTBSテレビの方向に向かう道は
              山王下通りと言っていました、昔は山王日枝神社の参道だったのでしょう
              ちょっと懐かしいTBS辺りはまた次回案内することにしました。

 

 

 

 

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東北大地震

2011-03-14 18:29:36 | Weblog

                東北地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

                自然災害の恐ろしさに、ただ唖然とするばかりでした。
                テレビの画面を見ていても祈る気持ちでした。

                昨年1月に仙台から仙石線で石巻を訪ねたのです。
                仙台から松島を通り石巻まで車窓からのながめを楽しみ、
                美味しいお寿司も忘れられない味でした。
                タクシーの運転手さんも石巻をうんと自慢していました。

 

 

           

 

                  テレビで刻々と伝えられる情報に見入っていましたが
                  現実に起きていることとは信じられない光景でした。

          
               復興を信じて、頑張ってください、またいつの日か訪れたいです。

 

 

 

 

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特別展  「仏教伝来の道」 平山郁夫と文化財保護

2011-03-11 08:20:06 | Weblog

                第二部  文化財保護活動の結実  「大唐西域壁画」

 

 

                

           2001年奈良・薬師寺の玄奘三蔵院に、大唐西域壁画奉納された。

           構想から20年以上にわたる期間を要し、37メートルにもおよぶこの壁画は、
           玄奘三蔵の求法の旅を重ね合わせて、ひとと自然とが調和し、時間と空間が一体となった。

           いわば理想郷の姿が象徴されているようである。

           世界平和を願い、文化財保護に情熱を傾注した平山郁夫氏の様々な活動や思いが

           集約された大作である    (図録より)

 

          

           西ノ京 薬師寺の興楽門を出ると向かい側にあるのが玄奘三蔵院伽藍 

           1月9日に訪れた時、5日までの公開を終えすでに国立博物館に送る準備中
           だったのでしょう。
           玄奘塔の内部は拝観したことがありますが、大唐西域壁画殿はこの奥です。

 

 

 

         

                奈良 薬師寺玄奘三蔵院 大唐西域壁画殿

 

 

         

           内部  全七場面からなる壁画です 「西方浄土須弥山」  (220x964.8)

          壁画殿北面中央に掲げられたこの「西方浄土須弥山」は本尊という設定です
         
         平山氏は壁画殿の本尊としてヒマラヤ山脈をモティーフに選んだ、昭和56年12月に
         標高4千メートルのエベレストビューへの取材を敢行している。
         高山病に悩まされながら、ヤクに乗るなどして目的地に到達し、世界最高峰の勇姿を
         目の当たりにしている。
         なお昭和59年の玄奘三蔵院起工式の折りに掲げられた大下図では、画面右下に
         ヒマラヤの峠を越えるキャラバンを描いていたが、説明的になるのを避け、完成では省略した。

 

 

        

             左右の両脇侍は「高昌故城」「バーミアン石窟」

 

 

               

                    「明け行く長安大雁塔」  中国  (220x261)

            大雁塔は玄奘三蔵がインドから持ち帰った膨大な軽論を火災や散逸から
            守るために、長安大慈恩寺の境内に築造された煉瓦の塔です。
            創建当時は五層で現在の大雁塔は明代の修築で七層になっている。

            壁画全体の構想からいえば、本画面は玄奘の旅の出発点にあたる。
            大雁塔は玄奘の帰国後に建てられ、後世の七層の姿で表されている。

            平山氏はこのモニュメントを玄奘の象徴として旅立ちの画面に相応しいよう
            燦然と輝く朝陽の中に描き出した。

 

 

        

                 「嘉ヨク関を行く」  中国     (220x582)

          嘉ヨク(山へんに谷)関 黄河から敦煌にいたる河西回廊の万里の長城の
          西端を守る城塞として明代初期(1372年)に造られた。
          玄奘が西へ向かった折にはこの関はなかったわけだが、平山氏は唐から
          出国を象徴する場所として、度々訪れた同地を描いている。

          画面後方、山脈の雪は壁画であることを考慮して大理石から組成された
          方解末を用い、画面左の狼煙台に続く道の部分に、壁画と、玄奘三蔵と
          薬師寺と画家の一体化を念じて、薬師寺の庭土が塗り込められている。

 

 

        

              「高昌古城」  中国     (220x522)

          高昌はシルクロード要衝の地として繁栄した都市、西域に向かった玄奘は
          ここへ立ち寄り、国王の麹文泰から手厚く遇された。
          城内には50あまりの寺院が存在したと「大唐西域記」には記されている。
          その後玄奘がインド歴訪を終え同地を訪ねた時には、高昌はすでに唐に
          滅ぼされたあとだった。
          そのため玄奘は「大唐西域記」で「高昌故地」という表現を用いている。

          平山氏は当初、幻の都・楼蘭をモティーフに下図まで製作したが、玄奘が
          同地へ立ち寄ったのがインドからの帰路であったことから、変更して高昌を
          描くことにした。

          壁画殿の本尊である「西方浄土須弥山」の青と白の冴えをいっそう
          浮き立たせるため、脇侍に当たる「高昌故城」と「バーミアン石窟」では、
          ベースとなる色を砂漠の金茶と黄土色で統一したといいます。

 

 

        

               「バーミアン石窟」  アフガニスタン   (220x522)

           (この「バーミアン石窟」との間に「西方浄土須弥山」が入ります)

         アフガニスタンのバーミアンを玄奘が訪ねた時は、伽藍数十ヵ箇所、僧徒数千人と
         仏教が盛んで「信仰に篤い心はことに隣国より甚だしい」と「大唐西域記」に記されている。
         渓谷の断崖には無数の石窟が掘られており中でも高さ55メートルの大仏は金色に
         輝いていたと玄奘は伝える。

         平山氏の度重なるシルクロードへの旅はこのバーミヤン訪問から始まった。
         そこで目の当たりにしたのは東西文明の壮大な交流の跡であり、さらなる探訪の旅へと
         駆り立てることになった。

         バーミアン大仏がタリバン政権により爆破されたのは、「大唐西域壁画」が完成して
         間もなくのことでした。

 

 

        

                「デカン高原の夕べ」   インド     (220x582.6)

         「大唐西域記」によれば、玄奘は南インドや西インドまで足を伸ばしたと伝えられている
         平山氏もまたインドの南半分をしめるデカン高原を訪れ、太古の地上を思わせる
         荒涼とした台地に地球の息吹を実感する。

         人工による建造物を排除し、自然の道や風景を象徴的に描いた。
         下面の右手から左手に向かって線がなだらかに動いているように描いたのは、
         画面の流れを意識したものだといいます。

 

 

        

              「ナーランダの月」    インド     (220x261)

        インドのナーランダ寺院は大乗仏教の研究の中心地として栄えた学問寺である。
        玄奘は長安を出て丸3年後の631年にこの寺にたどり着き、高僧戒賢(シーラバドラ)の
        もとで5年にわたる研究生活に没頭することになる。

        本画面では「明け行く長安大雁塔」の朝日と対比して、太陽が沈み、月光を浴びた
        ナーランダの大唐を中心とした遺跡が描かれている。
     
        大下図の段階では月を右に描いていたが、壁全体の流れとつながりを考え、
        本画では左に移したといいます。
        最後の仕上げ段階で、平山氏は大塔に向かい合唱する人物を描き込んだ(右下)
        そこには玄奘の姿と共に、画家を壁画製作に導き、その完成を前に逝去した
        薬師寺管主、田後胤氏の姿が重ねられている。

        この壁画を見ながらこの解説を聞いた時、目頭が熱くなり、体中に熱いものが伝わる
        感じがして、とても印象に残りました。 そして右下の道に佇む合唱している人物が
        見えました。

 

 

        

               薬師寺玄奘三蔵院・大唐西域壁画殿 内部(天井)

           壁画殿の天井には、タクラマカン砂漠に広がる夜空が描かれている。
           248枚のパネルを格子にはめ込んだもので、ラピスラズリの群青を
           基調として、金砂子で星を表し、東西に金と銀で太陽と月を配した。

           また壁画殿の本尊である「西方浄土須弥山」付近の天井には、天空に舞う
           金銀の散華が描かれている。

 

 

              「大唐西域壁画」に最後の筆入れを行う平山郁夫画伯

 

        玄奘三蔵が唐の都長安を出発し、インドのナーランダに到着するまでの経路に従って画面を構成し
        壁画殿の東から西へほぼ対応するように配した。
        さらに壁画全体で1日の始まりから終わりまで玄奘の旅の流れと1日の時間の流れが重なる構成が
        とられている。   いずれの画面も玄奘が旅した往時の風景でなく、取材時に平山氏が対峙した
        現状の風景を描いているが、そこに風土と人間が織りなしてきた歴史の重みを籠めようとする
        平山郁夫氏ならではの歴史画の姿勢が貫かれている。


        

 

        今月後半から三蔵院壁画殿でこの壁画が鑑賞できるようです、是非次回奈良を訪ねた時は
        また薬師寺を訪れ、玄奘三蔵院で見せていただきたいと思います。
        新たな感動があることと思います、素晴らしい特別展でした。

 

 

               

                 平山郁夫画伯のご冥福を心よりお祈りいたします

 

 

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特別展  「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」

2011-03-07 10:02:34 | Weblog

            日本画家の平山郁夫氏が永遠の眠りにつかれてから1年が過ぎた東京国立博物館で

            6日まで開催していた特別展に出かけました。

            平山氏は、自身の被爆体験から、世界の平和を希求し続けました。

            そして生涯のテーマとなったのが、仏教伝来の道であり、シルクロードです。

            平和への祈りを、インドから中国を経て日本へ伝わった仏教に見いだしました。       

            特別展の会場で平山氏筆の絵画とともに心に残った石仏、壁画等も紹介したいといます。

 

 

                   

 

 

                   

 

 

                   

                       第一部 

 

          平山郁夫氏はシルクロードや仏教伝来の道を中心に、150回以上にもわたって海外で取材を行った、

          アジアばかりでなく、欧米やアフリカにも足を伸ばし、取材先では必ずといってよいほどスケッチを描いて、

          それぞれの地域の実情を脳裏に焼き付けていった。

          こうして取材を通じて、世界文化遺産や文化財がいかに危機的な現状にあるか、痛切に認識し、

          それが文化財保護を目的とした「文化財赤十字」活動へとつながっていった。

 

 

                   第1章 インド・パキスタン   マトゥラー・ガンダーラ

          紀元前5~6世紀、シャーキャ族の王子として生まれたシッダールタがインドのボートガヤーで

          悟りを開いて仏陀(釈迦牟尼)となり、サールナートで教えを説いて仏教が始まった。

 

 

 

             天堂苑樹 (てんどうえんじゅ)  1966年    (169x364)

 

  1955年に「仏教伝来」から仏陀の生涯に取材した名作を次々に世に送り出し、仏伝シリーズの最後を飾ったのが本作です

 左側にひときは大きく描かれた金色の立ち姿の人物が釈迦(仏陀)で深遠な樹木の中、20人近い菩薩達に向けて

 説法している。  

 会場でこの絵の前に立った時、実物を前にした感動でドキドキしました、大好きな作品です。

 

 

 

                     

                    仏陀立像 クシャ朝2~3世紀 パキスタン・スワート

      木の葉文で縁取りされた頭光の内側に、カローシュティー文字・ブラークリット語銘を刻んだ珍しい作品です

 

 

                    

                    仏陀座像  クシャ朝 2~3世紀  パキスタンガンダーラ

                    仏陀の顔には端正にして静寂な表情が漂うガンダーラ仏像

 

 

                    

                   仏陀座像    7~8世紀 パキスタン・ガンダーラ・スワート

                   こちらも仏陀、作られた年号は違うが興味深い

                   台座左右には獅子が配され、その間にヤクシャ(夜叉)が座って

                   仏陀を支える

 

 

                   

               菩薩ハンカシイ座像  クシャ王朝 2~3世紀 パキスタン・ガンダーラ

               古代インド鰐形海獣マカラで装飾された豪華なターバン冠飾を戴く菩薩座像

 

 

           

                 仏伝図 「納棺」  クシャ朝 2~3世紀 パキスタン・ガンダーラ

          釈迦牟尼仏は80才で病没したと伝記は記す、クシナガラの沙羅双樹が描写され

          遺骸を納めた棺の周りには弟子が様々な仕種で、仏陀の死を悲しんでいる有様が

          リアルの描写されている。

 

 

                     第2章  アフガニスタン   バーミヤン

 

           東西と南北を繋ぐ道が交わる、文明の十字路に位置するアフガニスタンは仏教が北上し

           イスラーム経が南下していった、歴史に彩られた多様な文化世界が混在する重要な土地である。

           バーミヤン壁画は法隆寺金堂壁画の源流のひとつと言われ、平山氏も金堂壁画の現状模写を

           完成させた後、この地を訪れている。

 

 

                    

                   バーミアン大石仏を偲ぶ   平山郁夫筆  (116.7x80.3)

           7世紀、真の仏法を求めてインドを目指した旅の途上、大仏教国バーミヤンを訪れた玄奘は

            西大仏について、「石像の高さ百4,50尺のものがある、金色に輝き、宝飾がきらきらしている」と

            「大唐西域記」に記している。

            平山氏がはじめて訪れた1968年すでに大仏の顔は大きく切り取られ、左脚に大きな傷を負っていたが、

            天頂や側壁には法隆寺金堂壁画に通じる壁画が残存していた。

 

            2001年3月、アフガニスタンを支配していたタリバーン・イスラム原理主義政権が命令を下し、

            大石仏は東西二体とも爆破された。

            平山氏をはじめ世界中の人々が保護を訴え続けていたさなかの暴挙であった。

            平山氏はすぐにかつての大仏の姿に思いを馳せながら一気にこの作品を描いたといいます。

 

 

                  

                      破壊されたバーミアン大石仏

 

                タリバン政権が倒れた翌2002年8月、平山氏は新政権が安定して間もない

                         アフガニスタンを再訪しバーミアン調査団に同行している。

 

 

           

                1936~37年に発掘された浮彫

             中央に仏陀像を置き仏弟子達が仏陀を礼拝する姿が表されている

             玄奘はこの地方にクシャ族の夏の王宮があったと書き記している。

 

 

                      第3章  中国   西域  

         西域は、古来中国人が西方にある国々を指した呼称で、新彊ウイグル自治区にあった諸国を指す。

         西域には天山北路、天山南路そして西域南道の三道があり、いずれも仏教東伝に重要な役割を演じた。

 

 

         

               楼蘭の遺跡     昼  平山郁夫筆  1990年  (169x363)

       楼蘭は敦煌と西域を結ぶ要衝にあってオアシス国家として栄えたが4~5世紀に滅び、

       歴史から姿を消した。

       1900年になってスエーデンのヘディンによって発見され、後にイギリスのスタインが

       大規模な遺構を明らかにした。

       1986年楼蘭の地をはじめて訪れた平山氏は滞在40分ほどであったが、夢中になってスケッチしたという。

       1989年には再訪を果たし、テント滞在して劣悪な環境の中、中心の仏塔を様々な方角からスケッチした。

 

       仏塔の大きさは町の在りし日の繁栄ぶりを物語っているが、今は見わたす限りの静寂と生あるものを

       寄せつけない死の世界が広がっている。

       「1500年の歳月が凍り付いてしまった感じがする。気の遠くなるような時を刻み、荒されることなく

       自然のまま廃墟となった楼蘭である。

 

 

 

                       

                舎利容器  6~7世紀新彊ウイグル自治区  木製布張り彩色

 

                円錐形の蓋と円筒形の身からなる舎利容器(骨灰入れ)である。

                蓋と身それぞれ一材から掘り出して上に麻布を張り、一種の油絵

                (蜜陀絵)によって表面に様々な図柄を表現している西域工芸を

                代表する傑作です。

 

 

                  

                 壁画 持香炉菩薩  10世紀頃新彊ウイグル自治区の石窟

                 左膝をつき、両手で香煙が立ち上がる香炉を捧げ仰ぎ見る

                 姿の菩薩が描かれている。

                 表情や衣文をはじめ、装身具から周辺の文様にいたるまで、

                 細部まで入念に描かれ、工人の優れた手腕が遺憾なく発揮された

                 秀作といえよう。

 

 

                          第4章  中国  敦煌

 

                西方世界から中国への入り口として、また西域への玄関口となった敦煌は

                紀元前90年頃に創建されて以来シルクロードの要衝として栄えた。

 

                現存するものでも492窟を有す大仏教石窟群(莫高窟)がある、

                内部は壁画に被われ、仏や供養者達の朔像・彫刻が2千体余りある。

 

                1979年に現地を訪れた平山氏はこの貴重かつ重要な石窟群が

                砂塵に埋没する危機に瀕しているのを目の当たりにし、日中政府機関に

                保護を訴え、1980年代前半に、東京藝術大学から学術調査を派遣して

                壁画を調査、壁画の保存修復に携わる人材の育成、共同研究に力を尽くし

                1988年には文化財保護振興財団を立ち上げて、支援体制を整え、

                「敦煌石窟文物保護研究陳列センター」設立に尽力した。

 

 

           

 

           

                 敦煌鳴沙 敦煌三危  平山氏筆  1985年 (各縦193x386)

 

           敦煌はかつて西域に入るシルクロードの起点に位置し、至宝からの文化や文物を

                 受け入れる玄関口として栄え、悠久の歴史をはぐくんできた

 

 

                         

                            地蔵菩薩立像幡

                            唐・8世紀  敦煌莫高窟

                 絹地に地蔵菩薩の姿を大きく描き、上下に装飾を施した幡(ばん)

                                 幡は仏教における荘厳・供養具の一種で、寺院の柱にかけたり、

                   竿に吊すなどして用いた。

 

 

                        第5章  中国  西安・洛陽・大同

 

           西安は古来政治の中心地として13の王朝が1100年にわたって都となった長安である。

           かつてはシルクロードの出発点で、唐代には世界最大の国際都市であった。

           洛陽は河南省の西部、黄河中流域にあって、しばしば王朝の首都・副都となった。

           山西省大同市にある雲崗石窟は雲崗期と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。

 

 

                   

                     雲崗石仏  平山郁夫筆 1980年  (132.5x99)

 

                大同市は北方遊牧民に対する軍事拠点として大きな役割を担った。

                西方15キロメートルにある中国三大石窟のひとつ雲崗石窟には約50窟、

                5万余体の仏像が刻まれた石窟寺院群で、中国仏教彫刻史に雲崗期

                (460~494年)と呼ばれる一時期を形成した。

                ユネスコ世界遺産にも登録されている。

                雲崗石窟を代表する堂々たたる大仏、第20窟の高さ14メートルにもおよぶ

                禅定印の仏陀座像です。

 

 

                   

 

                   

                       三尊仏   唐・長安   中国・西安市「宝慶寺」

 

 

                           

                                十一面観音

 

 

                     第6章  カンボジア   アンコールワット

 

              クメール建築の傑作と称えられる大伽藍と美しい彫刻のアンコールワット、

              カンボジア北部のトンレサップ湖畔に栄えたクメール王朝時代のアンコール遺跡群は、

              20世紀前半にフランスによって修復が施されたが、後半になって内戦が20年以上も続き、

              遺跡は破壊が進み、仏像は砕かれて敷石にされたものもある。

 

 

           

                アンコールワットの月   平山郁夫筆  1993年  (80.5x117)

 

      歴史を遠ざかり、台地を被う緑豊かなジャングルに久しく眠り続けていたアンコールワットの遺跡は、

      19世紀の終わりにフランス人によりその巨大な姿を現し、世界の人々の驚嘆の眼差しを集めることになった。

 

       12世紀にクメール人によって建立された寺院址で、ヒンドゥ寺院として創建され、のちに仏教寺院に

       改修されたという。

       須弥山を象徴する天に向かってそびえ立つ力強く荘厳な塔と、これを取り巻く三層の回廊からなる

       複雑精緻で、最下層の一辺が100メートルを超える巨大な建物である。

 

       1991年平山郁夫氏は戦火の終わらないカンボジアを再訪し、アンコールワットを訪ねた。

       遺跡の惨状を目の当たりにして「アンコール遺跡救済展」を開催した。

       「戒厳令下のアンコールワット遺跡を夜に訪ねると、満月が遺跡を浮かび上がらせ、

       平和な夢幻の世界に導いた」と語っている。

 

 

                    

                        仏陀立像  6世紀  カンボジア

 

                カンボジアないしクメール人の古代の歴史はまだ不明な点が多い

                この作品はアンコールボレイの寺院跡から発見されたもの

 

 

                  

                        ナーガ上の仏陀座像   12世紀

 

                   三段にとぐろを巻いた蛇神ナーガの同体を台座とし、

                   その上に禅定印を結んだ仏陀が座り、頭の周囲に

                   背後から覆いかぶさるようにナーガが鎌首をもたげている。

                   長雨の中で瞑想にふける仏陀を守るため、ナーガが

                   地中から出現して自らの体を傘として仏陀にさしかけたという

                   仏伝の一場面を造形化したものである。

 

 

                 

 

                この作品は頭上に冠帯を付け、弓状に湾曲した眉、切れ長の目、

                肉厚の唇を持つことなどで、12世紀前半頃のアンコールワット様式の

                特徴をよく示している。

                この像の元の所在地点はアンコールトム。

 

 

             特別展 仏教伝来の道の第一部、図録を元に会場で印象に残った作品を

             紹介しました。

             平山郁夫氏のこと、仏教伝来のこと、まだまだ知らないことが多くありました。

             そして感動と驚きもいっぱいでした、拙い紹介の仕方ですが、第二部に続きます。

 

 

 

 

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夜明けの木場公園

2011-03-05 09:55:23 | Weblog

        この数日冬に逆戻りしたような寒さに、朝目覚めて布団の中でウオーキングに

        出ようか、止めようか私の中で朝の戦いです。 

        今朝も5時少し前に目覚めてしまい、もう少し寝ていたい!でも歩かなきゃ!

        ちょっと迷って、昨日の朝のきれいな朝焼けを思い出し”カメラを持って出よう!”と

        仕度をして家を出たのは5時15分頃、今朝の予報は0度、冷たさが身にしみる

        朝でした。

 

 

              

                    家を出た時はまだこんな暗さです

 

 

      

                橋を渡り公園までは5分ほどです、寒いので急ぎ足

 

 

       

               今日は土曜日、 木場大橋にもまだ人影は少なかった

 

 

       

              橋の途中から見た東の空は赤くなり始めています

 

 

       

               公園の一番北側は「現代美術館」

 

 

             

                   5時半頃の公園の中はこんな暗さです

 

 

             

            北側の公園を一回りして陸橋のところで振り向くと見えました

 

 

      

         陸橋を渡り南側の公園に戻るころには東の空もだんだん明るくなります

 

 

      

          こちら側もあと1周、右側の道には大寒桜が咲き始め、

          左の道には梅が満開です、あとで寄りましょう

 

 

      

         今朝は寒かったせいかいつもの人達に会いませんでした、何回も

         ”おはようございます”と挨拶を交わすのですが、、、

         ”朝の気温が5度以下なら出てこないで冬眠”といっているおばちゃんや

         元気に歩くおじちゃん、おばちゃん達、も今日はゆっくり朝寝でしょうか?

 

 

      

             風が冷たいけど爽やかな朝です!

 

 

      

              山茶花を見つけ近づきました

 

 

            

               足下でザクザク音がするので見たら霜柱

 

 

      

            いい香りがすると思ったら咲いていました

 

 

 

       少しこの道を通らなかったので気がつかなかった! ミモザが咲いていました

 

 

      

             寒い中、健気に咲いていました   ここだけ暖かい感じです

 

 

      

             まだこれから花の房が大きくなります

 

 

      

                ふわふわの花です

 

 

      

             春が来ていました!

 

 

      

           小道の一画には山茶花が満開

 

 

            椿と違い花びらがばらばらに散ります、散り始めていました

 

 

          公園の南エリアと北エリアの間、柳の木の下には菜の花です

 

 

       

             菜の花の上に下がる柳に枝にも春の訪れが、、、

 

 

      

               さっきの分かれ道のところの桜です、咲き始めました

 

 

            

               左の小道にはいると、左側には梅が咲いています

 

 

      

              小道の右側は咲き始めた寒桜

 

 

      

     白い梅が2本、一重と八重が並んでいるのですが、ひと枝だけ紅梅を見つけました

 

      

           こちら側は植物園の白梅、良い香りがします

 

 

      

             朝日が差し始めました、今日はいつもより長くなりました

 

 

            

                植物園をのぞいたらその先にスカイツリーです

 

 

              

          公園の反対側東向きの深川警察署にも朝日があたりだしました

 

 

                 

                ひと月前までは帰えり道も暗かったのです

 

 

      

              日差しがうれしい早春の朝でした  (6時半頃)

 

 

 

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銀座鹿乃子の「姫ランチ」

2011-03-03 13:11:19 | Weblog

                  今日は雛まつり、女の子達にはうれしい日です。

                  デパートで買い物のあと、ランチに少し早かったので

                  鳩居堂で一筆箋を買いました。

                  店内もウインドーにもお雛様がいっぱいです。

 

 

 

          

 

 

         

                      紙でできた可愛いお雛様でした

 

 

               銀座4丁目の一本裏通り「銀座鹿乃子」でランチを頂きました

 

        

                今日はこちらでお菓子を買って帰る人も多いでしょう

 

 

              

                       2階の窓際の席です

 

 

 

       

              「姫ランチ」  桜ご飯を選びました、ほっとするランチでした

 

 

              

                   小さなあんみつが付いています(黒蜜付きです)

 

 

                   

                       向かいのビルは「和光」

 

 

                   

 

 

       

             おなじみの鹿の子そして季節の和菓子も並んでいます

 

             ここの創業は昭和21年、銀座で老舗の和菓子店です

 

             買い物のあとの1人ランチは春を頂きました。

             雛まつりに姫ランチ、銀座でちょっと思いつきを楽しみました。

 

 

 

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