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日常生活のあれこれ

上越市 「浄興寺」

2011-09-15 07:10:48 | 旅行

             「ゑしんの里」の新井駅から3駅直江津方面に戻った田駅で下車。
             

 

         

              田は寺町でした、ここから徒歩7分ほどのところです

 

 

               

                親鸞が関東に結んだ「稲田草庵」を受け継ぐお寺です

 

 

         

             本堂  江戸時代前期に建てられた、県内最大、最古の真宗本堂

          流罪を赦免された親鸞は常陸の国(茨城県)へと移り、稲田に草庵を結んだ。
          「教行信証」(きょうぎょうしんしょう)を完成させると、喜びのあまり草庵を
          「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」(かんぎゆやくざん)と名付けたという。
          略して「浄興寺」。

 

 

               

                      本尊・木造阿弥陀如来立像

             親鸞は60才の頃京都へ帰るが、その時寺を弟子の善性に譲った。
             寺は後に戦火を受け転々としたのちに、1737年頃現在地に
             再建された。

 

 

               

               数々の変転を辿りながらも、稲田時代からの親鸞ゆかりの
               貴重な遺品を数多く伝える。

 

 

               

              浄興寺が建つ田は、家康の6男・松平忠輝によって築かれた
              田城の城下町です。

 

               

                 木造聖徳太子立像は親鸞自作の像と伝えられる

 

 

               

                     お詣りをする人が絶えないそうです

 

 

         

                親鸞の頂骨が納められている本廟

          本願寺歴代門主や、親鸞を慕う50万人もの人々の骨頂も納められている

 

               

                   精緻な彫刻が施された本廟正門の唐門

             本廟は柏崎の名匠、篠田宗吉が棟梁となって6年の歳月をかけて
             完成させた。

 

 

               

                    越後の親鸞七不思議のひとつ「八房の梅」

               塩に漬けた梅を親鸞が植えると芽が出て、ひとつの花に
               8つの実を結ぶ梅の木になったという。

 

             骨頂や自筆の名号など貴重な遺品を今に伝える「浄興寺」でした

 

 

           

               浄興寺の近くにこんな案内板があり驚きました、寺院案内なのです。

               田城、城下町の寺町には60余りもの寺院が甍を連ねている。
               そして静寂な町並みは訪れるものを江戸の昔へといざないます

 

 

 


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