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しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

フランクフルト国際空港から帰国  

2013-03-07 08:32:13 | 旅行

                1月27日帰国の日です。
                      ホテルが空港近くだったので送迎バスで空港に出ます。

 

            

              ホテルの朝食はビュッフェ、品数豊富なメニューに食べ過ぎてしまいそう

 

            

                 フランクフルト国際空港はドイツ最大の空港です

              日曜日はフランクフルトの街のお店が休みなので、夜のフライトでも
              午後から空港で過ごすことにしました。

 

            

                 出発は第1ターミナル、第2ターミナルにはこのバスで見学
                 

                  戻ると広い第1ターミナル内の散策

   

        どこの駅でもよく買ったパン屋さんも空港にありました、どこで買ったサンドウイッチも
        ほんとうに美味しかった。
        左の小さいまるいかごに入っているプレッツェルが大好きでこれもよく食べました。

 

            

                 ここが空港内のスーパーマーケット、立ち寄ってみました

 

            

                     お寿司、果物、スウィーツと豊富です

 

            

            

                  なんでも揃っています、りんごは量り売りでした

            

             チーズ、ヨーグルト、バターと乳製品もこの品揃え、ビュフェで美味しかった
             チーズを見つけて買いました。

  

            

                    サラダやデリカも美味しそう

 

            

               夫が食べられそうなソーセージを買うことにしたら、”パンに挟む?”と
               言われたようなので、それにしました。
                
               ソーセージのわりにパンが小形て、硬めです、パンの倍以上もありそうな
               ソーセージ、それがこちらのホットドッグ、(ソーセージを食べるための
               パンといった感じです)小袋のマスタードが付きます。

               ソーセージもパンも暖かくて、やっぱりビールが合います。
               食欲不振の夫も帰れることに安心したのか、久しぶりの完食でした。

 

 

            

                 往路も寝られなくて、時差ぼけを心配した機中ですが、帰りも
                 映画を楽しんで過ごしました。

 

            

                   なんと美しいブルー

 

            

               モニターのフライトコースを見ながら時々見えた景色も楽しみました

 

               フランクフルト1月27日20:45発  成田には28日16:15着 
               11時間30分のフライトでした。

 

            

 

              ユーレイル セレクトパスでの列車の旅は、ドイツのフランクフルトを出発、
              ケルン、ハンブルグ、ベルリン、ドレスデン、ライプチヒ、ニュルンベルク、
              ミュンヘンなどに立ち寄り、ウイーン、そしてローマ、ローマからミュンヘンを
              経てフランクフルトに戻る、旅でした。

              帰国した時は、やれやれという気持ちで、楽しかった! とはあまり
              思えなかったのですが、帰国後、改めて旅行誌を見たり、立ち寄った
              場所の歴史などを調べているうちに、すっかり興味を持ち、本当は
              ほとんど気の進まなかったドイツが大好きになりました。

              旅行会社を経営している息子は、早くも次を計画しているようです。

              しっかりと考慮されたコースや列車の種類などで快適な旅になるのでしょう
              から、準備は大切です。
              次回同行できるかどうかはまだ不明です。

              長くなりましたがこれでヨーロッパ鉄道の旅は終わります。
              ご覧いただきありがとうござしました。
              

 


ローマ~フランクフルト

2013-03-06 06:59:21 | 旅行

              ローマからフランクフルトに戻るのは昼間の列車を希望したのですが、
              出発の時間や、3回の乗り換え時間など都合悪く、結局夜行列車に
              なりました。

 

            

                 ローマテルミニ駅19時5分発  CNL484 Wagon 258

 

            

                   DB  ドイツ国鉄の車両でした

 

                  

                    往路と同じシャワー付き個室ですが、2段ベッドで、
                    乗車した時にはセットされていました。
                    
                    電池切れで息子からの電話も受けられなかった携帯も
                    車内で充電の設備が見つかりほっとしました。
                    

 

                  

                    部屋ナンバーは、32と36、二人部屋なのですけど
                    こんな番号です。

 

                  

                     部屋もですが、シャワールームも列車によりこんなに
                     違うとは思いませんでした。
                     コンパクトで便利ですが、結局列車でシャワーは
                     復路も使いませんでした。

 

                       

                   (ひどいブレ写真ですが)往路のように朝食の注文が
                   できなくて決まった朝食に、温かい飲み物だけは紅茶か
                   コーヒーが選べました。
                   

 

                  

                パン3種、左の赤い袋は薄切りの黒パンでしす、バター、チーズ
                ジャムにジュースと充分な種類と量です。
                6時半にはミュンヘンに着くので、朝食は5時半ごろ届きました。

 

                 心配していた夫の体調は休憩時間を多くとることで何とか
                 無事にローマを出発できましたが、相変わらず食は進まなくて、
                 休憩時間が長かったのは元気だった私にはもったいないような
                 時間でした。

 

                  

                   ミュンヘン到着は、戻れたという安心感もありましたが、
                   フランクフルトまでは特急でまだ3時間以上かかります。

                   早すぎる時間をもてあまし、暖かいカフェでひと時過ごし、
                   予定より早い列車でミュンヘンを立ちました。

 

            

                 ミュンヘンの駅を発車すると、車窓はやっぱり白い景色です

 

            

            ローマに向う La Storada del Sole (太陽の道)は北部の人たちの憧れの
            道だと、ずっと昔に聞いたことがありますが、ローマの青い空を思いだして
            意味が分かったような気がしました。

 

            

                 ICEを見かけた、停車した駅は、ニュルンベルクでした、
                 ここに降り立ち美味しいソーセージを食べたのはもう6日も
                 前のことです。

 

            

                別の駅では自転車が乗せられる車両がある列車も見かけたり、
                乗り心地の良い列車で車窓も楽しく、昼間の移動は快適でした。

                この駅でなくフランクフルトに着くひとつ前の駅だったと思いますが、
                一人の女性が、乗車してきて、目が合いちょっと笑顔になったのです。

                ひと駅といっても特急ですから駅間は長いです、終点フランクフルトの
                ホームで顔を合わせたので、声をかけたら日本の方でした、
                50歳台ぐらいの方でしょうか。  

                それ以上の会話はしませんので住んでいる方かなど分かりませんが、
                後になったら、少しだけでも話したかったなと思ったのでした。

 

                 

               息子たちと会えるのは夕方、寒いフランクフルトで時間を潰すなら、
               列車に乗り換えてどこか都合の良いところで折り返すことも出来
               たのですが、そのときはチラッと頭をかすめただけで、勇気もなく、
               せっかく持っていたヨーロッパの主要駅時刻表(特急)も役立てられ
               ませんでした。

 

                 

                   フランクフルトでの待ち時間は長く、駅は寒いので、
                   レストランやカフェで時間を潰しました。

                   
                   ここは2階のカフェ入り口の階段、この女の子は
                   ママから叱られても、この階段を進入禁止にする
                   赤いベルトを柱から引き出して遊んでいました。
                   私たちのことが気になっていたのでしょう、かわいい
                   目でジット見つめられちゃいました。
                   

                   夕方息子とKahoさんが、スイスから到着して、駅で
                   二人の顔を見たらほっとしました。
                   この日はフランクフルト泊、帰国の途につく前日でした。
                   
                   

                  


「スペイン広場」

2013-03-05 07:18:05 | 旅行

           トレヴィの泉からは、この日バスに乗り合わせた14人のお仲間たちと、
           ガイドさんの案内で、商店のある細い道を抜け、スペイン広場に向いました。 

 

        

           階段上の教会が見えました、フランスのトリニタ・デイ・モンティ教会です
           二つの鐘楼はフランス式、中央のオベリスクは18世紀のもの。

 

       スペイン階段です! 「ローマの休日」で、ヘップバーンがジェラートを食べながら
       歩いた場所ですが、それは右の階段。
                             (現在はここで食べるのは禁止だそうです)

 

 

              バルカッチャの噴水   (1629年作)

           階段の下にあるこの舟は沈みかけているように見える小舟です。
           作者はベルニーニ、テヴェレ川が氾濫した時、一艘の舟がこの場所に
           流れ着いたという話が伝わり、このようは形になったそうです。
                


      

                 

                 トリニタ・デイ・モンティ教会の階段(通称スペイン階段)は
                 1725年フランス外交官の寄付で完成した階段ですが、
                 近くにスペイン大使館があったのでこの愛称になったと
                 言われる。

                 いつも賑わっている階段に少しの間座ってみたかった、
                 そして教会の前まで上がり上から階段を見下ろして
                 みたかったですが、それもいつの日かのお楽しみにします。

 

                 

                スペイン階段の正面に伸びるこの道は、有名なコンドッティ通り、
                イタリア高級ブランド店がずらりと並ぶ、女性憧れの通りです。

                お店も覗いてみたい、カフェグレコにも寄ってみたいと思って
                いましたが、連れはそれも気が進まない様子に諦めました。

 

            

                    この広場にも馬車が

              予定では1日乗車券で好きなように回りたいとコースも決めて楽しみに
              していたのに、夫の体調不良に観光バスの半日観光がやっとでした。

              この日は10人の若い女性グループと、二組の若いカップルが一緒
              でしたが、それぞれ次の目的地に向かい、私たちは、行く先も決まらず、
              近くの地下鉄スパーニャ駅からテルミニ駅に戻りました。

                            
              初めての国で、イタリア語を少しは話せると思っていたのに、通じないし、
              聞き取れません、若いころの短期間の勉強では無理でした。
              
              もう一度ゆっくりローマを楽しみたいなら少しでも勉強しましょうと
              ”今は”思っています。

              


「トレヴィの泉」

2013-03-04 16:41:11 | 旅行

                少し離れたところでバスを降り、商店がある細い道を行くと
                急に目の前が開けて「トレヴィの泉」の前に出ました。

 

   何度も映像や写真で見ている光景です。  ポーリ宮殿の壁が彫像と一体となっています

 

        

               中央は貝殻の形をした馬車に乗る海神ポセイドン

 

 

         馬車を引くのは2頭、暴れ馬(左)と従順な馬、それを引くのは海神トリトーネ
         後ろの壁には豊穣と健康の女神たち。

 

       「ローマの休日」では、ヘップバーンがこの近くで髪の毛を切った場面がありました、
       でもこの泉で印象に残るのはフェリーニの映画「甘い生活」   La dolce Vita 
       退廃したローマの上流社会が描かれた内容で、マルチェロ・マストロヤンニと
       アニタ・エグバークが夜中にこの泉に入り戯れるシーンです、当時映画の内容は
       よく分からなかったですが、トレヴィの泉のシーンは印象に残りました。

 

       しっかり後ろ向きにコインを一枚だけ投げて、もう一度ローマに戻れますようにと
       願いました。   絶対戻ります!

           ちなみにコインを2枚投げると、大切な人と永遠に一緒にいられる。
                      3枚だと、恋人や夫婦が別れることができると。

           (3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという名残と言われます)

 

           

            トレヴィの泉の周りには、ピッザやジェラートやさんが何件もあり、
            すぐ脇のガイドさんお奨めのお店で一休みしました。
                                  (写真は同じバスのお嬢さんたち)

            ピッザは四角く焼かれていて、好きな分量をカットされ秤にのせます、
            そう目方売りでした。  

            オーブンで暖めて供されます、シンプルなモッザレーラとトマト、バジル、
            もうひとつはフンギ(きのこ)のピッザ、これが美味しかったのです。

            この次にゆくスペイン階段のところにはジェラート屋さんがないそうで
            ここで大好きなジェラートも食べました。

            私たちは席があったのですが、若い方たち(10人)は何種類かの
            ピッザを注文し、分け合っていましたが、出発時間になってしまいました。

            ジェラートを大きいコーンで注文してしまった私も大慌てでした。

 

                

                後ろに見えるマックカフェは、ローマで最初のマックのお店。

                トレヴィの泉からスペイン広場までは、徒歩10分ぐらいです。
                途中で見かけたレストランでガイドさんが、「このお店は入って
                いいですよ良心的で美味しいから」と。 少し行きもう一軒の
                お店では、ここは値段が付いてなくて人により高く言うので
                入らない方がいいとアドバイスなどありました。

 

          *  「トレヴィの泉」の話題をもうひとつ、老朽化が心配されていたのですが、
             イタリアのファッションブランド、フェンディー社の支援で修復が決まった
             そうです。
             2015年までに20ヶ月ほどかけて完成させるようですが、工事開始は
             未定、修復中も公開されるそうです。

 

 


「コロッセオ」

2013-03-03 07:59:48 | 旅行

 

                次の目的地は、ローマ帝国最大の円形闘技場「コロッセオ」

 

           

     テベレ川を渡る時思い出したことが、「ローマの休日」の中でヘップバーンが鼻をつまんで
     川に飛び込むシーンが確かテベレ川、調べたらそれはサンタンジェロ城の下あたりという
     設定でした、船上パーティーのシーンです。
                    (サンタンジェロ城の橋はヴァチカン市国の帰りに渡ったところでした)

 

      バスが発車すると間もなく見えてきたのが,この広場と遺跡群、芝生のところは、
      「チルコマッシモ」古代ローマのレース場、コロッセオと違いこちらは戦車競技。

 

 

                遺跡はフォロ・ロマーノの一部のようです

 

               

            フォロ・ロマーノの入り口です、古代ローマ帝国の政治・経済・宗教の
            中心だった場所、かなり広い場所だそうで、今回連れの体力ではとても
            見学は無理のようです。

 

               

                   歩道にまでもこんな遺跡が見られます

 

               

              ガイドさんが、イタリアにも凱旋門がありますと言いましたが、
              これのようです、下車してゆっくり見られるとのこと。

 

              

               バスを降りてコロッセオに向う歩道を渡る時路面電車が通過

 

 

           ここで見えたコロッセオは低い! と思ったのですが・・・

 

      ローマ初の娯楽施設は巨大でした。 完成時には連続100日にも及ぶ闘技会を開催、
      ローマ市民を熱狂させたと言われます。

 

                

             近づいて始めて知ったこと、それは見えていた場所の外に壁があり、
             崩れて回廊と外壁が無くなっているということでした。

 

                

                       外壁が残る部分

 

                

                       特別な入り口だったようです

 

                

                     この石畳は当時のものだそうです

 

                

                  アーチ形の入り口の上には何か印が残っていました。
                  誰でも入れたというコロッセオでも、特別な入り口が
                  あったのではないかという解説でした。            
                
                

                

               この下辺りの回廊がチケット売り場、この季節でもちょっと列が
               見られました、私たちは時間的な都合で回りから見ただけでした。
             

               フォロロマーノと共通チケットもあるようで、比較的入場しやすい
               フォロロマーノから見たほうがよいというガイドさんのアドバイス。

               バスから見えた凱旋門の方に行ってみる事にしました。

 

        

              これがコンスタンティヌスの凱旋門でした (世界遺産)

           古代ローマ時代の凱旋門、当時西の福帝であったコンスタンティヌスは、
           正帝マクセンティウス帝に勝利し、西ローマ唯一の皇帝となったことを
           記念して建てられといわます。

              

          

           バスで一緒になった10人の若いお嬢さんたち、彼女たちが見ていたのは

 

 

            馬車でした、ローマの観光地でよく見かけました

      観光地と言えば、ガイドさんがバスを降りるときによく言っていたのが、スリに注意と、
      ここでは”ミサンガ売りにも注意してください!勝手に腕に巻きつけて高額なお金を
      要求します”とのことでした。

 

           

             コロッセオの周りにも遺跡がいっぱいです。 1月25日、オフシーズン
             とはいっても人気観光地は多くの人出です。

 

           

               フォロ・ロマーノの一部でしょうか?

 

        

              コロッセオにもフォロ・ロマーノにもまたゆっくり訪れます。
              そのときに中を見物して、写真も撮ってきます。

              

               いよいよ次は「トレビノ泉」です。

     


サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」

2013-03-03 07:04:04 | 旅行

        

             階段の両脇にギリシャ神話の兄弟神、カストルとボルックス像がある
             カンピドーリオ広場の前を通り、バスを降りたのは、真実の口広場。

             

               

                    フォルトゥーナの神殿

 

               

                      ヴェスタの神殿

                この円形の神殿も「勝利者ヘラクレス」に捧げられたもの、
                最近の発掘で分かったそうです。
                大理石の神殿としては最も古い神殿。

       

               

                   サンタ・マリア・イン・コスメディン教会

               7層の美しい鐘楼を持つロマネスクのコスメディン教会です、
               その正面中廊の奥に「真実の口」がありました。
               いつも長い行列が 出来ているそうですが、この日は幸い
               十数人ほどの列でした。
                    

 

        

             真実の口    (Bocca della Verita)   

          口にそっと手を入れた、「ローマの休日」のシーンを思いだしながらでした。

         正直の証をしようとする人が後を絶たない神の顔の丸い石板は、古代の井戸か
         大下水溝の蓋だったようです。 (ガイドさん曰くマンホールの蓋だったんですよ)

 

               

                    教会の中は少し暗く、静かでした

 

        

              創建当時の様子に極力再現され、抑制された美しさなのです。
              サン・ピエトロ大聖堂の荘厳で華麗な内部を見たきたばかりですから、
              その違いを感じました。

 

          

                こちらも高い窓から薄暗い部屋に差し込む光が美しかった

          

  

        全部違う柱、不思議に思ったのですが、遺跡からの再利用だそうです

 

              

                 この教会は床の大理石のモザイク模様が特徴です

 

              

                   色も模様もモダンな感じです

 

              「真実の口」がある教会として大変有名になり教会の名前を
              知らない人のほうが多いそうですが、「真実の口」で正直の
              証を得たら、教会の内部を見ることをお奨めします。

              春から夏にかけては建物の周りを取り巻くほどの行列も     
              普通のことだそうです。

              このときも限られた時間ですから急いで並び、教会の中には
              入りましたが、外をゆっくり見る時間はありませんでした。
                    (肝心な鐘楼が上まで写ってなかったのは失敗)
             
              次はコロッセオに向います。
              

                 


ローマ観光  ~ヴァチカン市国~

2013-03-01 07:00:40 | 旅行

                

                  ローマテルミニ駅から徒歩10分ほどのところに
                  日本語観光バス乗り場があります。
                  

                  最初の目的地はヴァチカン市国 (バチカンでもよいそうです)

      

     8時半に出発すると車窓から間もなく遺跡が見えました、市庁舎下の遺跡群でしょうか


 

                

                ヴェネツィア広場近くのビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

                ローマ旧市街のほぼ中央に位置するヴェネツィア広場と
                宮殿(博物館)とともにゆっくり立ち寄りたいところでした。

 

 

 

        ヴァチカン市国はこのテベレ川の西に位置します

 

 

       サン・ピエトロ大聖堂とオベリスクが見えてきました、ここは世界最小の独立国家です
       ガイドさん(イタリア女性)とともに、一,二の三でヴァチカン市国に入国しました。

 

 

       青空の下にカトリック教の総本山サン・ピエトロ大聖堂。   あまたの芸術家によって
       彩られた壮大華麗な大聖堂です。    (丸い屋根クーポラにも上れるようです)

 

             サン・ピエトロ広場の左右に2列、284の柱が並びます

 

               

                      半円形の回廊には

 

 

             140人の聖人像

 

      右側の回廊の奥の建物、最上階右から2番目の部屋の窓、こちらに法皇が
      日曜日の正午ごろに顔を出されてお話されるそうです(すべての日曜日ではない)

 

                

               ヴァチカン博物館はこの先、いつも行列が出来るといわれる
               ここには是非行ってみたい所でしたが・・・

 

 

           大聖堂正面柱廊上には9つのバルコニーが並ぶ、中央のバルコニーは、
           祝福の回廊と呼ばれ、コンクラーベで新しい法皇が選出されると、ここから
           発表されるしきたりです。

           (帰国後2月13日に現在の法皇ベネディクト16世が事実上終身制の
           ところ健康上の理由から退位表明がありました、
                                     600年ぶりのことだそうです)

           ファサードは8本の円柱と、上部に欄干が施され、ファサード上部には
           キリストと洗礼者ヨハネ、ペテロを除く11使徒の像が立っています。

 

                

                     入り口右側には剣を持つパウロ像

 

                

                   左側には右手に天国の鍵を持つペテロ像

 

                

                   ワクワクしながら入り口に向いました。

                   ここで服装チェックや荷物チェックがあるようですが、
                   コートを着ているこの時季は簡単に入れました。
                   (ちなみに服装は短パン、ノースリーブ、サンダルでは
                   入れないと聞きました)

 

        

                    こちらの扉は、聖なる扉ではなかったようです

 

        

            ミケランジェロ作  キリストの死を悼む聖母像  「ピエタ」
 
              ミケランジェロ24歳、1499年の傑作です。
              聖母の胸の部分に斜めにかかるベルトに作者の署名が読み取れる。

 

        

                中央身廊 その奥には

 

                

                 大聖堂の中心部分に教皇祭壇、その上にはベルニーニ作
                 ブロンズの大天蓋

               大天蓋は4本の巨大なねじれ円柱に支えられている、円柱には
               オリーブと月桂樹の枝が螺旋状に巻きついている。

               この大天蓋の下にはペトロの墓がある。 聖人の遺体が保存されて
               いる。  キリスト教世界で最も聖なるところであり、ここまで壮麗な
               教会が建てられたのである。

 

        

        

         大天蓋の上には、巨大なクーポラがそびえている。

         金地の帯に書かれているの文章は、ラテン語で「おまえは硬い岩(ペトロ)である
         この岩の上に私は私の教会を建てよう、お前に天国の鍵を与えよう」と書かれて
         いるそうです。

 

        

                天蓋に差し込む光が神々しいばかりに美しく見えました

 

 

                

                    聖ペトロ像

                有名な祝福する聖ペドロ像です、足に触る女性がいますが、
                聖ペトロへの信心を表そうと、訪れた信者たちが撫でるので
                足はかなりまるくなっていました。

 

                

                    聖ベロニカ

                身廊と翼廊が交差する地点には、巨大な四角柱がどっしりと
                クーポラを支えている。
                
                中心に向う面にキリスト受難にまつわる4人の巨大な彫像が
                納まっている、その彫像のひとつ。

 

                 

                       聖へレナ

                    もう一体の彫像、このように納まっている

                    あとの2彫像は聖ロンギーヌスと聖アンデレ

 

        

                美術館にあるような絵が数箇所に見られます

 

 

                

                    美術的に優れた彫刻のひとつ、左側翼廊にある
                    アレクサンデル7世のモニュメント、ベルニーニ
                    80才の時の作品。

 

 

         

          中央身廊の天井にも美しい装飾、たっぷり光が入るように作られているそうです

 

 

                 

                      パイプオルガン

 

  

     クーポラに上れませんでしたが、この景色が上から見えるそうです、そしてローマの街も

 

                

                   1505年にユリウス2世がスイス人の衛兵隊を
                   設置して以来、ヴァチカンの警護はスイス人が
                   従事しています。

                   この時季はマントを着用ですが、中の制服はかなり
                   カラフル、ミケランジェロのデザインと伝えられる。
                   
                   

 

           この時季でも多くの人が訪れます  少し心を残しつつ後にしました         

 

         

              サンタンジェロ城が見えるテレベ川を渡り次の目的地に向います

 


ウイーン~ローマ

2013-02-27 06:58:12 | 旅行

                  

                     ウイーンの地下鉄駅ネストロイプラッツ、
                     シュテファン駅から2つ目、ホテルの最寄り駅です。

 

            

             ローマに行く列車に乗るのはウイーン マイドリイグ駅、ここは鉄道案内所

               ウイーン長距離ターミナル駅を統合する「ウイーン中央駅」は、
               2015年ごろ全面開業予定で、ローマへはこちらマイドリング駅から
               出発、分かりにくくてKahoさんにしっかり確かめておきました。

 

            

              息子やKahoさん任せだったので、寝台列車のチケットをここで確認

              早めに駅に着いてしまい、小さな待合所は寒くて、朝から別行動だった
              スイスに向う息子夫婦に出会い、ほっとする間もなく二人は先に出発、
              体調は少し回復しても食事があまり進まない夫と心細さは募りました。

 

            

            やっと列車に荷物を置いてホームや列車の写真を撮りたいと思いましたが、
            チケットを見せて乗った車両は施錠されていて、ホームに出られず断念。

 

                  

                     二人部屋個室はこんな番号でした

 

                  

                     ソファーを倒してベッドをセットしてもらえます

 

                  

                     ワインと水とチョコレートと紙袋はアメニティー入り、
                     シャワー、トイレ付個室ですから気楽です。

 

                  

                朝食メニューにチェックを入れて乗車するとすぐ注文しておきます

 

            

                    予定通り19時30分発車

               あまり歩けない人と一緒は散策もままならず、カフェで過ごしたり、
               出発まで長い1日でした、連れが元気に歩けたらも少しウイーンの
               町を散策できたでしょうが、心残りでもありました。

 

            

             明け方停車した駅名は確認できませんでしたがホームに人影が見えます

 

            

                次に停車駅で見たら夜が明け始めていてフィレンツェのようでした
                ここからはローマまで2時間はかからないはずです。

 

            

                  こんな列車が見えました

 

            

              朝食が届きました、パンとハムは2種類、バターとチーズ、ヨーグルトと
              ジュースそして温かいコーヒー。 
              メニューの品数は多く、好きなものを6品まで選べます。

 

            

              ウイーン出発の時は急ぎ乗車してしまい、車両ナンバーを確認しただけ

 

   

              Toscaはこんな列車でした、定刻に到着

 

                 

                 

                 

                      テルミニ駅に停車中の列車です

                      

           

                  ローマ  テルミニ駅  

 

           

                駅前はちょっとごちゃごちゃした感じ、路面電車が通ります

              テルミニ駅は地下鉄2路線が交差していていました、そしてバスも多く
              交通の便はよさそうです。

              何より雪がありません、ローマの気温は東京と同じくらいでした。

 

      久しぶりの青空です、日本語で対応してもらえる案内所に行ってみることにしました。
                                                             

      ここは共和国広場、ナイアディの噴水、ロータリーになっています、建物の回廊を
      抜けるとオレンジ色のビルにローマ三越があります。
      回廊がある円形の建物、ローマらしい感じです。

 

                

                ロータリーの歩道に面して S.Maria degli Angeli(教会)

 

           

               三越前の道路ナツィオナーレ通りを歩いてみました、ここは劇場

              テルミニ駅を出てすぐの五百人広場にバスターミナルがあります、
              ここの売店で1日観光乗り降り自由のバスチケットを買い、コースも
              決めてありました。

 

           

 

               しかし連れが体調不良であまり歩けそうもなく、日本語案内の
               観光バスに乗ることにして、幸い翌日のバスの予約が出来て、
               何とか観光は出来そうです。

               地図を片手にテルミニ駅の周りを歩いてみましたが、ドイツの街や
               ウイーンと違い、雑然としている感じでした。
               そして石畳の道も多く歩きにくかった。

 

               ウイーンでご飯メニューのあるお店に入っても食は進まず、
               何にしようか考えた結果、パスタなら食べられそうということで、
               旅行案内にも掲載され、日本人旅行者がよく行くと聞いていた
               お店がテルミニ駅から近くですぐ見つかりました。

 

                 

                       ブッタネスカ (娼婦風)

                    パスタがアルデンテ過ぎ、塩味も濃くてビールが
                    必要でした。
                    別の料理を考えていたのに、初めてのものを注文
                    してしまったのも失敗でした。

                 

                   こちらはラザーニア  我が家でも作るので夫は
                   食べなれた味でしたが、1人前は食べきれません。
                   まだ明るい時間、早めの夕食で店内には、ビールで
                   ピッツアを食べていたイタリア人4人だけでした。

                  食いしん坊の私は本場のイタリア料理を試したかったのに、
                  コース料理はとても無理な状態でがっかり。
                  この日は翌日に期待をして駅周辺散策だけにしました。

                    
                    

                    
          


シュテファン寺院

2013-02-25 08:06:46 | 旅行

            ウイーンの町の中心にそびえるゴシック様式の大寺院、シュテファン寺院
            ハプスブルク家の歴代君主の墓所でもある。
            
                 
                 

                

                市民からはシュテッフル(Steffl)という愛称で呼ばれている

 

                

               改装している箇所があり、全体像は撮りにくかった(少し後悔)。
               シンボルである南塔は137m、旅の初めの方で紹介した
               ケルン大聖堂に次いで教会の塔では3番目の高さ、1359年に完成。

 

        

                 長さ107mの身廊と荘厳な雰囲気の主祭壇

 

        

               大きい窓から差し込む光が美しかった

 

        

              内陣の柱にある、石造りの説教壇Kanzelはピルグラムの作
              左奥にはパイプオルガン。

 

        

                 多くの人々や動物にも囲まれたキリスト誕生の場面

 

                  

                 カタコンベKatakombenはツアー時間が決められていて
                 見られませんでしたが、地下にペストで死んだ約2千体の
                 骨と、ハプスブルク家の心臓以外の内臓を入れた壺が
                 安置されているそうです。

 

                      

                   

                  南塔と同じ高さで作られる予定だった北塔は財政難で
                  途中までしか建設されなかった。
                  北塔にはエレベーターで登ることが出来ました。

 

        

         エレベーターを降りると金網越しにこんな景色が見えたのですが、その寒いと!

 

        

                 モザイク模様の屋根越しに見えた塔

 

        

             町を見ると北塔の高さが分かります、こんな景色が広がっていました

 

        

   卒業旅行中の素敵な二人連れの女性と一緒になり、話が出来ました、体調がいまいちの
   夫を下の椅子席に居てもらっての1人見学でしたから、日本語で話せたのは嬉しかった。

 

        

               モザイク模様の屋根がよく見えました

 

        

                こちらが南塔でしょうか

 

        

               モザイク屋根の模様はハプスブルク家の鷲ですが、
               双頭の鷲模様の屋根は南塔から見えるそうです。

 

        

            あまりの寒さと高さの恐怖に北塔からの見学は早々に終えました。

            南塔は塔の見張り台まで、343段の階段で上がることも出来ます。
              (この時は改装中で上がれないと聞きました)

 

           ここシュテファン寺院では、モーツアルトの結婚式が行われたそうです。
           そして葬儀も行われた寺院としても知られています。

 

 


シェーンブルン宮殿

2013-02-23 07:24:45 | 旅行

                 ウイーン滞在2日目朝、これから4日間息子夫婦と別行動、
                 ウイーンは勉強不足で、夫の体調にも少し不安はありましたが、
                 私たちはウイーン案内の本を持って、観光に出発です。

 

                 

                  ホテル前の景色、地下鉄[U1]の乗り場はすぐ近くでした


             

 

           地下鉄を乗り継ぎ最初の目的地は「シェーンブルン宮殿」です

 

              

             街の中心部リンクの外でシェーンブルン駅は地上駅でした

 

 

   ウイーンで最も観光客が訪れるところ、ハプスブルグ家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿
   
   美味しい水が湧き出す「美しい泉 Schoner Brunen」 からシェーンブルンという
                                              名がついたそうです。
                                                               

     16人の子供を生んだ女帝マリア・テレージアによって、今日のような美しい姿となった。
     
     王家を発展させるために戦争ではなく結婚政策にとって版図を広げていった、中でも
     マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは15歳でフランスのルイ16世の妃となった。

 

 

 

               

               「日没なき大帝国」と呼ばれた無敵の王国も、1859年の
               イタリア戦争で敗北して以来、かげりが見え始めてきた。

 

 

      多くの利害関係が入り乱れた結果のひとつとして、1867年オーストリア=ハンガリー
      二重帝国が形成される。  このときの国王はフランツ1世、妃はエリザベート。

      こうして第一次世界大戦に突入し、それに敗れた1918年に崩壊するまで、650年に
      わたって中央ヨーロッパを支配したのがハプスブルグ家です。

 

                   

               ハプスブルグ家最後の皇帝ヨーゼフ1世にひとめ惚れされて
               結婚にいたったエリザベート(愛称シシイ)美貌の皇妃として
               しられる。  写真は星のドレスと呼ばれる舞踏会衣装に身を
               つつむ「皇后エリザベート」

               1837年にバイエルン(南ドイツ)の貴族のもとで生を受け、
               16歳で宮廷に嫁いだ。
               結婚当初は義母ソフィーに鍛えられる日々が続いた、結婚後
               4年間で3人の皇位継承者を生み、美しさにも磨きがかかる。

               

               シェーンブルン宮殿2階見学コースは日本語の音声ガイドを
               借りて自由に見学できました。  (館内写真撮影不可)

               見学コースにエリザベートの化粧室兼体操室があり、吊り輪や
               ハシゴ段などの運動器具もあり、その美貌に老化の兆候が見られ
               始めると、数時間の運動をし、過酷な絶食療法をしたそうです。

               成人してからの彼女のサイズはほぼ一定していた、身長172cm、
               ウエスト50cm、体重50kg、このプロポーションを保つため、
               生涯にわたって毎日運動とダイエットに励んだ。

               61歳でイタリア無政府主義者に暗殺されるまでの人生は、
               多くのエピソードとともに、いまだに語り継がれています。

 

        

            宮殿の横の門を出て春には美しい並木道になると思われる道路を行くと

 

          

               柵の奥は庭園のようでした、雪に覆われて入場できませんが、
               温室や日本庭園、迷路庭園と動物園もあるそうです。

 

        

                   振り返ってみたらなんだか印象的な並木道でした

 

                 

                      途中でこんな停留場を見かけました

 

           

            広大な庭園内を周遊するシェーン・ブルナー・パノラマバーンというSL型の
            乗り物のものでしたが運行されるのは、4~10月のみでした。

 

             宮殿の部屋数は1441室あり、そのうち皇帝や家族の豪華な部屋や
             広間からなる2階部分が公開されています。
             ツアーの種類によって見学できる部分が異なります。

             ハプスブルグ家最後の皇帝カール1世は、ここで1918年に退位文書に
             署名、翌日宮殿はオーストリア共和国のものとなった。

             帰国後いろいろ知りました、行く前にもう少しオーストリアのこと、
             シェーンブルン宮殿のことを調べておくべきだったと思いました。

             寒いシーズンでしたから待たずに入れましたが、季節のよいときには
             数時間待ちなどということもある人気の観光地だそうです。

             地下鉄でウイーンの中心地、リンク内に向います。