法然が長い勉学の末についに専修念仏の教えを見いだし、
親鸞が渾身の力で修行を続けた比叡山に行くことにしました。
朝一番の比叡山延暦寺行きバスは8時30分、京都駅出発です。
月曜の朝のバスは空いていて、そこで1人旅の女性に出会いました。
(延暦寺バスセンターまでの所要時間は1時間15分)
延暦寺バスセンターで下りて東塔(とうどう)に向かいます
国宝 根本中堂(こんぽんちゅうどう) 延暦寺の総本堂です
根本中堂の本尊は秘仏 薬師如来像その前には「不滅の法灯」が
開創以来1200年の間消えることなく灯り続けています。
内陣が参拝者のいる中陣・外陣より低い位置にあり、本尊や法灯が
参拝者の目の高さにきているのは、仏も人もひとつという仏教の
「仏凡一如」の考えを表しているのだそうです。
根本中堂の向かい側のこの石段の上には「文殊楼」
比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門です。
駆け上がれた事もあるのですが、足を痛めていたので
今回は登るのを諦め、下から参拝しました。
御修法 (みしほ) という行事の日でした
「御修法」 はじめて出会う行事でした
開宗以来続く天台密教の秘法で根本中堂に天皇の「御衣」を供え
加持祈祷すると伝えられています。
17名の天台最高位の僧侶により行われる伝統儀式だそうです。
行列を見送り東塔内の見学です
大講堂
僧侶が法華経の講義を聴いたり、お互いに問答をして勉強する
学問修行の道場です、比叡山で修行して一宗の開祖となられた
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの像が安置されています。
ご本尊は大日如来
親鸞は9歳で出家するとやがて比叡山に上がり
堂僧として修行に明け暮れた。
堂僧とは、常行三昧堂に仕える僧で、日夜多くの
勤めが課せられていた。
親鸞はそうした責務を果たしつつ、自身の修行を
極めていく。
阿弥陀堂
ここは滅罪回向の道場 ご本尊は阿弥陀如来
お堂の前、写真右手に見える石のところに大きな水琴窟が作られていました、
”妙音”をお楽しみ下さいとありました、 妙なる音を楽しみました。
東塔
朱塗りの美しい回廊
戒壇堂
僧侶が大乗戒(規律)を受ける重要なお堂
ほとんど人通りのない道でした
京都駅バス乗り場で一緒になった女性と2人でこの山道を
西塔に向かいました。
浄土院
伝教大師の御廟がある浄土院は東塔と西塔の境目にありました
山内で一番神聖な場所なのだそうです。
12年籠山修行の僧が生身の大師に仕えるごとく奉仕しています
美しい杉木立と静寂な空気に包まれています
椿堂
人影もなく、1人では淋しいところでした
親鸞聖人修行の地という石碑を見つけました
どんなに厳しい修行をしても、求める境地に至ることはできなかった、
20年の修行生活ののち、親鸞は比叡山をあとにするのです。
常行堂・法華堂 「弁慶のにない堂」
同じ型のお堂が廊下でつながっている、弁慶がこの廊下に肩を入れて
担ったとの言い伝えから、「にない堂」とも呼ばれています。
鐘楼
釈迦堂
山上で最も古く、天台建築様式の代表とされる荘厳な釈迦堂
さらに山道を行きます
瑠璃堂 苔むした石段と趣のあるお堂
織田信長の軍勢によって比叡山が焼き払われ、建物で残ったのはこの瑠璃堂といわれます
西塔の少しはずれにあるお堂です、1人ではここに行くのを躊躇ったと思います
あまりにも淋しいところです、ご一緒した女性に感謝でした
比叡山内のシャトルバスでこの先横川(よかわ)まで行けたらよかったのですが、
横川から先に廻らないとバスの時刻表的に無理とあとで知りました。
西塔からさらに奥へ4㎞の横川はひときわ静謐な修行の地、神秘的だそうです、
そして親鸞など名僧たちが修行に入った地だったのです。
何度か訪れている比叡山もこの横川にはまだ行ったことがありません、次の機会に
ということになりました。
帰りは京都駅まで直通のバスがなくて、比叡山頂ロープウエイで下山です。
所要時間は3分のロープウエイからケーブルに乗り換えて
途中京都の町が見えました
桜を楽しみ9分でケーブル八瀬駅に到着
八瀬比叡山口から出町柳までは叡山電車でした
出町柳で遅い昼食を済ませ、ここから「飛雲閣」が公開されている
西本願寺をYumiさんと一緒に見学、夕方まで過ごしました。
(京都駅で出会った女性はYumiさんという名前でした)
京の都を守るようにしてそびえる標高800㍍余の山、比叡山。
その山並みの全体が一大仏教寺院である。 八世紀に最澄が開いた
この寺院はやがて多くの逸材を輩出した。
厳しい修行とすさまじい湿気、恐るべき冬の寒さと切り詰めた生活から
いつしか「論湿寒貧」が比叡山のキャッチフレーズとなる。
後の親鸞の師となる法然は13歳でこの寺に上り「知恵第一の法然坊」と
讃えられた、だが自身は名声を求めようとせず、中央から外れた「別所」
と呼ばれる地で念仏の道に進んで行く。
比叡山には「一度しかない経験」の思い出があります。
もう15年ほども前のことですが、JR東海の京都クラブに入っていた頃、
比叡山の麓、滋賀県側の坂本から徒歩で比叡山に登ったことです。
坂本の阿者梨(あじゃり、正しいじゃは門の中に者です)さんと
参加者は30人ぐらいだったと思いますが、明け方の3時に出発、
日吉大社にお詣りしてから、根本中堂のところまで山道を歩きました。
山道を一列に、数人の若いお坊さん達に守られながら、遅れないように
必死で歩きました、参加者の中で私はいちばん年上のようでした、
そして山には登ったこともないのです。
根本中堂に到着する頃には夜が明けていました、そして帰り道は
ケーブルに乗った人もいたのですが、何とか徒歩で下山できましたが
一番最後に下りた1人でした。
暗闇の比叡山山道、時々見える麓の小さな灯りが神秘的でした。
「親鸞めぐり旅」から逸れましたが私にとっての比叡山のよき思い出です。