カリフォルニア徒然草 または武蔵国人覚書

ダンナの海外赴任のため、想定外のアメリカ暮らしを経験。
日常のふとした出来事を、心覚として綴っています。

ただいま帰りました!

2010-05-24 23:49:15 | 帰国までのあれこれ
というわけで、日本です。
まずはなんとか、無事に到着いたしました。

LA最後の朝は、薄く雲がかかっているとはいいながらも、綺麗な青空が見える晴天でした。
しっかりめに朝食をとった後は、しんみりしているヒマもなく、荷造り作業にとりかかります。

引越業者さんからもらっておいた中型のダンボール2個に、
帰国した後、たちまち必要になる衣類や日用品なんかを詰め込んでいきます。
これらのダンボールは、成田空港に着いたら宅急便に預けてしまうので、
スーツケースにはアメリカ出国、そして日本帰国直後から必要な書類などを中心に詰める。
その傍らで、ホテル生活用に持ち込んだ品々で、廃棄するものを分別してまとめていきます。
必要品が不必要品に紛れ込んだら大変なことになりますので、かなり神経を使う作業。。。
なんとか荷造りが終わった頃には、もう部屋を出る時刻になっていました。

ダンナの会社は、駐在員の本帰国の際、駐在仲間全員が家族同伴で見送るのが伝統で、
午前10時にホテルを出発の予定だったんですが、15分くらい前にロビーに下りてみると、
日曜日の早朝だというのに、既に全員が勢揃いしてくれていました。
本当にありがとうございます。

おまけに、私のお友達のYちゃんも、息子ちゃんを連れてわざわざ見送りに来てくれました。
本当に、感謝してもしきれない。
御礼を言っていたら、あまり人前では泣けない性質の私も涙がこみ上げてきました。

そんな中で“隊長”も到着。挨拶をかわしつつも、そこで衝撃の事実が明かされました。
「Hちゃんと待ち合わせしてたんだけど、来ないから電話してみたら「今起きた」って!」
マジですかーーーーーっ
無理だ、絶対間に合わない・・・

会社の奥さま方やお友達と最後の挨拶をしたり、みんなで記念の写真を撮ったりしてたら、
あっという間にもう出発する時刻。
全員とゆっくり名残を惜しむには、15分じゃ短すぎますね。。。

Hちゃんとは最後に会えないままでお別れかぁとガッカリしていた所へ、
寝ぼすけ女王がすっぴんのまま登場!! 間に合った~
ダンナに「はじめまして。すっぴんでスイマセン~」て、あいさつ変だよ、Hちゃん
溢れかけてた涙が引っ込んで、大爆笑に変わりました。
これはもう、代々語り継がれる見送り劇になりましたな

Hちゃんも加えて、これでホントに最後の記念写真を撮ったら、今度こそ出発。
ダンナと車に乗り込み、社長の発声による万歳三唱に見送られて、ホテルを後にしました。

車の行程は順調で、予定時刻に空港に到着。

チェックインもスムーズ、オンタイムで搭乗開始。

帰りの飛行機は全日空で、乗客はパッと見たところ、圧倒的に日本人比率が高い。
そのせいかアテンダントさんも全員日本人で、機内での応対は全て日本語。
おかげで、すっかり頭の中が日本語モードに切り替わりましたよ~

LAXでは空港混雑で離陸に手間どり、成田空港では天候不順で着陸に手間取りましたが、
大幅な遅延はなく、無事に日本に帰着いたしました。

入国審査を終え、荷物をピックアップしたら、税関へ。
ここでは通常の“免税”ではなく“課税”の方に並びます。
カートに詰まれた大きなダンボール2箱を見て、係官「海外引越ですか?」
そうですと答え、“別送品あり”と記載した申告書を提出すると、受付書類を渡されます。
それを業者から指定された運送会社のカウンターに提出して、これで引越手続き完了!!
あとは“家”に帰るだけです。

成田は生憎の雨模様。

すでに小降りになっていましたが、なかなかの荒天だったようです。

雨のため、電車に遅延や運休が出ていて、成田エクスプレスにも影響が出ていました。
それでもなんとか30分後の席が取れ、電車を乗り継ぎ、自宅に着いたのは午後10時近く。
つ、疲れた~~~~ やっぱり、旅行や一時帰国の時とは勝手が違いますね。

しかしながら、これからもしばらくは事務手続きや荷物整理で落ち着きませんが、
まずは無事に故郷に帰って来られて、祝着至極です。

たくさんの思い出をありがとう

2010-05-23 00:26:33 | 帰国までのあれこれ
我が家のアメリカ駐在生活も、遂に最後の日を迎えました。

私が渡米してから約3年3ヶ月。
その間、実にいろいろな事がありました。


渡米直後は、住んでいる地域や家族構成などの関係で、友達も知り合いも居なかったので、
独りでジムに行ったり、車をただダラダラと乗り回して自宅周辺を探検する毎日。
スーパーで店員に声を掛けられる度にビクビクして、極力周りと目を合わせないようにしてた。

そんな私を心配したダンナが、仕事がらみの駐在員仲間に、奥さまを紹介してもらえるよう
頼んでくれたのが転機でした。
彼女がお稽古事の情報をくれたり、友達とのランチ会をセッティングしてくれたり、
そのおかげで新しい出会いがあり、一挙に世界が広がったのです。
私よりずーーっと年下にも関わらず経験豊富なRちゃんは、私の最初のお友達で恩人です。
本当にお世話になりました。ありがとう!!


アメリカに来て、日本だったらまず出会えなかっただろう人に出会い、お友達になれました。
ランチやお茶に行ったり、ショッピングしたり、手芸にいそしんだりしながらのおしゃべり。
お友達から聞く、アメリカでの生活習慣や、レストランやお買い物の情報は本当に貴重で、
いつも参考にさせてもらいました。
ダンナも、奥さま達の情報網には舌を巻いていたものです。
「持つべきものは友」とはよく言ったものだと、しみじみ思います。

本帰国後は、アメリカでできた大切なお友達になかなか会えなくなるのが、何より寂しいです。
彼らが帰国した時には、あるいは私に再渡米するチャンスがあったら、
その時は是非お会いしたいと思います。
異国の地で思いがけなく出来たこのご縁が、帰国後もずっと続くことを願って止みません。


ダンナと私の両親たちにも、言葉では言い尽くせないほどお世話になりました。
ウチは実は、日本の自宅を空き家のまま残してあったんですが、
家が傷まないようにと、両家の両親が定期的に家のメンテナンスをしてくれていました。
両家ともウチまで電車で2時間近くかかるというのに、高齢にも関わらず足繁く通ってくれた。
おかげで、未だに日本を離れた時のように綺麗なままです。
心から感謝しています。本当にありがとうございました。


そしてダンナ。

渡米直後は、日本語でしゃべれる相手がダンナしか居ないもんだから、
帰宅後のダンナをつかまえては、その日あった出来事をいちいち報告してましたっけ。
もともと口数が少ないうえに、仕事で疲れてるにも関わらず、よく相手をしてくれたなぁ。
それに、ほとんど毎週末、近くのビーチやロサンゼルス観光にも連れ出してくれました。
私が退屈しないように、ここがイヤにならないようにとの配慮だったと思います。
ありがとうね

3年の間に、たくさん旅行にも連れて行ってもらいました。
アメリカ国内の国立公園を中心に、西海岸だけでなく東海岸や、カナダまで行っちゃったね。
仕事が忙しい中、頑張って休みをとって、いろいろ下調べしたりタイムテーブル作ったり、
おかげで、いつも充実した旅を満喫できました。

ダンナは、外国で外国人たちと仕事をしていて、自分の事でいっぱいいっぱいだったろうに、
いつも私の事を気に掛けてくれていました。
ダンナには本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。ホントに本当にありがとう。
これからも一緒に仲良く生きていこうね。


私たちが無事に駐在生活を終えられたのは、周りで見守ってくれていた方々のおかげです。
この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

日本へ帰る事、それ自体はとっても嬉しいのですが、
ここも今や第二の故郷のような心持ちになってて、この地を離れる事の淋しさは否めません。
いろいろ苦労もあったけれど、今思い出すのはただ「楽しかった」ということだけです。
そう言える幸せを噛みしめています。


最後に。
不定期更新にも関わらず、このブログを気にかけて遊びに来てくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
自分の備忘録として綴ってきたモノで、他人様にお見せするのは恥ずかしい限りなんですが、
「気に入ってる」とか「役に立った」なんて言ってくれる人が居るのは、とても嬉しくて、
励みになりました。

帰国後も、気負わずにゆる~く、日本での様子などを綴っていこうと思っていますので、
よかったら、今後もお付き合いくださいまし。

それではみなさま、また会う日まで、どうかお元気で!

思い出をたどる道

2010-05-22 20:13:39 | 帰国までのあれこれ
とうとう、明日は日本へ出発です。
駐在生活最後の土曜日、通い慣れた散歩道を、ダンナともう一度歩いてみることにしました。
アパート裏のトレイルが、ウチらのお決まりの散歩コースでした。

一戸建てが並ぶ住宅街は、アメリカン・テイストが満載です。

アーバインにはよく整備された広い公園があちこちにあります。週末は、よくサッカーの試合をやってましたっけ。

近所のイチゴ畑に、よくウサギを見にきました。

今は畑を潰して教会が建ったせいで、ウサギの数が激減し、滅多に見られなくなっちゃったのが残念。。。

交差点の角に、ひときわ見事なジャカランタの大木があります。
この辺りでは一番大きくて、見応えがありました。
去年はイマイチだったけど、今年は見事な花を咲かせました。

よくこのベーカリーカフェで、散歩帰りにブランチを食べました。
お気に入りはエッグスフレとチキンのパニーニ。
前者は午前10時過ぎには売り切れちゃうし、後者は午前11時以降からしかオーダーできなくって、何時頃に行くべきか、いつも迷ったものです。

Rite-AidとかCVSといった薬局系のコンビニは、お菓子コーナーとかシーズングッズの売り場を見てるだけで楽しかったなぁ~

TUSTINの某所にあるジャカランタ並木。
渡米してすぐ、まだ友達も居ない頃、家の近所をフラフラ探検していて見つけました。
来たばかりの頃は、この濃い紫色にむせ返りそうになったもんでしたが、今じゃすっかりお気に入り。

ここからは、ちょっと遠出をして、ビーチに出掛けました。
ハンティントン・ビーチに向かうPCHは、文字通り海岸沿いのドライブを楽しめます。

青い空、白い砂浜、、、
カリフォルニアを代表する景色ですね~

ハンティントン・ビーチのピア

白い砂浜は、久しぶりの好天とあって、風が強いにも拘らず水着姿で海に入っている人がたくさん。

ピアの入り口は、浜辺を散歩する人や芝生で日向ぼっこする人、ストリートパフォーマー達などなど、いつも大勢の人で賑わっています。

ピアの先端にあるのはRuby'sという、ベタにアメリカンなレストランです。
結局、一度も行かず仕舞いでしたが。。。

サーファーの聖地でもあるハンティントン・ビーチは、いつ来ても波が高い。。。

浜辺にはビーチバレーのコートがたくさん設置されていました。
近々、大会でも催されるのかな?

歩き疲れたら、ビーチのメインストリート沿いにあるスタバで休憩。
アメリカのスタバではオーダーした時に名前を聞かれるんですが、ダンナのはアメリカ人には非常に発音しにくいので、いつも“Mike”という偽名を名乗ってました。

私の通称もあるんですが、それはナイショ

名残は尽きませんが、そろそろアーバインに戻りましょう。
I-405沿いにあるサンタアナ空港は、滑走路がフリーウェイに対して直角に設けられているので、走っている車の頭上を、着陸態勢の飛行機がすれすれに降りていく様子が見られました。

“仮住まい”だったはずが、いつしか“離れがたい我が街”となっていたアーバイン。
懐かしい景色達に別れを告げ、いよいよ日本に帰ります。

快適♪ホテル生活

2010-05-21 00:26:34 | 帰国までのあれこれ
火曜日に引越を終え、出発までのここ数日はホテルで過ごしております。
Residence Innという、Marriott系の長期滞在者向けのホテルです。
ダンナは、赴任して早々は、ひと月程このホテルで過ごしたそうで、
なにやら感慨深いものがあるようです。
1クイーンベッドのお部屋です。
なかなか広い。
ソファーがエキストラベッドになります。

ちょっとしたアパート並みのキッチンがあって、電子レンジとコーヒーメーカーは元より、ガス台、トースター、ディスポーザーに、普通サイズの冷蔵庫まで完備されてます。

更には鍋類、カトラリー一式、お皿にコップ類と、ほぼ完璧に自炊可能な状態です。

すごいわ~

ちなみに、朝食サービスがあるので、自炊しなくても勿論OK。

飲みかけだったお茶っぱや牛乳、食べかけのお菓子なんかを
アパートを退去する時に、捨てずにホテルに持ち込んだので、
まるで今まで通り自宅に居るかのような、リラックスした生活ができてます。

いざ、引っ越し!!

2010-05-18 23:07:47 | 帰国までのあれこれ
とうとうこの日がやって来ました。
今日はいよいよお引っ越しです。

日本の家の許容量を鑑み、持って帰る荷物は極力減らそうと、前日まで四苦八苦しました。
業者の方に「普通より荷物少ないですね~」なんて言われて、いい気になってたんですが、
台所とか戸棚の中とか洗面台の下とか、
「どこにこんなに仕舞ってあったんだ?」ってくらい、荷物が出て来る出て来る・・・

「勿体無い」と思う心を鬼にして、ガンガン捨てても、なかなか片付かない。
一時はどうなることかと思いましたよ。

そして迎えた、引越当日の朝。
お天気は、あいにくの小雨模様となりました。
トラックへの積み込み作業が始まるまでに止んでくれることを願いつつ、“その時”を待ちます。

朝9時半、引越業者のトラックが到着しました。
スタッフは4人。全員日本人で、かなりホッとしました。
(↑こういう時はやはり、言葉が通じるっていうのは重要ですから)
来て早々に、作業をスタートします。

手順としては、まず、スタッフ全員で荷物の箱詰め作業から。
ウチは事前に段ボール箱をもらっていなかったので、先に航空便用の箱3個を作ってもらい、
そこに航空便で送る荷物を運び込みました。
“重量60kg”と聞いてたけど、結局段ボール箱3個が一杯になったら、それで航空便は終了。
意外に入りませんでした。ガッカリ

残りは全部船便ですので、片っ端から箱詰めしていってもらいます。
パッキングは業者スタッフの方にお任せなんで、楽といえば楽なんですが、
手荷物にしなきゃいけないものを間違って箱詰めされたら大変だし、
捨てていくはずのものをパッキングされちゃったら、日本で処理に困るので、
“お任せ”とはいえ、作業してる様子はなんだかんだで気をつけて見てなきゃいけない。
業者さんも我々も真剣そのもの。
冗談言ってり雑談してる余裕も無く、まさに修羅場って感じでした。

それに、大型の廃棄物は最後に業者さんに処分をお願いできますが、
荷物を出した後に出て来る細かいガラクタは、我々がまとめてせっせとゴミ捨て場に運ぶ。
ウチの部屋は3階なもんで、ゴミ捨て場と部屋を何度も往復してると、ホントにいい運動。。。
(ってか、疲れた・・・

それでも、お昼までにはおおかたの物の箱詰めが済みました。
ランチ休憩をしっかり1時間とって、午後1時から作業を再開。
残りのパッキングを進めつつ、荷詰めが終わった箱から、順次トラックに積み込み始めます。
この頃には雨はあがり、晴れ間が見えるようになりました。
よかった~

搬出が始まると我々はもう手出しすることもなく、邪魔にならないよう部屋の隅で見てるだけ。
合間に、引越関係の委任状やら何やらのペーパーワークを済ませたり、
ホテルに持っていく手荷物のパッキングをしたりして、作業を見守ります。

この辺りになると、先が見えてきたこともあって、スタッフともちょっと雑談したりして、なんとなく和気藹々としてきました。
みんな感じのいい人達で、作業も手早いながらも丁寧で、安心して見ていられたな~

そんなこんなで、午後3時前には全ての荷物のトラックへの積み込みを完了しました。
予定より1時間以上、早く終わった計算です。
始めた時にはどうなることかと思ったけど、結果的には順調そのもので、
「仕分けもよくできてましたよ♪」と言われたぞっと。
スタッフの人達にチップを渡し(←日系企業とはいえここはアメリカ)、トラックを見送る。
お疲れさまでした!!

業者さんと入れ替わりで、駐妻友達が訪ねて来ました。
使いかけの食材とか日用品なんかで「不要品だけど捨てるのはちょっと・・・」ってものを
引き取りに来てくれたんです。
日本には持って帰れなくても、ここで誰かの役に立ってくれれば何よりというものです。
駐在同士でお互い様とはいえ、わざわざ重たい荷物を取りに来てくれて、本当にありがとう!

こうして、部屋の中のものは全て、自分達の手荷物のみになりました。
でも、引越はこれで終わりじゃない。
荷物の搬出が終わったら、次にウォークスルーWalk Throughてのがあるんです。
居住中に室内に汚れや傷などを作っていないか、アパートの管理人がチェックするというもの。
極端な瑕疵があった場合には、補修費用がデポジットから差し引かれるという仕組みです。

約束していた時間を大幅に過ぎて(←アメリカだから)担当者が来訪。
チェックシートを見ながら、室内を確認します。
この辺りのアパートはたいてい白壁で、台所のガス台も白、戸棚なんかも全て白木に白い扉。
当然、生活する中で、多少の汚れは付いてしまいます。
それをどのくらい減点されるか心配してたんですが、結果は「目立った汚れは無いね!」
「床のカーペットにもシミは無い。キミ達はGood Residentsだよ!」ですって。
案外、ゆるいチェックでした

この管理会社は、居住者が変わる度、壁を塗り直し、カーペットを洗浄もしくは交換するので、
通常の清掃で落ちると思われる程度の汚れなら“Clean”という評価になるようです。
最終的にデポジットから幾ら差し引かれるかは分かりませんが、
この分だと、そうそう大幅減にはならないんじゃないかな。(希望的観測?)

これで引越に伴う作業は終了です。
ガラ~ンとなった部屋と見ていると、「ここで3年ちょっと(ダンナは4年)という時間を過ごしたんだなぁ。。。」と、神妙な気持ちになってきました。

お世話になりました!

最後の景色を目に焼き付けて。。。

リーシングオフィスに行き、部屋とガレージの鍵を返して、退去の書類にサインをして、
これでホントにお終い。

なんだかんだで、ホテルに入って、持ち込んだ荷物を片付けて、
ようやく落ち着けた時には、午後6時を過ぎてました。
やっぱり引越って、疲れるわ。。。

しかしながら、これで帰国に向けての最大の山場を越えました。
大仕事をやり遂げた達成感で、今夜はよく眠れそうです。

会社ぐるみで歓送迎会

2010-05-17 17:34:35 | 帰国までのあれこれ
今日は、ダンナの会社の駐在員仲間が集まって、歓送迎会を催していただきました

ダンナの会社は、駐在員の異動があると、家族同伴で歓送迎会をするのが伝統となっています。
おかげで全社員、奥さま同士も顔見知り。
こういうのって、かなりめずらしいと思います。

そうはいっても駐在員の場合、後任の奥さまは旦那様より遅れて渡米するのが常なので、
前任者の奥さまと顔を合わせる機会は、なかなか無いのが実情です。

ところが、たまたま先週末から、ウチの後任者の奥さまが事前訪問に来られてまして、
なんと、後任者の奥様も同伴での歓送迎会となりました。
これは、相当めずらしい。

駐在生活では、奥様同士の情報交換って、一番役に立つんですよ。
「着任先に、知ってる人が居る!」というだけでも、心強いし、
後任者の奥さまには、本当に良い機会になったと思います。


一次会は中華レストランで、夫婦そろっての会。
中華料理は、大人数だといろいろなメニューが食べられていいですよね~


会食後は、奥さま達だけで、近くのカフェに座を移して二次会。
女同士のおしゃべりタイムは、いくら話しても話題が尽きることはありません。

さんざん盛り上がっていたところで、
なんとなんと、奥さま会から私に送別の品をいただいてしまいました。
これぞまさにサプライズ!!
だって、ダンナは旦那さま方から別途お餞別をいただいてるんですよー?!
ありがたいやら申し訳ないやら。。。

駐在先で、(ご家族も含めて)良い仕事仲間に恵まれて、ダンナも私も幸せ者です。
この場を借りて御礼を申し上げさせていただきます。ありがとうございました。

このご縁が、日本に帰ってからも続くことを願って止みません。。。

最後のエクササイズ

2010-05-14 18:40:47 | 帰国までのあれこれ
今日は、こちらでスポーツジムに行く最後の日でした。

shimaushiはまだ独身の頃からずっと、エアロビクスをやってます。
会社帰りや週末、ジムに行って思いっきり汗を流すと、身体も気分も芯からほぐれるんです~

こちらに来てからも、すぐに近くのジムに入会して、ずっと週に2~3回は通ってました。


エアロビクスダンス(またはエアロビックダンスエクササイズ)と呼ばれるプログラムは、
音楽に乗って、いろいろなステップを踏む、ダンス形式の有酸素運動です。
本格的なダンスレッスンのように難しくなくて、筋トレのようなストイックさもなくて、
ハマると定期的に参加するようになることが多いんですよ。

エアロビクスのステップには、幾つかの基本形がありますが、
それらを組み合わせて作るコリオ(振付)は、各インストラクターのオリジナルなので、
お気に入りのインストラクターの“追っかけ”になる人も少なくない。

アメリカ生まれのエアロビクスは、しかし現在アメリカでの人気は下火。
ヨガやボディパンプなどに押されて、スタジオレッスンの枠は減る一方ですが、
それだけに、数少ないエアロのレッスンには熱心なファンが集まります。
私の行ってたジムでも、エアロのレッスンはいつも満員御礼状態でした。

インストラクターのSueは、60歳近いとは思えないくらい、いつも元気一杯に踊ってました。
振付が気が利いてるのでファンが多くて、だいたいいつも同じメンバーが顔を揃えます。
3年も通ってる内に、英語が拙い私でも、顔見知りと挨拶くらいは交わすようになっちゃった。

レッスン後、Sueや他の知り合いに「今日が最後だ」と挨拶したら、すごく残念がってくれて、
お互い汗だくだってのに、ギューーーッとハグを交わしました。
来たばかりの頃は、日本とアメリカの習慣の違いに戸惑ってましたけど(→前の記事)、
今じゃアメリカンなお別れも、すっかり身に付きましたわ

仕分け人の秘密兵器

2010-05-12 18:38:23 | 帰国までのあれこれ
引越の日まで、あとわずかとなりました。

我が家の場合、実際の荷物の箱詰めは、引越業者の方々がやってくれますが、
船便、航空便、後任者に渡すもの、業者に処分してもらうもの、手荷物、という風に、
当日、業者さんにパッパパッパと指示が出せるようにしておかなきゃいけません。

何せ、まだ“生活”してるもんですから、なかなか手が付けられなかったんですが、
ここに来てさすがに、荷物の仕分けも本格的になってきました。

引越荷物は、保険の関係もあって、勝手に箱詰めして封をしてはいけないと言われてます。
とはいえ、例えば下着類のように「男性に箱詰めしてもらうのはちょっと・・・」なものとか、
予備のタオルやリネンなどのように壊れる心配のないものなんかは、
自分達で箱詰めしておけば(←封はせず業者にチェックしてもらいます)、当日の作業が早い。
なので、引越の日より先にダンボール箱を届けてもらうこともできます。

ウチは、
「家の中が狭くなるし、荷物少ないから、手元にある箱やスーツケースで大丈夫だろ
ということで、ダンボール箱はもらいませんでした。
その代わりに、活躍してくれているのがこれ↓
特大ジップロック!

「アメリカで家具は買わない!!」がモットーだった我が家。
クローゼットの中の衣類は、もっぱらプラスチックの衣装ケースで整理していましたが、
それをそのまま持って帰ると、日本での処分に困る。。。
その点これだったら、要らなくなったらたたんで“燃えないゴミ”で捨てられます。

ソフトタイプなので、中身がパンパンに詰まった状態でないと重ねられないのが難点だけど、
中身が見えるし、仕分けには好都合で、重宝してますよ。

この○○、売ります!

2010-05-10 19:28:34 | 帰国までのあれこれ
引っ越し屋さんに「比較的に荷物が少ない」とお墨付きをいただいたとはいえ、
やはり不用品は極力処分しなきゃいけません。
日本はゴミの分別が細かいし、電気製品や粗大ゴミになると費用がかかったりしますからね~

衣類は先日来、ドネーションに出したりリサイクルに持って行ったりして、随分片付きました。
(→前の記事
本やDVDは、可能な限りBOOK OFFに持ち込んで、買い取ってもらいました。
日本語のものだけでなく、英語版の本やDVDでも引き取ってくれましたよ。
日本で売るより、買取価格は弱冠高いんじゃないかな。


そして、こちらで購入した、主に台所で使っていた電気製品。
電圧やコンセントの形状が違ってて日本では使えないので、こっちで処分しなきゃいけません。
しかし、大した量ではないので、リサイクルショップに持ち込むのもめんどくさい。
そういうのはびびなびで売りに出してみました。
(※びびなび ロサンゼルスこちら

びびなびってのは、主にロサンゼルスに在住している日本人向けの情報サイトです
ロサンゼルスだけでなく、ニューヨークやハワイ、ロンドンなど海外の主要大都市、
さらには東京や福岡など日本の大都市のエリア情報も掲載しています。
この中に個人売買というメニューがあって、毎日いろいろなものが出品されています。

品物に値段をつけて出品すると、びびなびを通して買いたい方から連絡が入るという仕組み。
匿名で、手数料要らずで出品できるし、“品物を取りに来られる方”という指定もできるので、
なかなか便利。
そして、値段の交渉や受け渡しの日時や場所を決めたりという、詳細な詰めの部分を
日本語でやりとりできるってのが何よりありがたいです。

ロサンゼルスエリアのサイトは、見ている人が多いらしくて、物によっては出品してすぐに、
何人もの方から購入希望のメールが入ったりして、嬉しい悲鳴。

そもそも儲ける気はないから、破格値で出品してるせいもあって、
思いの他、売れ行きはよかったです。
$10前後の品物のために、わざわざビバリーヒルズの方から出向いてくれる人も居たりして、
ちょっとビックリ。

写真を撮って、サイトに掲載して、メールの返事を書いて、受け渡し、、、と
多少の手間ひまはかかりますが、まだ充分に使える物を捨てなくて済むのが嬉しいです。
そんなわけで、荷物整理の合間を縫って、パソコンとにらめっこしてます。

さよなら松田君

2010-05-06 19:42:59 | 帰国までのあれこれ
帰国に際して、いろいろ整理しなきゃいけないものがありますが、
最大のモノといえば、やっぱりです。

お値段が張るだけに、買う時もメンドクサイですが、売る時も慎重にやらなきゃいけません。

こちらアメリカでは、車は必需品だけに、中古車でも盛んに取引されます。
日本に比べて結構いいお値段で売れるんですよ。
個人間の売買も、決して珍しく無く、街の中でよくこんな車を見かけます。
車のリアウインドウに、希望の売値と連絡先が書いてあります。

しかし個人間の売買はトラブルも多いので、信用の置ける相手じゃないとちょっと怖い。
素人はやはり、専門の業者を頼ることになります。

中古車業者というと、アメリカ系ではCar Max(→HP)という業者がポピュラーですが、
やりとりは英語になるので、英会話能力に自信が無いとちょっとキツイ。

日本人に一番利用されてるのは、やっぱりガリバーGulliver(→HP)でしょう。
店舗はアーバインからは少々遠いんですが、電話で「車を売りたいと思ってる」と言ったら、
無料で出張査定に来てくれる、夕方でも大丈夫と言うので、お願いすることにしました。

午後5時半、約束の時間通りに(←さすが日系企業!)担当の人がやってきました。
さっそく駐車場で車をみてもらいます。

今回査定してもらうのは、私の愛車“松田君”。
2006年型のMAZDA6です。
(日本名アテンザ(ATENZA))

まずはエンジンのかかり具合やパワーウインドウの可動を確認、
車内の装備(エアコンやCDプレーヤーの有無など)もチェックしていました。

中が済んだら、今度は車体の外観。
傷やへこみの有無や塗装の状態などなど、かなり細かく見てました。
ボンネットを開けて、エンジンルームも確認してた。

規定のチェック項目を全て確認し終えたら、会社に連絡して査定金額を算出してもらいます。

現在の総走行距離は45,000マイル。まあ、年数から見て相応でしょうか。
無事故で、修理歴無し、目立った傷も無し。
「キレイに乗ってましたね~」って褒められちゃった
これは、いいお値段がつくかな?

立ち話しながらしばらく待っていたら、15分ほどで回答が返ってきました。
その数字を、今度は私がダンナに電話連絡。
何せ、私は車は乗る専門で、こういう事はさっぱりなもんで。。。

先方の言い値を伝えるとダンナ「ちょっと電話、替わって」
実はダンナ、予めネットで市場価格をチェックしてたらしいんです。

中古車の市場価格の目安となるのがKelley Blue Book(→HP)に掲載されている価格。
ガリバーさんも査定の目安に同じ会社の値段を使っているので、
大幅にずれてるってわけじゃないんですが、ダンナが見た値段より弱冠安かったみたい。

で、担当さんと話をしてこちらの希望価格を提示し、再度会社に確認を取ってもらったところ、
「OK出ました~
やった!値上げ交渉成立です やっぱ下調べは重要だねぇ

そんなわけで、その場で即、契約書を交わしてしまいました。
(車の名義はダンナですが、契約書は妻の私でも代理で記入できます)

嗚呼、これで松田君ともお別れなのね・・・

ま、実際の引渡しは帰国間際ですので、今日この場でお別れって訳じゃありません。
今日車を手放してしまったら、明日から全く身動きが取れなくなっちゃうもんね~
極端な話をすれば、帰国の日に自分の車で空港まで行って、空港で引渡しも可なんだそうです。
す、すごい こちらでは至極当然のことなのかもしれませんが。。。

兎にも角にも、松田君と一緒に過ごせるのも、あと2週間ほど。
頑張って乗り回すぞーーーー(←「事故るなよーーー(byダンナ)」)