しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

銀座 玉木

2011-09-30 13:14:45 | Weblog

                 「雑誌で見かけて美味しそうだから行ってみましょう」と
                 お誘いを受けて出かけた始めてのお店でした。

 

                

                お店は銀座八丁目、最近広尾より移られたようです

 

 

 

 

           

            そう広いお店ではありませんでしたが、オープンキッチンの爽やかな店内

 

 

 

                 
                   
                        アンティークラリックの飾り

 

 

                 

                          アミューズ

 

 

 

                 

                       蒸し野菜のマリネ   お箸でも頂けます

 

 

 

                 

                   メインはデミグラスソースがたっぷりのメンチカツ
                   こちらのお店の評判お料理のようです。

                   かりっと揚がっているメンチにたっぷりのソースは
                   意外でした。
                   洋食屋さんのメンチとはひと味違います。

                   パンを選んだのですが、ほんの一口ご飯も頂きました。

 

                 

                    デザートはブラマンジェにタピオカ入りソース

 

 

                       

 

                   大人がくつろぎの時間を過ごせる場所をコンセプトに
                   和風フランス料理が楽しめるお店です。

 

 

 


旅の終わりに

2011-09-29 07:14:37 | 旅行

                永平寺からバスで帰り道、少し残念なことがありました。
                東尋坊と永平寺しかよく調べていなかったのが原因です。

 

          

                     帰りのバスこれは福井到着の写真です

 

 

                     

           1時間に1本しかないバスですから、途中下車は考えていませんでした。

           永平寺を出発してすぐ着いた停留所、往路には気がつかなかったのですが
           ”一乗谷”で停車したのです、ここが「一乗谷 朝倉氏遺跡・庭園」でした。

           一乗谷?  聞いたことがある! バスで一緒になった女性から聞きました
           あのソフトバンクのコマーシャルはここで撮影されたそうです。
    
           「遺跡と資料館の他あまり見るところはない」との女性のお話でしたが、
           福井駅までバスで30分ほど、一台遅らせても間に合ったのでした。
           帰宅後調べたら、あの川の畔の雪景色もここで撮影されたようです。

           一乗谷は次回のお楽しみにしましょう。

 

 

 

         

            駅に戻るとお昼をかなり過ぎていました、永平寺門前のお店でも
            食べられたのですが、駅ビルのショッピングモールでも”越前そば”の
            美味しいお店があるとの情報にそこに決めました。

            ”おそばだ うどんだ 越前”というお店、ソースカツ丼も有名だそうです、
            そば好きですから、名物のおろしそばに天ぷらセットにしました。
            
            出てきて驚いたのですが、おそばが小分けにされ、大根おろし入りの
            汁をかけて食べるのです。  好みの味で美味しかったです。
            あとから私の隣の席に座った方に食べ方を教えてもらいました。

            そのご婦人とひとときおしゃべりをしたのですが、優しい感じの方で
            70才代ぐらい、ご主人は山が好きで、一緒に登ることもあったようです。
            ご主人のブログも教えていただきました。
            Yさん、楽しいひとときでした。

 

 

 

         

 

         

             ホームには一両編成のこんな可愛い電車が停車していました
             乗ってみたい電車です。

 

 

                    福井発 15:13 特急に乗車

 

                

                 金沢駅ではくたかに乗り換えです、乗り換えのとき

 

 

          

             反対ホームの普通列車を見て、さっき福井を離れたばかりなのに、
             特急では1時間弱でしたが、普通列車でどのくらいかかるのかしら?
             なんてなんだか懐かしい感じでした。

             鉄道好きですから(鉄子おばちゃん)各駅停車も好きです。
             16:20発に乗るため、乗り換え時間はは6分、急がなくちゃ!

             この日、急がなくちゃ!がもう一度ありました。
             それは数日前の台風の影響で「はくたか」が遅れて、越後湯沢から
             19時発の新幹線に乗り換え8分でしたが、「はくたか」の遅れは6~7分、
             もちろん連絡している列車ですから、乗り換えまで待ってもらえます。

             指定は取ってありますが、新幹線改札口は解放、乗客は全員
             エスカレーターに乗り新幹線ホームへ急ぎました。
             ホームに着くと間もなく、列車が入りました。

 
             この列車に間違えて乗ってしまった2人連れのおばちゃんがいました、
             席がなくてわかったのですが、大宮方面に帰る二人連れだったようで、
             急いで乗る人につられて乗ってしまったようでした。

             
             1人旅で、ちょっと心細くなるときはこんなとき、すぐ息子に事情を
             メールしたり、予定していた列車変更のときなど心強いです。
              
             直江津から和倉そして福井と楽しい4日間の旅でした。
             帰宅後、期限の迫っていた友人の洋服を完成させ、楽しみにしていた
             「空海と密教美術展」(25日まで)に行ったり、忙しく過ごし、
             旅の余韻はブログ作りで楽しみました。


             
             

 


永平寺

2011-09-28 07:18:11 | 旅行

                 9月8日朝9時50分、福井駅発永平寺行きバスに乗車。
                 永平寺行き1番バス乗り場には列が出来て、補助椅子も
                 使うほど満席でした。   

 

                 

                       30分ほどで門前に到着します

 

 

 

                  

                       曹洞宗大本山 永平寺

                   永平寺は寛元2年(1244)道元禅寺によって開かれた
                   座禅修行の道場です。

 

 

                  

                       緑が美しい参道でした

 

 

           

        境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小70あまりの建物が並んでいます

 

 

                 

                     参拝者入場門から靴を脱いで入ります

 

 

                 

                  天井画が美しい「傘松閣」  別名「天井絵の大広間」

                  
                著名な画家144名による230枚の花や鳥を中心に描かれた
                美しい色彩画を1930年建築当時のままを修復しました。

 

 

                 

                     鐘楼堂 
 
                  除夜の鐘でおなじみの大梵鐘  朝・昼・夕方・夜の4回
                  修行僧が撞きます。
                  聞く人すべてに清らかな心の安らぎを与えてくれます。

 

 

           

                    山門  

              永平寺最古の建物で三解脱門といわれます、仏の世界に入る関門
                                         (福井県の文化財)

              寛延2年(1749)再建された中国唐時代様式の楼閣門です。
              見上げると吉山永平寺の命名の由来である「吉の額」

              両柱に掲げられている聯に書かれている意味は、ここは出家の道場で
              あり、家風はすこぶる厳格である。
              求道心の在る者のみ、この門をくぐるがよい、と入門の第一関門を
              提起しています。

 

 

               

               

                    山門の四天王 (2008年修復)

 

 

      

           山門は7つのお堂 七堂伽藍のひとつ   

     「伽藍」寺院の建物のことですが、僧侶が修行をする清浄な場所という意味があります
     この中でも特に7つのお堂は「七堂伽藍」と呼ばれ、日常生活に欠かすことのできない
     重要な建物です。
        

 

 

        

                   七伽藍の中心に位置する「仏殿」

           1902年の改築、中国宗時代様式の二重屋根と床は石畳の美しい伽藍です

 

                

                 中央須弥壇の上にはご本尊釈迦牟尼仏が祀られ、
                 三体の仏像は、過去・現在・未来の三世を表しています。

                 欄間の彫刻は禅宗の逸話が図案化されたもの12枚が
                 はめられています。

 

 

   

                 七堂伽藍の一番奥に位置する「法堂」 (はっとう)

 

 

                

                      1843年に改築された、禅師説法の道場

                   朝のお勤めなどの各種法要もここで行われます。
                   中央にはご本尊「聖観世音菩薩」をお祀りし、戒壇の
                   左右には阿吽の白獅子がおかれています。

 

 

           

                     「承陽殿」 1881年の改築

           永平寺を開かれた道元禅寺は、正治2年(1200)京都に生まれ、14歳の時
           比叡山で出家し、24歳の春、中国に渡り厳しい修行をされて、お釈迦様から
           伝わった「座禅」という正しい仏の教えを受け継がれ帰国。

 

 

                 

              「承陽殿」は道元禅寺の後真廟(お墓)です曹洞宗発祥の根源として
              曹洞宗の聖地とでもいうべき場所になっています。

 

 

                 

                   曹洞宗発祥の根源として曹洞宗の聖地といわれます

 

 

           

                  お堂がある段毎に回廊があり、階段があります

 

 

         

            階段も回廊も吹き抜け、山深いこの地は冬の寒さはひとしおと聞きます

 

 

        

                秋が始まっている感じでした

 

 

               

                    この先は一般人の進入禁止です

 

 

     

               仏殿から中雀門を望んだ景色

 

 

                 

                      左手には七堂伽藍のひとつ庫院(くいん)

             大庫院、食事を司る、台所を始め、貴賓の接待の間などがあります

 

 

                 

                  足の速いことで有名な「韋駄尊天」が祀られています

            それは、作られた食事を暖かいうちに早く運ぶことや火を使うことの多い
            場所、もしもの時に速く逃げ出すというような意味で「韋駄尊天」が
            祀られているというお話しでした。

 

 

                 

                      永平寺の名物「大すりこぎ」

 

 

 

           

                   「瑞雲閣」  大庫院の一部分貴賓の接待所

 

 

           

                    七堂伽藍のひとつ「僧堂」 1902年改築

            「雲堂」「座禅堂」とも呼ばれるこの建物は座禅・食事。就寝に至るまでの
            修行の根本道場であり、堂内中央に知恵の象徴である文殊菩薩を安置して
            その周りに約90名が座禅のできる「単」と呼ばれる席が設けられている。
           

            七堂伽藍の残りは、東司(とうず)といわれるお手洗いと、浴室です。

 

 

         

             建物の中からのみの拝観ですがこんな美しい景色も見られます

 

 

   

            これは仏殿の裏側、かなり広くて自分のいる位置がわかりにくくなりました

 

 

         

               簾の向こうに人影が・・・簾を巻き上げている若いお坊さんでした。
               何処を撮影しても自由といわれていましたが、お坊さんにだけは
               カメラを向けてはいけませんということでしたから、慌ててやめて
               立ち去られるまで待ちました。

 

 

 

           

                   拝観順路に従って廻っていたのですが、回廊と階段で
                   巡っているうちに位置がわからなくなりました。

 

 

         

                  緑が美しい境内

 

 

     

               一番下の段、山門の回廊からの美しく見飽きることのない眺めです

 

 

 

                吉祥閣

 

 

            外に出て伽藍の方に少しだけ戻れます

 

 

                

                   階段を上がることはできません

 

 

  

                  祠堂殿

 

 

                  瑠璃聖宝閣

              永平寺参道近くにある両建物は比較的新しいようです

 

            大広間で雲水の生活の様子をビデオ参観できましたが、厳しいものでした。

        
        座禅   修行の根本です。
        朝課   朝の座禅が終わると、法堂で朝課(朝の読経)が始まります。
              東の空がほんのりと白みかかったころ、修行僧の一糸乱れぬ読経の声が
              1時間あまり永平寺の山内に響き渡ります。
        行鉢   行鉢(ぎょうはつ)とは正式な作法に則り食事を頂くこと。
              永平寺の食事はいわゆる精進料理といわれる菜食で、食事も大切な
              修行となっています。
        作務   (掃除などの労働や作業) 修行の中心は座禅ですが、座禅だけが
              修行のすべてではありません。
              毎日行われる回廊掃除などの作務はいわば「動の座禅」といえる
              ものです。

 

             まだあどけなさの残るような若い修行僧に話を聞きました。
             辛かったことは?と聞きくと、やはり慣れるまでの食事だったようです。
             気さくにいろいろ話してもらえました。
             
             七堂伽藍の僧堂・東司・浴室は、三黙道場といって一切の私語は
             禁止されているそうです。

             「永平寺」でゆっくり拝観できて心落ち着くひとときを過ごしました。

 

 

 


福井の街、朝の散歩

2011-09-25 22:48:46 | 旅行

             福井の朝は晴天に恵まれ、早く目覚めたので散歩に出ました。
             地図を見ると駅から近そうな福井城址に決めました。
               

 

           

             福井城址の堀にかかる御本城橋は通勤の人たちと一緒に渡ります

 

 

                

                   橋を渡り少し行くと県庁前です

 

 

                

                 県庁の横を行くと城跡らしい景色になりました

 

 

                            福の井  福井の地名の由来と伝えられているそうです

 

 

           

                      天守閣跡

 

 

           

           この天守台跡の石垣には1948年の福井震災による崩壊の跡が残っていた

 

 

                 

                        山里口御門跡

 

 

                 

                   福井神社の鳥居  この横は小学生の通学路でした

 

 

           

                   右奥に廊下橋が見えます、そこを通って城址の外に出ました

 

 

           

             今から約430年前、当時天下の名城といわれた安土城の天守閣でさえ
             七層であった時代に、九層にものぼる日本最大級の城・北の庄城が
             築かれたところです。  城主は柴田勝家。

 

 

                

 

         

            この塀の中は「名勝 養浩館庭園です、残念ながら開園は9時でした

 

 

                

                    郷土歴史博物館も開いていない時間でした

 

 

                

                     小さな公園の武士像は、旅立ちの姿です
                     三岡八郎(後の由利公正)と横井小楠

 

 

           

                      本丸南西の景

 

 

           

              9時50分発、永平寺行きの最初のバスに乗るため散歩はここまで。

 

              日中の暑さは30度を超していたようですが朝の散歩時はまだ涼しくて、
              最高の散歩日和でした。

 

 

 


東尋坊

2011-09-25 06:51:55 | 旅行

                民に悪の限りを尽くした東尋坊という名の怪力僧がいた。
                在所の美しい姫に心奪われた東尋坊は、恋敵である
                真柄覚念という僧と激しくいがみ合っていたといわれる。

                あるとき、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、隙を見て
                東尋坊を崖から突き落とした。
                すると天候がにわかに崩れ、雨と暴風が49日続いたという。

 

 

                  

                事前に調べたそんなことを思い出しながら芦原温泉駅(あわら
                おんせん)まで各駅停車に20分ほど乗りました。
                そこから東尋坊までバスで行くことになります。
                

 

                

                  芦原温泉駅から、バスで約40分近くかかるようです

 

 

      

         バスを降りておみやげ屋が並んだ道を行くと現れたのが、この景色でした

 

 

           

        遊覧船乗場、この日は海が荒れていてここからは出ませんと言うアナウンスでした

 

 

           

                 海から見た東尋坊はこんな形状だそう

 

 

          

            毎年命日の4月5日は、東尋坊の怨霊か、海は荒れ大波と化し、
            激しく岸壁を打ち付けたとか、そしてこの岸壁が東尋坊と呼ばれるように
            なったそうな。

 

 

   

            そんなことを思い出しながら眺めた海は、 明るすぎます、美しすぎます!

 

 

           

                   波打ち際まで下りてみました

 

 

                

                    細くくねった階段は帰りが大変でした

 

 

           

                やっぱり想像していた東尋坊と違う!

 

 

  

         9月7日は真夏のような日差しで明るかったのです。 小説に出てくる東尋坊は、
         日差しもなく、どんよりとした空と灰色の海でした。

         映像で見るのもそんな季節、なんといっても自殺の名所といわれていますし。

 

              岩の上の人のように覗いてみましたが、足がすくみました

 

           

                  あれが蝋燭岩でしょうか、名前のついた岩も多くあるようです

 

 

 

           青い海に白い遊覧船と赤い橋  美しい景色です、見とれていましたが、
           ここが冬になるとどんな色になるのでしょう?

           あまりにも自殺の名所のイメージが強く、”東尋坊”は私の中でようやく
           イメージが変わったというより、ここが東尋坊?という感じが強かった。

 

 

          

              恋人たちの影も長くなってきました。 遊歩道を行くと夕日を見る
              絶好のポイントがあると、教わりましたが、1人で夕日を見るのは
              ちょっと淋しいかな~ と戻ることにしました。

 

 

                

                      優しく海を見守っていられます

 

 

           

               これから東尋坊を想像するとき、私の中ではこの日の景色に
               なるでしょう。  冬景色も見たい気もありますが・・・

 

               帰りのバスを待っていたとき、同年代の女性に「東尋坊は
               いかがでした」?と声をかけられました。

               「想像していたところと違いました、暑い季節だからでしょうね」と
               答えますと、その方はバス停留所から海に出る前に、両側に並んだ
               おみやげ屋さんの呼び込みなどに、ガッカリしたそうで、観光客も
               多いし、賑やかなのも気に入らなかったようです。
               ガッカリを連発されていました。

               海が好きな私は、確かに東尋坊のイメージは変わりますが、これは
               これで自分の中で受け入れていました。

 

 

 

              お昼をちゃんと食べていなかったので、ホテルにチェックインのあと
              息子が住所と地図を送ってくれたお店に行ってみることにしました。
              福井駅から思ったより近く、すぐそのお店は見つかりました。

 

                 

                     入りにくいかと心配しましたが

 

 

           

               優しいご主人でほっ!   ご家族でやっているようでした

 

 

           

             お勧めの特上寿司は台からはみ出しそうなボリューム、そしてどれも
             新鮮なネタですごく満足でした。
               
             おそるおそる入ったお店でしたが、優しいご主人と少しお話しも出来て
             うれしいお店でしす。
             苦手な生ものが多い私も、旅先でいろいろ食べる機会があり、すっかり
             お寿司好きになっていました。

 

             明日4日目は旅の最終日、福井での一番の目的地、永平寺に行きます。
             直通バスは回数も少ないです、東尋坊と永平寺に行くのに2日間有効の
             バスチケットも買ってあるし、時刻表も確認、早めにホテルに戻りました。

 

 

 


能登半島  「和倉温泉」

2011-09-23 16:26:51 | Weblog

           

                  温泉街に散歩に出たら、和倉港に公園がありました

 

 

           

                       和倉の弁天さま

 

 

                 

                薬師如来像は見えませんでしたが温泉をかけるのでしょうか?

 

 

           

                  和倉は飲める温泉でした

 

 

           

               海を見たくて弁天橋を渡り、和倉港の桟橋に出ます

 

 

           

                    能登島大橋、この橋をわり

 

 

           

                 ”ツインブリッジのと” で戻ると能登島が一周できるそうです

 

 

           

               有名な旅館「加賀屋」は巨大でした、1人では泊まりにくい。
               最近台湾にも純和風旅館を建てたようです、台北に開店の様子を
               偶然テレビで見たのを思い出しました。

 

 

 

           

                   七尾西湾は美しかったです

 

 

                  

                    地元の人がのんびり釣りを楽しんでいます

 

 

           

            せっかくなので大きな温泉にはいることにしました、露天風呂も楽しめます

 

 

                    

 

           

               1人旅のお店での食事はしにくいので、息子にまた検索してもらい
               ホテル近くのここに、あまり人の多くない時間帯に入ってみました。

 

 

           

              お酒を飲んだらよさそうなお店でしたが、1人では飲めませから

 

 

           

                   メバルの焼き物を選びました

 

 

                     

                      干しくちこ  日本三大珍味だそうです

                一匹のナマコから細くてごくわずかしか採れない卵巣を
                幾重にも重ね、細縄にかけ、陰干しにして仕上げる珍味。
                軽く炙ってあるようでした、まさに酒の魚、ちょっと試しました、
                やっぱり日本酒が欲しくなる味でした。

 

 

           

                  朝は8時から開店とのことで出発前に立ち寄りました

 

 

      

             メールで情報を送ってくれる息子にお酒のつまみを奮発しました

 

 

               

                  温泉街、左奥にひときは多きい建物が加賀屋です

 

 

               

                  ホテルから眺めると海も空も同じ色に見えました

             ひとり旅はかなり経験していますが、温泉は初めて、和倉温泉の
             ひと駅手前、七尾駅から行かれる七尾フィッシャーマンズワーフも
             魅力でしたが、能登半島はまたの機会に輪島あたりまで行く事にして、
             午後に出発の予定を朝に変更して、福井に向かうことにしました。

 

                

 

           

 

           

 

                 

                   10時15分発でしたが、出発時は空いた車内でした

 

 

           

              2時間ほどの快適な旅はあっという間に過ぎました福井は初下車です

 

 

           

               反対側のホームには各駅停車金沢行きが停車中、
               これで金沢まで1時間半ほどかかります(特急ですと50分ほど)

 

               初めての場所に下車は、わくわく半分、不安半分です、右も左も
               わからずに駅を出るのですから。
               晴天に恵まれたお昼を過ぎたばかりの暑い福井駅でした。

 

 

 


直江津~和倉温泉

2011-09-21 06:00:36 | 旅行

                  早朝の直江津で2日目の親鸞めぐり旅を終えたあと、
                  次の目的地、石川県七尾市の和倉温泉に行きます。
                
                  直江津から金沢に行く予定でしたが、迷っていたとき
                  旅行の仕事をしている息子が和倉温泉を教えてくれた。

                  1人旅で温泉に行くのは・・と躊躇していたのですが、
                  時刻表を検索していたら、直江津から和倉温泉行きが
                  あるのを知り、決めたのです。

 

                 

                    直江津駅から11時38分の「はくたか」に乗ります

 

                 

                   直江津駅、2階改札口階、11時前頃の時間です
                   あまりの人影がないのに驚きました。

                   タクシーの運転手さんが、東京から金沢に新幹線が 
                   開通すると直江津駅は通らないからもっと寂れて
                   しまうのではと話していたのを思い出しました。

 

 

         

        列車を見に来ていた、お孫さんを連れたおばちゃんにとも話したのですが、
        「昔から比べると淋しくなるばかりで、歴史ある直江津をもっと宣伝して欲しい」と
        言っていました。 恥ずかしがりやの坊やは、カメラに顔を向けてくれませんでした。

        直江津は1日半の滞在でしたが、歴史ある古寺も多く、よいところでした。

 

 

          

                 出発には少し時間があったのですが、ホームにおりました

 

 

                

                      お弁当屋さんが出ていました

 

 

           

 

           

                これは越後湯沢行き、反対方向の列車です

 

 

           

                  

                      「はくたか」を撮影していました

 

 

                  

            同じ列車の車両に乗り合わせることになった東京から旅行中のお二人、
            優しいご夫婦とお話しをして、心和み、写真を撮らせていただきました。

 

 

                

                     鉄道好きにはわくわくする瞬間です 

 

 

         

        お弁当屋さん一押しの”鱈めし” 偶然買ったお弁当なのですが、息子に写真を
        送ると、「渋谷東急と京王デパートの駅弁大会1位になったと、ヨネスケのブログに
        書いてある」とか「親子弁当対決でも優勝したらしい」とか、たしかに親子といえば
        鮭とイクラが普通で、「全国唯一らしい」「酒のつまみにいい」と書いている人が
        いたり、「ご飯が少ない」とか賛否両論と答えが返ってきた。

        車窓を楽しみつつお弁当時間、棒鱈の煮物は濃いめの甘辛味、軽く焼いたたらこ、
        鱈の和え物や、わさび漬け風、小型のお弁当箱ですが、鱈の親子を堪能しました。
        駅弁は鉄道の旅の楽しみの上位なのだそうです。

 

 

          

            直江津駅で一緒になったご夫婦はここで下車、「お気を付けて」と声を
            かけていただいた、「お二人もお気をつけて旅をお楽しみください」

 

 

                 

                  金沢近くで見かけたのは新幹線工事でしょうか?

 

 

          

 

          

               黄金色の稲が初秋の青空に美しく映えていました

 

 

          

                 「はくたか」は快適でした

 

 

 

       

            直江津からちょうど3時間ほどで和倉温泉駅に到着

 

 

              

               温泉街はここからタクシーで10分はかからないとか、、、
               こんな景色を見て、ひとりで温泉地に来てしまって、
               失敗?と頭をよぎりました、でも澄んだ青空と、その先の
               海を楽しみに、タクシーに乗車したのでした。
              

 

 

 


上越 「光源寺」

2011-09-17 08:53:19 | 旅行

               「国府別院」を出て、流罪を解かれた親鸞の「喜びの表情」に
               出会うお寺「光源寺」に向かいました。

               4,5分歩くと、なんと前日道がわからなくなり、若い方にたずね、
               車で駅まで送っていただいた、見覚えのある交差点に出たのです。
               

 

 

           

                   光源寺はそこからすぐの所でした

 

 

                 

                      親鸞の弟子・最信によって開かれたお寺です
                      
                  木曾義仲の家臣であった堀徳兵衛光政は越後にやってきた
                  親鸞に深く帰依し、覚円坊最信という名をもらった。

                  流罪を赦免された親鸞はその後関東へ旅立つが、最信は
                  越後に残って草庵を結び「覚円坊」と称する。
                  これが光源寺の始まりである。

 

 

     

            荘厳な雰囲気の漂う本堂

 「野菊にも 配流のあとと 偲ばるる」  と詠んだ高浜虚子の俳句さながらの趣を今に伝える

 

 

                  

               本堂の内陣は本堂と御影堂を併設した珍しい配所ならではの様式
            
               御影堂の中央には「流罪勅免御満悦御真影」が安置されている。
               これは赦免の知らせを受けた親鸞が、その喜びの表情を自らの手で
               描いたと伝わるもの。

               左手を上にしていることから「左上の御影」とも呼ばれる。
               親鸞が着ている衣は、流罪中の着衣を仕立て直したものだという。

               光源寺は妻・恵信尼とのゆかりも深く、数々の宝物を今に伝えている。

 

                 

                       恵信尼座像  

              越後で暮らした20代後半から30代前半頃の恵信尼の姿といわれる

 

 

                 

                こちらにも「越後の親鸞七不思議」のひとつ「八房の梅」の碑が
                ありました。

 

 

                 

                     朝陽の木陰の鐘楼はなんだか神秘的でした

 

 

            流刑地であった越後には、親鸞にまつわる様々な伝承が残されている。
            中でも有名なのは七不思議、親鸞は県内各地を訪れて、人々に教えを
            説いたといいます。

            その際に起こしたとされる動植物の関する不思議な言い伝えは、
            親鸞の超人性、非凡性を感じさせ、人々が親鸞に何を期待してきたか
            いかに慕ってきたかをうかがうことが出来ます。

 

            上越市 居多神社に伝わる「片葉の葦」   
            阿賀野市 梅護寺に伝わる 「八房の梅」その他
            新潟市 西方寺の「逆さ竹」  親鸞が竹の杖を地面に突き刺して仏法を
                               説くと、杖から根が出て逆さの枝が生えたと
                               いう。
            阿賀野市 孝順寺「三度栗」 親鸞が焼き栗を埋めると芽が出て、年に3回
                              花が咲き、実を付けたという。
            南蒲原郡 了玄寺「繋ぎ榧」 糸で紡いだカヤの実の一粒を親鸞が埋めると
                              木が生え、小穴の開いた実がなるようになった
            阿賀野市 梅護寺「数珠掛桜」 親鸞が桜の枝に数珠を掛けて教えを説くと
                                花が数珠のようにつながって咲くように
                                なった。
            新潟市 田代家「山田の焼鮒」 あるとき食事に出された焼いた鮒を親鸞が
                                池に放した。
                                すると鮒が泳ぎだしたという。

 

           越後では初めて農民や漁民など、人間の生活の根本を支える一般の人々と
           ふれあうことが出来た。

           京都での生活が主に「消費生活」であったとしたら、越後で「生産生活」を
           知った。

           人間が生きるとは何かを、肌で感じることが出来たのではないか。
           つまり流人生活は親鸞にとって、「学び」と「深化」の時期だったと考えられる。
           
           もはや僧でもなく、だからといって俗人でもない、ただの愚かな自己(愚禿)
           と徹底して向き合った日々であった。

                 (「親鸞めぐり旅」 講談社より)

 

           流罪を赦免された親鸞は、新天地関東へと旅立つ、親鸞42才、胸には
           念仏布教への熱き思いがあった。

           関東の巡り旅もできたらと思いますが、その足跡は広い地域に点在しており、
           交通の便を考えると、難しいところもありますが、数カ所は行けそうです。
           その時はまた「親鸞めぐり旅」の続きとして見ていただけたら幸いです。

 

 

 

 


上越 「国府別院」

2011-09-17 07:30:52 | 旅行

                 前日夕方から夜にかけての雨も上がり、早朝から
                 強い日差しの中、運行の少ないバスの時刻表にあわせて
                 直江津駅バスターミナルに向いました。

 

                 

               前日の感じから思ったよりも近く、10分ほどで目的地に着きました

 

 

 

                 

 

           

 

 

                 

                親鸞は五智国分寺で紹介した竹之内草庵に1年ほど住んだ後、
                「竹ヶ前草庵」(たけがまえそうあん)に移り住んだ。

                草庵跡とされる場所に本願寺国府別院が建立された。

 

 

                 

                      居多ヶ浜に上陸した親鸞と弟子たちの像

 

 

        

          越後随一ともいわれる壮麗な本堂は総欅造りで1805年に建立されたもので、
          本尊の阿弥陀如来座像と親鸞聖人御影とを並べて安置する独特な様式。

 

 

 

         

        親鸞は関東に旅立つまでの間を、ここ竹ヶ前草庵で暮らし、妻の恵信尼との間に
        信連房らの子供が生まれ、家庭生活を営んだ。

        農民や漁民たちとの交わりから学ぶことも多かったであろう。
        そして思索にふけり己の信仰を深めていった。

 

 

                

              境内には親鸞が袈裟をかけたと伝わる「袈裟掛けの松」があったが
              残念ながら松喰虫被害によって伐採された。 跡に建てられた碑。

 

 

                           

              少し朝早い時間でしたが、本堂の中でお詣りさせて頂けるように
              お願いしてみればよかったと、あとで後悔しました。

 

 

 

               

                  参道を振り返りながら国府別院前の道に出ると、
                  ちょうど通学時間帯だったようでした。

                 地図によればこの道の先に次の目的地「源光寺」の
                 道に出ると思われるのですが。

 

 

 


上越市 「浄興寺」

2011-09-15 07:10:48 | 旅行

             「ゑしんの里」の新井駅から3駅直江津方面に戻った田駅で下車。
             

 

         

              田は寺町でした、ここから徒歩7分ほどのところです

 

 

               

                親鸞が関東に結んだ「稲田草庵」を受け継ぐお寺です

 

 

         

             本堂  江戸時代前期に建てられた、県内最大、最古の真宗本堂

          流罪を赦免された親鸞は常陸の国(茨城県)へと移り、稲田に草庵を結んだ。
          「教行信証」(きょうぎょうしんしょう)を完成させると、喜びのあまり草庵を
          「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」(かんぎゆやくざん)と名付けたという。
          略して「浄興寺」。

 

 

               

                      本尊・木造阿弥陀如来立像

             親鸞は60才の頃京都へ帰るが、その時寺を弟子の善性に譲った。
             寺は後に戦火を受け転々としたのちに、1737年頃現在地に
             再建された。

 

 

               

               数々の変転を辿りながらも、稲田時代からの親鸞ゆかりの
               貴重な遺品を数多く伝える。

 

 

               

              浄興寺が建つ田は、家康の6男・松平忠輝によって築かれた
              田城の城下町です。

 

               

                 木造聖徳太子立像は親鸞自作の像と伝えられる

 

 

               

                     お詣りをする人が絶えないそうです

 

 

         

                親鸞の頂骨が納められている本廟

          本願寺歴代門主や、親鸞を慕う50万人もの人々の骨頂も納められている

 

               

                   精緻な彫刻が施された本廟正門の唐門

             本廟は柏崎の名匠、篠田宗吉が棟梁となって6年の歳月をかけて
             完成させた。

 

 

               

                    越後の親鸞七不思議のひとつ「八房の梅」

               塩に漬けた梅を親鸞が植えると芽が出て、ひとつの花に
               8つの実を結ぶ梅の木になったという。

 

             骨頂や自筆の名号など貴重な遺品を今に伝える「浄興寺」でした

 

 

           

               浄興寺の近くにこんな案内板があり驚きました、寺院案内なのです。

               田城、城下町の寺町には60余りもの寺院が甍を連ねている。
               そして静寂な町並みは訪れるものを江戸の昔へといざないます