カリフォルニア徒然草 または武蔵国人覚書

ダンナの海外赴任のため、想定外のアメリカ暮らしを経験。
日常のふとした出来事を、心覚として綴っています。

中山道の旅(3)妻籠宿(つまごじゅく)

2010-09-25 19:00:32 | 日本でお出かけ
次に向かうのは妻籠(つまご)

馬込宿を出て、先ほどの旧中山道を北に戻ります。
車道は所どころで街道と交わっていて、歩いて妻籠宿に向かう観光客に時々出くわしました。
国道256号線にぶつかったら西へ進み、田島橋を渡ると程なく町営の駐車場が見えてきます。
車を置いたらさっそく町へGo!
尾又橋を渡って、南側から歩き始めます。

馬籠宿より古めかしい木造家屋が軒を連ねています。

狭い道は、しかしアスファルト舗装され、車の往来も可能です。

下嵯峨屋は昭和43年の解体・復元によって甦った歴史的建造物の一つです。
当時の庶民の住居を代表する片土間に並列二間取りの形式を見ることができます。

上嵯峨屋は木賃宿として利用されていた建物です。
厩も残っていて、江戸時代にタイムスリップした気分

妻籠宿にも枡形の跡が残っています。

当時、宿場は幕府により防塞施設として造られており、敵の侵入を阻むためには欠かせない設備だったのです。

脇道にも昔ながらの木造の建物が並んでいます。
町の住民達が今もここで生活してます。

妻籠宿は北に伊勢山、東に
南木曽岳に囲まれており、馬籠宿より一層山が近い。

旅館阪本屋は現在も営業中
この地区の建物は、間口が広く奥行きの深い二階建てが多い。
そして、1階より2階が突き出した“出梁造(だしばりづくり)”が特徴的です。
軒を深くすることで構造的に丈夫になり、また訪れた客を雨や雪から守る利点も有ります。
また商家建築に多く見られ、軒先を豪華にする目的も有ったそうです。

妻籠宿本陣
建物は平成7年4月に復元されたものだそうです。
少し先にある脇本陣奥谷は明治10年(1877年)建造で国の重要文化財に指定されています。

本陣は武士や公家が、脇本陣は裕福な一般客が宿泊や休憩に利用しました。

この辺の界隈には食事処や甘味処が集まっています。
頃合いも好いのでここらで昼食タイム
やっぱりお蕎麦

季節の野菜の掻き揚げが素朴で美味でした

お腹が膨れたので元気が出ました。
妻籠の宿場町はもう少し先まであります。頑張って行きましょう!
緩やかな登り坂をあがった辻に高札場があります。
今でいう「官報掲示板」ですね。

幕府が庶民に対して禁制や法度を示した高札が掲げられていて、江戸時代のように高い所から我々を見下ろしています。

馬籠宿のよりはずっと小さいですが、ここにも水車小屋がありました。

ここいらでそろそろ引き返しましょうかね。
緑深い山並みが宿場町を懐に抱く

観光客相手の商売をしていないお宅も、昔ながらの建物を維持しています。
表札の隣に屋号を記した札をかけているお宅も少なくない。

町の所々に設けられた消火栓?には「火乃要鎮」(「用心」じゃないのね)の文字。

せっかくなので、南木曽町博物館のうちの一つである本陣を見学していくことにしました。
宿駅が制定されると、妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣・庄屋を兼ね勤めました。

実は島崎藤村の母ゆいの実家で、藤村の次兄広助が養子に来ています。
余談ですが、脇本陣の方は藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先なんだって

お勉強が済んだところで、ちょっと休憩しましょう
茶房ゑびやでは、ここでしか食べられないという栗餡汁粉が食べられます。

この辺りでは、山里という事もあってか、栗を使ったメニューやお菓子が名物になっています。
中でも栗きんとんは、お菓子屋さんでは必ず置いてます。
栗きんとんというと、関東人はお節料理に入ってるあれを想像しますが、ここのはちと違う。
こちらが木曽路名物の
栗きんとん

近隣の中津川宿が発祥の地。
地元産の栗を蒸したものをすり鉢でつぶし、砂糖を入れて茶巾で絞りました。
材料にこだわるため、栗が採れる秋から冬にかけての限定販売の、貴重なお菓子です。
折りしも旬とあって、今販売しているのはこの秋に採れた新栗を使ったもの。
栗好きには堪りませんわ~
というわけで、おみやげ(自分達用)にお買い上げ

枡形まで戻って来ました。

枡形より南側の寺下地区は、妻籠宿で最初に保存事業が行われた、まさに妻籠宿の原点。
だからというわけじゃないですが、この辺りの街並みが一番風情があると思います。


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