しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

大英博物館展 グリーンフィールド・パピルス

2012-09-30 21:40:53 | 美術館 博物館

             エジプト展第三章 世界最長「死者の書」グリーンフィールド・パピルスは
             全長37m、100以上の章を含んでいる。

             エジプトの葬送文章の中でももっとも丁寧に記され、美しい挿絵を
             伴ったもののひとつである。
             現在の名前は、以前の所有者だったハーバード・バンズ・グリーンフィールド
             夫妻に由来している。

   

            

            今回のエジプト展で37mの全章が展示されます、解説の村冶先生が会場の
            六本木ヒルズ森タワー52階のギャラリーでは見やすく展示されていますから
            ゆっくり楽しんでくださいと言われていました。

            テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム二世の娘
            ネシタネベトイシェルウの「死者の書」です。

 

            

               第1章の冥界の王オシリス神を礼拝している場面、ここから死者の
               冥界の旅が始まるのです。

            

                  左上の葬送行列の様子 ミイラとなって墓に運ばれる

 

                   

                  真実を意味するヒエログリフの形をした台座に置かれた
                  玉座に座るラー・ホルアクティ神は、2本の角と円盤が
                  ついたアテフ冠を被り、手にアンクを持っている。

                  前にはトキの頭をしたトト神が立っている。 トト神の頭上には
                  三日月と満月の円盤が載っており、重いかつらを被っていると
                  思われる。 頭上には「トトよ、知恵の神よ」と記されている。

            

             

            口開けの儀式を経て、行く手を邪魔するヘビやワニを撃退「審判」となります。
            オリシス神の前で、死者の心臓が天秤にかけられる、反対側には真理の
            女神アマトの小像。(冥界の旅路のクライマックスシーン)

 

                 


               死者が生前、正しい行いをしていたかどうかの判決が下る場面が
               描かれる。
               ネシタネベトイシェルウの心臓が計量されている。 アヌビス神が
               釣り合うかどうかを監督しトキの頭をしたトト神が判決結果を記録
               している。
               釣り合わなければ、天秤の下にいる、頭はワニ、体はライオン、
               下半身はカバの姿をした怪物アメミトによって心臓を食べられて
               しまうのだ。
               これが人々が最も恐れた「第二の死」である。
               (グリーンフィールド・パピルスでは審判の場面が二回登場する)

 

            

           イシス女神とネフティス女神がそれぞれ真実の象徴である羽を頭に載せ
           右手にパピルスの杖、左手に生命の象徴アンクを持っている。

           柱の上にトト神を表すヒヒが座っている。左の皿にはネシタネベトイシェルウの
           心臓反対側の皿にはアマト女神の小像が置かれ、アヌビス神は天秤が
           釣り合うかどうかを監督する。

           左には自分の心臓を計量されるのを見守るネシタネベトイシェルウ、後ろに
           怪物アメミトが、死者の心臓を狙っている。

           天秤の近くには4頭のヒヒが守護する炎の湖が描かれている、これはこの章の
           挿図で、第二の死を余儀なくされた者の運命を暗示している。

            

                イアルの野

     

            審判により再生・復活を果たした死者は、冥界の楽園であるイアルの野に
            住むことを許される。 雌牛をつかって畑を耕し収穫を祝うなど、前世と
            同じ肥沃な土地で永遠の命を享受した。

            場面は下から上へと展開する。 楽園にたどり着いたネシタネベトイシェルウ
            が2頭の雄牛と畑を耕し、刈り取りをする場面が描かれている。

            裕福の象徴であるベヌウ鳥を礼拝し、祈りを捧げているが、その後ろに
            大麦と小麦を前に座る姿が描かれている。

            上段では、本人と彼女のカーがネコ、ヘビ、雄牛の頭をした神に向かって
            礼拝をしている。
            続いて供物台を載せた船を漕いだ後、ハヤブサの頭をしたホルス神のもとで
            ミイラ姿の女神を礼拝している。

 

          

           二手に分かれて3柱の神々が船を引っ張っている。右にはたっぷりとした
           衣服をまとったネシタベトイシェルウが、船の中にいる太陽神を礼拝している。
           彼女の前に置かれた供物台とワインを神に捧げようとしている。
           受け入れられれば、彼女は船に乗り込んで、神と共に旅をすると思われる。

 

              

           階段上の玉座に腰掛けるオシリス神。祝祭用の衣服を着てかつらを被った
           ネシタネベトイシェルウが聖なる住処に入ろうと歩みを進めている。

 

                

                 ネシタネベトイシェルウがオリシス神と向き合っている、
                 オリシス神は真実を表すアマトのヒエログリフの形をした
                 台座に立っている。
                 いまやネシタネベトイシェルウは冥界の旅路を終えて、
                 オシリス神の隠れ家で対面している。
                 左のネシタベトイシェルウは、聖杯とロータスの花とともに
                 立ち、大広間の入り口に向かって礼拝している。そこには
                 42柱の陪審員が並んでいるのだ。

 

 

    ヘリオポリスの天と地の始まりを描いた場面は、<グリーンフェイールド・パピルス>の
    最大の特徴ともいえる場面。

    つま先と指の先を大地につけ、曲線を描くように中央に大きく描かれているのは
    女神ヌウトで、つま先は東、指先は西を指しているとされる。

    足元には大地の神ゲブが横たわる。 大気の神シュウと湿気の神テフヌウトから生まれた
    2柱の神々は、初めは互いに重なっていたが、父シュウ神の嫉妬を買い、引き離される
    ことになった。

    ヌウト女神の下で両手を左右に挙げているのがシュウ神である。
    これによって天は上に、大地は下に、その間に大気が存在するようになったとされる。

    この場面を礼拝するかのように、トキやヒヒ、ネズミやヒツジの頭をした神々が周りを
    囲んでいる。
    右下に描かれた黒髪の女性がネシタベトイシェルウで、その左には彼女のバーも
    描かれている。

 

              第四章 「死者の書」をめぐる研究

            「死者の書」は19世紀のエジプト学者が命名したもので、実際には
            「日のもとに出現すること(の呪文)「ペレト・エム・ヘルウ」と呼ばれていた。
            古代エジプトでは「死者の書」だけでなく「洞窟の書」や「冥界の書」などの
            数多くの葬送文書が存在している。

 

           

            第21,22王朝では地位の高い故人の埋葬には「死者の書」だけでなく
            「冥界の書」からの抜粋を記したもう1本のパピルスがしばしば納められた。
            「毎回の書」の中でも最も古く、重要な「アムドュアト書」の簡略版が
            記されている。

            「アムドュアト書」は西の地平線に沈んでから夜明けの東の地平線に
            再び現れるまでの地下を進む太陽の夜の旅を物語っている。

 

           

                「死者の書」   (冥界の洞窟)

              死者の書の中に含まれているが、実は関連性がない。
              この章は冥界に数多く存在する洞窟とその住人である神々を記載した
              ものである。

                      

                   このパピルスの所有者の名前は、黄色の顔料で丁寧に
                   覆われており、その正体は謎であった。
                   赤外線技術のよって隠された文字が明らかとなった。

                   何故名前が消されていたかは不明、パピルスの代金が
                   未払いで、パピルスを製作した職人が他の者に売ろうと
                   名前を消したのかもしれない。

 

                       

                          死者の書を記す書記長

                   古代エジプトにおいて、識字階級は特権的なエリートであった。
                   書記の地位は誰もが認める望むべき職であり、肉体労働を免れた
                   快適な生活を意味した。

                   書記は足を組んで床に座り腰布を膝の上にしっかり張って、
                   即席の机にしている。
                   その上で左手でパピルスの巻物を開き、右手は葦のペンか筆を
                   持っているかのように置かれている。

 

 

                    

                  古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅を経て来世で復活すると
                  考えられていました。 「死者の書」とはさまざまな試練が待つ
                  旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来へのガイドブック
                  です。
                  その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として
                  死者に捧げられました。

                  「大気や水を得る」「ヘビを追い払う」「神の怒りを取り除く」など
                  現在までに確認されている呪文の数は約200に及びます。

                  

                  
                  大河ナイルのほとりで神々の加護を受けながら日々安全に
                  暮らすことが古代エジプト人の切なる願いでした。
                  
                  

         


大英博物館 古代エジプト展

2012-09-26 07:06:18 | 美術館 博物館

           

          「古代エジプト展」の解説講演を聴いたのは7月でした。 講師の村冶笙子先生

 

           

             古代エジプト研究会でヒエログリフの研究をされている先生だそうです

 

                 

                 ギザの大地にピラミッドが建造されてからおよそ千年後の
                 ファラオがスフインクスの前に記念碑を奉納した。

 

            

               長年準備してきたそうで「古代エジプト展」の解説には情熱が感じられ
              予定時間をオーバーして、エジプトのこと、ヒエログリフのことなど
              聴いている私たちも引き込まれました。
                          

 

           

          この棺は内装が見えるように鏡をつかったそうで、実際に見るのも楽しみでした。

          砂漠のイメージが強いエジプトは雨の少ない地域ですが、ナイル川のおかげで
          青々とした豊かな畑も広がっています。

          この大河ナイルのほとりで神々の加護を受けながら日々安全に暮らすことが
          古代エジプト人の切なる願いでした。
          この考えが古代エジプト人の来世観によく反映しています。

 

           

                 大英博物館 

             年間60万人が訪れる大英博物館は1753年に創設された世界最古の
             国立博物館、所蔵品は800万点以上、中でもエジプト部門は有名な
             ロゼッタストーンをはじめ、貴重なミイラ棺、副葬品、膨大なパピルス文書
             など質量ともに世界屈指のエジプトコレクション数とされています。
              

                  

                パピルスに描かれた「死者の書」に焦点をあて、永遠の生命を
                求めた古代エジプト人の来世観が紹介されています。

 

                                  第一章     古代エジプトの死生観

                         永遠の命を求めて

                       

                         オリシス神像

                     古代エジプト人にとって、現世は仮の世界であり、  
                     来世への準備期間であるとみなされ、埋葬のための
                     準備がされた。

 

                  

                      木製供養碑

              生前の行為によって、死者の判定がされた。 その結果死者は死後に
                          再生・復活をし、永遠の命を得るものと信じられていた。

              死者が再生・復活して永遠の命を得るのにあたりとくに重要な神々は
              太陽神と冥界の王オシリス神である。

              太陽神は日中に天を航行して地上の住人に生命を与え、落日で死を
              迎える。   夜の間に西から東へ冥界を旅すると、夜明けにふたたび
              新たな生命を得る。
              古代エジプト人はこの永遠のサイクルに自分も加わることを望み、
              多くの葬送文書に太陽神への礼賛を記した。

 

           

                解説で興味を持った木製棺 

           王以外の人々の間に「コンフィン・テキスト」(棺柩碑文)-死者の書の前身ーが
           登場し、棺の内側に呪文が記されるようになる。
               
               
             

                 

                   棺の内側
                
           王族でない死者の場合、最も重要な葬送文書は棺の表面に記されていた。
                 
                
                      

                        棺の内側の絵と「コンフィ・テキスト」

 

     

          人形(ひとがた)棺に記された「死者の書」

    第25,26王朝の間、多くの木製の棺には「死者の書」からの抜粋がインクで記されていた

 

               第二章  冥界の旅

          死者が旅する冥界の環境は、現世のそれに似ていると考えられていた。
          死者が新しい命に目覚めた時に再び使えるように、墓には衣服、化粧容器と
          パレット、道具類、武器といった日常の品々が供えられた。

 

                

                     旅立ちの儀式  口開けの儀式

           墓の前で行われる儀式の様子が大きく描かれている。

           フウネフェルの死を嘆いている二人の女性(妻とおそらく娘)、ミイラに向き合う
           ように二人の神官が口開けの儀式のための道具や器を持っている。

           二人の後ろで、ヒョウの毛皮を着て香を炊き、注ぎ口のある容器から供物に
           水を注いでいる人物は喪主と思われる。
           
          下段には、母牛が嘆き声を上げている目の前で子牛が生贄にされ、召使が
          まだ鼓動を続ける子牛の心臓と前足をミイラに捧げようと運んでいる。

 

                  

                     ペスエンムウトの供養碑

                  供養碑の意味合いは、単なる墓標から特別な力を持つ
                  重要な存在へと発展した。

 

                      旅への装い

                  冥界の旅に備え、死者は埋葬室の中で守護の力を持つ
                  副葬品によって守られた。

 

                    

                         神官の人形棺

                棺に描かれた図像では、死者を復活に導く重要な儀式が
                再現されている。

 

   

           ミイラマスク   

      このマスクは、死者である所有者の穏やかな理想的な永遠の姿を現しており、
      黄金に輝く肌は、神格化した新しい姿を示している。
      喉には小さなアンク(生命のシンボル)の護符が描かれ、頭頂部には太陽円盤を運ぶ
      有翼スカラベが描かれている。

      マスクの後頭部には名前の記されていない神が並んでいるが、2番目の神は明らかに
      オシリス神、鶏の姿のバーと太陽神を現すハヤブサも描かれている。

 

         

              カノボス容器の模型

         ミイラ作りの際に、心臓を除く内臓はすべて取り除かれた肝臓、肺、胃、腸は
         防腐処理が施されたこれらの内臓はエジプト学者が「カノボス容器」と呼ぶ
         4つの容器に入れられ墓に埋葬された。

         模型として作られた鮮やかに色彩されたカノボス容器は副葬品の中で
         象徴的な重要性を持っていた。

         蓋の部分は伝統的に容器の中身を守護すると考えられたホルス神の4人の
         息子の頭をかたどっている。

 

                

                      船の模型

             主人のために食事や飲み物などを用意する召使を表した模型の像が
             しばしば置かれた。 同じようによく見られたのが船の模型であった。

 

                

                     紅玉髄とガラスの首飾り

                異なるタイプのビーズをつなぎ直したもの、外側の連なりは
                ケシの果皮の形をした30粒の紅玉髄のペンダントで出来て
                いる美しい色の首飾りでした。

 

          

         トカゲ型の護符の金製ネックレス

    宝飾品は生前から身につけられ、なくなった際にも遺体の上に置かれ、墓に収められた。
    金箔を使い型に入れて作られた2種類のペンダントで出来ている。

    トカゲは手足や尻尾が傷つき失われてもすぐに生えてくることから、再生の象徴だったで
    あろう。   しずく形のペンダントはナツメヤシの実を表していると思われる。

 

             セネトゲーム   

         冥界は一連の超自然的存在と出会い、自分が前に進む資格があることを
         証明するための場である。
         その課程を表す比喩の一つが「セネト」と呼ばれる盤上遊戯で、「通路」
         あるいは「通過」という意味を持った。

 

     

        セネトゲーム(複製)

    生者と死者のつながりが継続していること、また境界を越えて両方の世界を自由に往来
    できることを示し、しばしば墓に描かれた。

 

         

                 

              

               

                    動物風刺パピルス

          古代エジプト風刺画では、人間の行為を行う動物の描写が典型的な例として
          見られる。  このパピルスでは、アヒルやヤギの群れを飼育するネコや
          ハイエナに混じって、ライオンとガゼルがセネトゲームで遊んでいる。

 

    

          

             イトイネプの人形(ひとがた)棺

          死者は、ミイラにされて埋葬の儀式を通過することで、神と同一の存在となった

 

                   

                  ホルアアウシェブの人形型棺と女性のミイラ

                  X線調査の結果、この棺に入っているミイラは
                  若い女性のものであることが分かった。

 

         

           上半身は花模様の襟飾りで覆われ、ハヤブサの姿をした太陽神が翼を
           広げている下半身は、横方向にいくつかに区切られている。

 

         

        アニの「死者の書」; 審判 (複製)

 幾多の困難を呪文の力によって乗り越えてきた死者は、いよいよ冥界の旅のクライマックスに
 立ち向かう。 「二つの真理の間」で行われる冥界の王オシリス神の審判である。

 42項目にわたって生前に罪を犯してないことを宣言する(「罪の否定告白」)
 審判を無事通過した死者は永遠の生命を約束されて楽園に入る資格を得るが、さもなければ
 天秤の横で待つ怪獣に心臓を食べられて消滅し、人々が最も恐れる「第二の死」を迎えるか。

 現実には生前に何らかの悪いことをした心当たりは誰にでもあっただろう、しかし42の罪悪を
 否定することでそれをなかったこととし、また心臓に沈黙せよと命じることで、古代エジプト人は
 神々から自分の悪事を隠しとおせると考えたのである。

 アニのパピルスは、心臓の計量の場面がもっとも完全に描かれている作例で、他のパピルス
 ではしばしば省略される細部まで含まれている。

 

               

                   銀製の天秤皿

            審判の場面で欠かせない天秤はなじみのある品であったと思われる

 

      

          心臓スカラベ付き首輪

        「死者の書」の呪文は、審判のときに心臓が死者に不利な証言を防ぐもので、
        通常スカラベの形をした護符に刻まれている。

        首輪は蛇の形を表現しており、留め金を止めると蛇が自分の尻尾をくわえている
        形になるが、これは永遠を表現している。
           

 

            未来の楽園

 

           

                トゥイの「死者の書」;  太陽の船の旅

            死者が叶えたかった目的のひとつは、太陽の神の船に乗って永久に続く
            天の旅をする特権を得ることである。
            このパピルスのこの部分には、この願いを叶える重要な呪文が記されている

 

             

                   精霊バーとミイラ (部分)

            古代エジプト人が1人の人間を構成する要素と考えていたものが5つあった。
            そのひとつは「バー」で、死後も墓から出て自由に動き回れる霊魂と考え
            られた。
            「死者の書」にはこのバーが「日の中に出てゆくための呪文」という言葉で
            始まっている。
               * バー 古代エジプトにおいて人間を形成する要素のひとつで、
                      「精霊」「魂」を意味する。
                      人の死とともに肉体から離れ、自由に動き回ることが
                      できる。  頭は人間で体は鳥で現される。

 

                  

                      ヘヌウトヒメトのシャプティ

                シャプティは重要な副葬品として登場した、これらのシャプティは
                アメンの歌い手ヘヌウトメヒトのために用意された40体セットの
                一部である。

 

                  

                     ヘヌトヒメトのシャプティ・ボックス

                  厨子の形を模した木箱、これは4つの箱のひとつです

 

                注目の世界最長「死者の書」  <グリーンフィールド・パピルス>に
                続きます。
     

     
         


「絵画と写真展」

2012-09-21 07:36:14 | Weblog

           

          原宿のギャラリーで知り合いが作品展をしているので一緒に行って欲しいという
          友人と出かけたのは、明治通りから少し入ったところでした。

 

           

                藤川沙来さん、フランスでも絵を勉強中の素敵な女性でした

 

          

                 中心が彼女の作品、両側が友人たちの写真

 

                

                  

                  パリで勉強している時の教室で描いたものだそうです

 

                

                  

                 一見ぎょっとするような作品ですが、本人に聞きましたら
                 男女カップルを描きたかったそうですが、こんな形になったと
                 言うことでした、話を聴いていたらなんだか納得だったのです。

 

                

                  

                     女性のほうが描きやすいと笑っていました

 

                 

                  

               いちばん最近の絵、今回のために題を決めてから描いた作品、
               色が難しかったことと、彼女がいちばん気に入っているところは
               左の一番上、細かく波打つような、燃えているような少し盛り上が
               りのある絵の具の部分だそうです。(こんな解説ではしかられて
               しまうかしら?)

               不思議な形のものは、古代竪琴をアレンジしたもののようです
               中心に弦が見えます。       

 

            

              右の小さな作品は写真で竹村美香さんの作品、淡い月の光が暗い海に
              写る幻想的な写真や、オレンジ色の空に恋人たちのシルエットとか
              女性らしい繊細な作品でした。

 

            

 

            

                   藤川沙来さん本人がモデルになったそうです

 

                   

                   

                     母子とエンジェル、ご本人と坊やの笑顔が素敵!

                    

                     友人Kiyoさんの友人は素敵な女性でした。

                  

                   原宿のデザインフェスタ ギャラリーで21日まで開催

 

 


八彩懐石 「長峰」

2012-09-18 07:24:49 | Weblog

                

                銀座「長峰」 60年余りにわたり築地で野菜の卸商を営む

 

           

               お店の八菜懐石料理、何回か紹介していますが、季節が変わると

 

                 

                    素材が変わり、それも楽しみです

 

           

                オリジナルトマトジュースとサラダの小鉢

 

 

   一段目はいろいろなお料理が少しづつ、上段右はおからのコロッケ、その下は信田巻きなど
   薄味付けですが、それぞれの味わいに満足感があります。

 

 

   2段目はこちらで評判の野菜寿司、野菜にひと手間かけてあります、真ん中のオレンジ色は
   生のかぼちゃですが、ひと手間はこぶじめだそうです、生ものと違う触感も楽しめます。

 

 

            冬瓜のすり流しのお吸い物が爽やかな味でした

 

                 

                     デザートは、フルーツたっぷりのあんみつ

 

            

                  

                      友人Ikuyoさんを案内しました

 

           

                  個室内のディスプレイ

             こちらのランチコースは数種類かありますが、長年野菜に携わるお店の
             野菜寿司にはそれぞれの野菜に合う薬味が少し添えられ、それも
             美味しさを加えているようでした。

 

             Ikuyoさんは「磁器絵付け作品展」が済んだところで、尽きないお話の
             続きはカフェで。

 

            

                     旬のイチジクのタルト

 

            

                    私はブルーベリーのタルト

 

                  

                   大粒のフレッシュブルーベリーがたっぷりのケーキ

                 銀座4丁目から二本ほどの裏通り「モナリザ」というお店。
                 久しぶりに過ごした友人との時間は瞬く間に過ぎてしまいました。
                 また次回を楽しみにしましょう。
              

 

 


墨田区「牛嶋神社」の例大祭

2012-09-15 05:15:07 | Weblog

                

             隅田川沿いにある牛嶋神社で5年に一度の大祭が14日から始まった
             

 

        

             大祭の初日は神幸祭、黒牛が1トン近い牛車を引き町内を歩く

 

               

             カメラ目線で応えてくれた黒牛、これまで活躍していた南相馬の
             牛が参加できず、急遽京都の牛が代役を務めるそうです。

 

         

           出発してまもなくやや興奮気味の後ろの牛の綱が不具合になり停止

          

                

                       周りを囲む多くの人にも興奮気味だったのでしょう

 

         

                 2頭の黒牛も落ち着いたようで、あらためて出発

 

        

              2頭の黒牛が引くのは「鳳れん」と呼ばれる美しい牛車

 

        

                無事出発して行きました

 

        

                スカイツリーとは初めてのコラボです

 

               

                   2日間かけて37キロを巡るそうです

 

               

                  かわいいお稚児さんたちも続きます

 

        

                 行列をここで見送りました

 

               

                  あとになりましたが、お参りをします

 

         

             狛犬ならぬ狛牛でしょうか、安政六年奉納と記されているようです

 

                

                 墨田区内最古の神社で860年建立されたとされます

 

                

               「撫牛」は自分の体の悪い部分と同じ場所を撫でると病気が
               治るといわれる心身快癒の祈願物として信仰されている。

 

                

                   裏手の鳥居を出ると

 

        

                公園になっていました

 

           

          14日この日、9時過ぎに牛嶋神社前に着いた時、ちょうど「神幸」が出発
          するところでした。
          14,15日と「神幸」が町内を回ると16日は区内各地から48基の神輿が
          勇壮に繰り出し牛嶋神社を目指し、祭りの盛り上がりは最高潮に達する
          そうです。

          牛嶋神社には何度もお参りしていますが、5年に一度の大祭のことを知り、
          始めて出かけて、力強く2頭の黒牛が引く「神幸」が見物できました。
          

          

            
          


「桂花苑」

2012-09-13 06:41:21 | Weblog

            人形町の大観音寺で友人を人形供養に案内したあと人形町を散策して、
            ランチは今半も魅力でしたが、この日は広東料理にしました。
               

 

           

                   ロイヤルパークホテル水天宮のB1 「桂花苑」

 

                 

                         広東料理のお店です

 

                 

                        ランチコースの小鉢

 

                 

                    スープは優しい味、大好きな広東料理の味です

 

                 

                   二人で4品選べます、これは選んでしまいますね

 

                 

                      鶏肉とアスパラは塩味のひと品

 

           

               選んだのは定番のものでしたが、こちらのはどの品を選んでも
               美味しいのです、女性二人でたっぷりの量でした。

 

                

                  こちらも定番ですが、程よい甘さの爽やかなデザート

 

                

                      シックで落ち着いた店内

 

                

                ロイヤルパークホテルのロビーから階段を下りた正面です

 

           

              友人お気に入りのこちらは日本人好みの広東料理ですが
              雰囲気もお料理もいつも大満足のお店です。  

 


              


代官山散歩と「日本ガラス展」

2012-09-10 06:55:19 | Weblog

              土曜日に友人Teiさんからの情報でガラス展のことを知り、会期が
              日曜までだったので、オープン時間に合わせて出かけることに
              しました。

              渋谷から、代官山循環バス東急トランセに乗ると、ガラス展会場の
              ヒルサイドテラスまで行けることなどこ教えてもらい、久々の代官山も
              楽しみでした。

 

                  

 

          

                F棟のメイン会場  日本ガラス展は3年毎の開催だそうです

 

          

               作家の個性によって、ガラスという素材の魅力を自由に表現、
               作品はTeiさんがいわれたように魅力的でした。

 

      

     いろいろな模様や形を組み合わせたもの、     中を覗いたら不思議な質感で
     優しい感じの丸球の模様が素敵。           ガラス製とは思えない。   

 

           

                この作品も

 

           

                こちらもガラスなんです、繊細なつくりでした

              

           

                   印象に残った美しい色の作品

 

                 

                      ピエロの表情がいいですね

 

          

                ユーモラスな感じと配色の美しさが好きです

 

         

             富岳三十六景  「江戸日本橋」 絵そのままです
             ガラスに書かれているのではなく、ガラスで出来ています。

 

            

           とてもガラス製とは思えないような作品もあり、どうやって作るのかしら?
           ガラス好きには興味津々、覗いたり、回ってみたり、明かりに透かしてみたり
           色の美しさにも惹かれました。

          

                 次の会場は向かい側の建物E棟

                

                 こちらにはかわいい作品がいっぱい、即売していました

 

                 

 

           

 

                 

                    最後にA棟にも行きました

                

 

                

                   素敵なガラス作品をたくさん見せていただきました

               模様や配色を見ていると、とんぼ玉を作っていたころが懐かしく、
               ガラスも道具も処分できずに持っているので、また作りたくなりました。

 

        

            Teiさんお奨めのカフェに向かう途中見つけた道路際のひまわり

 

               

                     夏空のような青い空が似合う花です

 

               

             この日も真夏日、日差しは強かったですが湿度が低かったようで
             日陰はちょっとだけ爽やかな感じでした。

 

        

             「カフェ ミケランジェロ」    こちらもTeiさんお奨めのお店

 

                 パニーノセットをいただくことにしました。

                

               オリーブオイルで風味付けされたジャガイモの冷たいスープ
               セットメニューでしたが美味しいスープでした。

 

                

                  フォカッチャサンドウイッチは生ハムとチーズと野菜、
                  シロップなしの冷たいエスプレッソとは好相性。     
                  飲み物を待ちきれずに熱々を一切れ食べちゃいました。

 

                

               中庭もこんなにいい雰囲気、欅の日陰になったらいいですね

 

                

               気がつくとテラス席が木陰になり満席、行列も出来ていました

 

             

             古きよきイタリアのカフェを再現しているとか、以前紹介したことがある
             日本橋三越のイタリア料理ASO セレステと同系列のお店でした。

              
             Teiさん情報をありがとうございました、久しぶりの代官山散歩を
             ガラス展と共に楽しみました。
              

     
            


 「二条城展」 

2012-09-05 22:07:21 | 美術館 博物館

                 「江戸東京博物館」で開催中の「二条城展」、江戸博友の会
                 恒例の学芸員の方の解説を聞いてから見せていただいた。

 

                 

          天下を治めること。それは京都を治めることなくして果たせなかったことでした。
                    徳川家康が慶長8年に築き上げた二条城は、戦のための拠点ではなく、
          朝廷を敬いつつ掌握するという、幕府が持つ力を目に見えるものにする場所
          でもありました。

 

               二条城の障壁画

          政治の場、儀式の場、そして生活の場である御殿が実質的には城の中心的な
          建物であった。
          その御殿の内部を飾るのが障壁画である。  建物を構成する壁、襖などの建具
          天井に貼り付けられた絵のことである。

 

        

              二の丸御殿 遠待三の間

         二の丸御殿中最も規模が大きい棟で、部屋数は10、その一の間から三の間は
         虎の間と呼ばれるように「竹林群虎」が画題です。

         対面に先だって控えている昇殿者たちを虎たちが威嚇する。 群れの中に当時
         雌の虎と考えられていた豹が混ざっている。

 

                

                   二の丸御殿  遠待勅使の間(上段)

            狩野派と二条城壁画、寛永の壁画制作は、すべて狩野派の手による。
            しかし部屋ごとの筆者の特定については、現時点でも決着は着いていない。

 

          

            二の丸御殿  式台老中一の間 「蘆雁図」 裏方の間を飾った名品

          

             二条城創建   <京に響く徳川の天下>          

           関が原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年から京の城館の築城に
           取りかかた。  着工は慶長7年(1602)で、竣工は同8年三月。

           完成したばかりの二条城では家康の征夷大将軍拝命を祝う宴が催された。
           家康の創建した二条城は、後の時代と異なる構造で、まさに徳川将軍家の
           京での邸宅のようであった。

           また二条城は秀吉没後の豊臣家との争いの舞台に巻き込まれた。
           慶長16年(1611)には家康と豊臣秀頼の対面の場となった。

           一説にこの二条城での会談をもって、家康は豊臣家を滅ぼすことを決意した
           とも言われている。  
           そして豊臣家滅亡となった大坂の陣では二条城は家康の本陣にもなった。
           慶長期の二条城は、波乱の舞台として歴史に登場し、天下に徳川家康の
           覇権を知らしめる役割を担っていた。  (「二条城展」 図録より)

 

                 

                     徳川将軍家の紋を浮き彫りにした鬼瓦

                 

                    櫓や門の屋根から城内を見守ってきた鯱瓦

 

        

             唐門欄間彫刻 松竹梅に鶴と亀

           御殿の栄華を寿ぎ、訪問者を迎える華麗な造形  
                                 (唐門が現在改修工事中で展示された)

   

          

           東照大権現霊夢像  元和九年         東照宮御影  四月十七日拝礼

         徳川家光が夢で見た祖父家康の姿       幕府儀礼で拝された家康の肖像画

 

               

                     洛中洛外図屏風 (部分)

                  天守がそびえる家康が築いた二条城

 

               二条城大改築  <東福門院和子の入内と寛永の行幸>

 

      

           徳川秀忠像                     徳川秀忠像

       神像で表現される徳川秀忠             二条城を拡張した秀忠の肖像

 

       

            東福門院像                   仏舎利宝塔 (東福門院所持)

      幕府と朝廷の融和を背負った凛々しくも       並んだ菊と葵が東福門院和子の
      柔和な面持ち。                      運命を鮮やかに映し出す。

      「東福門院入内図屏風」に描かれているのは幕府と朝廷を結ぶ華麗な行列でした。

 

      

                  

          二条城で後水尾天皇を迎えた、二条城を政治の舞台とした徳川家光

 

 

        

              二の丸御殿 飾金具

        

                 御殿を華麗に彩るかざり職人の技の競演

 

                

                 洛中洛外図屏風  描かれた寛永行幸と家光の二条城
                                         (部分)

 

           

               葵紋銚子   饗応に欠かせない酒器

 

 

              寛永障壁画の輝き <日本絵画史最大の画派、狩野派の粋>

         寛永の大改修に際し、狩野探幽率いる画工集団・狩野派が新調した二の丸御殿
         障壁画は、徳川家が威信をかけて造営した城の御殿とともに伝来した現存唯一の
         作品群であり、豪華絢爛な近世障壁画の代表作として日本絵画史上に燦然と
         輝いている。

         二の丸御殿は、遠待・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の六つの棟から
         なり、障壁画はそれぞれの棟や部屋の機能に応じて描き分けられている。
         狩野派は常に支配者の傍らで絵の御用を務めてきた。

 

  

                 花下遊楽図     狩野長信筆

 

        

                 探幽を支えた長老、春の宴を描く

 

                

                二条城障壁画製作のリーダー、晩年の面影 「狩野探幽」像

 

  

           二の丸御殿  大広間四の間  松鷹図 狩野山楽または探幽作

           将軍の武勇を示す二条城の代表作  

 

        

         二の丸御殿 黒書院廊下杉戸 花籠図   廊下の杉戸にも室内と同じ美的感覚

 

               

              黒書院四の間  菊図  親密な空間を演出する優美な花たち

 

          

 

       白書院二の間   西湖図   将軍のプライベートルーム、白書院の障壁画

 

        

               白書院一の間天井画  花卉図   天井にも豪華な障壁画

 

 

                激動の幕末   <大政奉還の舞台として>

         三大将軍家光が上洛した寛永11年(1634)から後の十代将軍は、二条城に
         滞在することなく、その間、「二条在番」と呼ばれる武士たちが、幕府から派遣され
         二条城の警備・管理を行っていた。

         行幸御殿や中宮御殿などは移築、二の丸御殿も主要な建物を残して解体・撤去
         され、寛延3年(1750)には落雷で天守が焼失、天明の大火で本丸御殿も
         焼失した。
         このように寛永行幸の時から様変わりした二条城は、幕末まで歴史の表舞台に
         出ることはなかった。

 

   

         京都上洛将軍二条城出門の図  

      尊皇攘夷や倒幕運動の波が押し寄せる文久3年(1863)三月、14代将軍家茂は、
      光明天皇の賀茂行幸に御供するため上洛し、将軍としては約230年ぶりに二条城に
      入る。

      幕府の権威回復のため京、大坂、江戸を奔走した家茂は20歳で急逝した。

 

 

        錦絵の題材になった家茂の上洛   「江戸名所尾張町の図」

 

     

        盛装した徳川慶喜の肖像       二条城で大政奉還を決意した将軍徳川慶喜

      

             

                陣羽織 (伝徳川慶喜所用)

            徳川慶喜が所用したと伝えられる陣羽織とナポレオン三世が
            徳川慶喜に送ったと伝えられる軍帽

 

             

              大政奉還 下図  黒書院で大政奉還の決意を述べる

              15代将軍となった徳川慶喜は、慶応3年(1867)10月
              二条城二の丸において大政奉還の意思を発表。
              これが朝廷に伝えられて勅使が出され、幕藩体制に
              終止符が打たれた。
              家康による二条城創建と同年に成立した江戸幕府は、
              その幕引きもまた二条城において行われたのである。

 

                 離宮時代  <華麗なる宮廷文化の移植>

            明治維新後、明治17年(1884)宮内省の所管となり、二条離宮と
            称されることになる。

            江戸中期に御所に描かれていた障壁画が大広間や黒書院の長台の
            間に貼りなおされ、御所近くにあった宮家の邸宅。旧桂宮御殿が
            移築されて新たな本丸御殿となった。

            また二の丸御殿の妻飾りは菊紋の飾り金具が取り付けられ、唐門では
            葵紋を裏から打ち直して菊紋とされた。
            御殿内の内装も離宮にふさわしい宮廷風意匠が導入され、幕府の城は
            新しい時代の宮殿として生まれ変わったのである。

 

             

                  本丸御殿一の間  松鶴図

                幕末京都の狩野派の実力を示す旧宮家の障壁画

 

                 世界遺産二条城  <文化財を守る・伝える>

             昭和14年(1939)二条城は京都市に下賜され、史跡として
             管理されることとなった。
             第二次世界大戦中には、戦火を逃れるため、二の丸御殿の
             障壁画、彫刻、飾金具は一時的に郊外に移された。

 

             

                   保存修理事業

             昭和47年(1972)より二の丸御殿内の障壁画を模写と替える
             「模写事業」が始まり、順次進められている。
             平成14年(2002)から取り外した障壁画の「本格修理事業」が
             開始されると共に、同16年には展示・収蔵館が完成し、原画を
             良好な保存環境のもとに保管し、公開することが可能になった。

             また同6年(1994)には二条城は、「古都京都の文化財」として
             世界遺産に登録された。

             

             もう15年以上も前のことになりますが、二条城の障壁画などの
             修復作業の部屋を見せてもらったことがあります、休憩時間で
             実際に作業は していませんでしたが、部屋の雰囲気を今でも
             よく覚えています。

 

             江戸初期、徳川家康の建造した二条城は、京都観光のうち、
             年間1,2を争うほど多数の人々が訪れているそうです。

 

                「二条城展」は江戸東京博物館で9月23日まで。