平家物語の中で清盛と関係の深い3人の女性、
その女性たちを語り継ぐ寺院を辿ってみました。
(長楽寺~清閑寺~平等寺)
長楽寺
円山公園の少し奥、静寂さが漂う長楽寺は朝もやの中でした
延暦24年(805)最澄が創建したと伝わります。
壇ノ浦で救われてしまった建礼門院は長楽寺の僧のもとで剃髪。
安徳天皇が入水する直前まで召していた形見の直衣(のうし)を
幡に仕立て寺に奉納しました。
朝の光が差し込む境内を散策したのですが、静かで人の気配もありません
平安の滝
法然上人の高弟隆寛律師や建礼門院などの修行の場
相阿弥作の園地
建礼門院坐像
5月にここ長楽寺で剃髪し、9月には大原の寂光院へ。
このとき建礼門院は29才でした。
かつては我が世の春を謳歌し、錦の衣を重ねていた女人が
黒染めの衣に身を包んでのわび住まい。
ここから大原草生の里、寂光院に移られた建礼門院のことを
思う、あまりにも静かな長楽寺でした。
清閑寺
清盛の栄華の影に悲劇の女性あり
六条天皇 高倉天皇清閑寺陵の横の階段を上ると「清閑寺」があります
以前清閑寺山内町というバス停がありましたが、今回はここに行く
バスは無いといわれて、タクシーで行き、帰りのことが気になり、
運転手さんに意外な道を教えてもらい、安心して参詣できました。
ここ清閑寺も平家物語にゆかりの女性小督(こごう)が
尼となったのちに住んだと伝わるお寺です。
小督の局の供養塔が楓の木下に
ひそやかに立っています。
塞いでいた高倉天皇に徳子が宮廷一の美女、小督を差し向けます、
天皇は、琴の名手でもある美しい小督を溺愛します。
小督の元恋人、藤原隆房の正妻も清盛の娘だったことから、清盛は
二人の婿を取られたと小督を憎んだのです。
小督は天皇に迷惑が及んではと嵯峨野あたりに身を隠します。
小督を忘れられない天皇は、笛の名手国仲に探させました。月の美しい
夜のこと、国仲は、こんな夜は天皇のことを想い琴を弾いているに違い
ないとおもいつつ馬を進めます。
「峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音かおぼつかなくは思えども」と
かすかな琴の音を頼りに小督を捜し出しました。
その楽曲は夫を想い慕う「相夫恋」。 小督は内裏へ迎えられますが、
それも束の間、清盛によって尼にさせられてしまいました。
墨染めの衣にやつれ果て、痛ましいことであったと物語に記されています。
境内の要石
要石の側に立つとそこを要として扇を開いたような形の
眺望が楽しめました。
まったく人気のない本堂にお参りをして下山
タクシーが拾える場所ではないので、運転手さんに教わった
近道とやらに入りました少し寂しい道でしたが見えてきたのは
清水寺でした、清水寺に抜けられる細い道でした
清水寺の舞台の下を通らせてもらい五条通りに出ました
因幡堂 平等寺
もう一箇所、特別公開の平等寺に立ち寄ることにしました。
烏丸通、四条と五条の間の一本裏通りにあります。
寺伝によると、橘行平(たちばなのゆきひら)が夢のお告げで
海中から引き上げた薬師如来を祀ったのが寺の起こり。
そのご利益で行平が因幡(いなば)の国の国司となったことから
「因幡薬師」としてしられました。
承安元年(1171)高倉天皇から勅額を賜り平等寺となりました
今も因幡堂のほうがなじみがあるそうです
通常非公開の小督の愛用の品、硯箱は金の高蒔絵の
楓とつづらの文様でした。
小督愛用の琴や小督の髪で作ったと伝わる「毛髪織込
光明真言」など多くの寺宝が特別公開で見られます。
ご本尊薬師如来立像も公開されていました
藤原時代の一木造で、頭巾をかぶった印象的なお姿です。
ゆかりの場所はあと一箇所回りましたが、長くなりました
次回にしましょう。