カリフォルニア徒然草 または武蔵国人覚書

ダンナの海外赴任のため、想定外のアメリカ暮らしを経験。
日常のふとした出来事を、心覚として綴っています。

再就職への第一歩

2010-05-27 00:50:59 | 帰国後のあれこれ
今日は地元のハローワーク(公共職業安定所)へ、
雇用保険の失業給付(いわゆる失業保険)の支給申請に行ってきました。


渡米する前、shimaushiは会社員として働いていて、雇用保険に入っていました。
雇用保険の被保険者は、退職してから再就職までの一定期間、失業保険が受給できます。
しかし病気・怪我、妊娠・出産などの理由により退職後すぐに働けない場合は、
最大3年間、受給期間を先送りできる
という制度がありまして、
配偶者の海外勤務に同行する場合もこれに該当します。

3年の間に帰国できるかどうかは分からなかったものの、せっかくの制度ですので、
私も渡米してすぐに、この延長手続きをしておきました。(※その時の記事→こちら
そしてこの度、めでたく帰国。
さっそく、失業保険の受給手続きに出向いたという次第です。

shimaushiが渡米(出国)したのは、2007年3月3日でしたので、
厳密に言えば、“3年間”は既に経過してしまいました。
しかしながら、失業保険が受給できる期間は離職の日の翌日から1年間となっていまして、
“延長手続き”は、この受給期間を算出する際に、海外に居た期間を考慮するというもの。
私の場合、退職したのが2007年1月末なので、本来の受給期限は2008年1月末。
しかし、3年足すと2011年1月末となるので、まだ間に合うんですね~

受給申請には雇用保険被保険者証離職票(2種類)が必要です。
あと写真2枚と、運転免許証などの本人確認資料、印鑑(←結局使わなかったけど)。
私の場合はこれにプラス受給期間延長申請書と、帰国日の確認のためのパスポート

総合受付で「失業保険の受給申請をしたい」と申し出ると、登録用紙を渡されます。
これに名前や住所、今までの職歴、再就職を希望する職種や地域などを記入して、窓口へ。
持参した書類の内容をチェックし、受給資格決定をしてもらいます。
それが終わったら、今度は別の窓口で、面談しながら求職内容を確認し、登録が済むと、
ハローワークカードが発行されます。
これで今日の手続きはおしまい。
でも、これですぐ失業保険がもらえるわけじゃないんですねー

まず、全ての人に、受給資格決定日から7日という待機期間があり、
待機満了の日の翌日からが、失業保険の支給の対象となります。
待機満了後は、指定された初回認定日に来所して、待機経過の確認をしてもらう。
これでようやく支給開始となります。
(※待機満了日から初回認定日の間に説明会というのがあり、これも出席必須)

私の場合、待機満了は6月2日、初回認定日は6月22日なんですが、ここで“第二の関門”。
自己都合または懲戒解雇で離職した場合、3ヶ月の給付制限という期間があるんです。

結局、9月の認定日に来所し、失業認定されて初めて、失業保険が支給される。
(入金は約1週間後)
私は前職での勤続年数が10年以上20年未満なので、所定給付日数は120日となんですが、
9月以降も4週間ごとの認定日に来所し、失業認定されれば対象期間分の支給がされます。
先は長い。。。

ま、失業保険をもらうのが目的じゃないんで~
一日も早く仕事を見つけなきゃ本末転倒、ですよね。。。

日本国の住民に復活

2010-05-26 22:26:08 | 帰国後のあれこれ
帰国後2日目の今日、ダンナがめでたく日本国の住民に復活しました。
いや目出度い

海外からの転入の場合の住民登録に必要なものは、以下の3つ。
(1)パスポート(帰国日の入国スタンプがあるもの)
(2)戸籍謄本(直近3か月以内に発行のもの)
(3)戸籍の附票の写し(直近3か月以内に発行のもの)

日本国内で住所を変更したときは、引越が終了してから14日以内に、
前住所の区市町村から交付された転出証明書を添えて、転入届を提出します。
しかし海外駐在の場合、前住所は外国なわけで、当然、転出証明書はありません
その代わりになるのが“戸籍の附票”なんですが、
これって、一般にはあんまり馴染みが無いんじゃないでしょうか。

「戸籍謄本の附票」には、その人の住所が記録されています。

住所地が記録されている公の書類といえば、「住民票」が一般的ですね。
住民票には、大まかに前住所、現住所、転出先の住所の3つが記載されます。

しかし、同じ市区町村内で何度も転居を繰り返している場合などでは、
“前住所”が必ずしもその人の現住所の直前の住所ではないケースがあります。

また、他の市区町村に転出した場合で、その転出先の住所から更にまた引越したとしても、
その再引越先の住所は除票になった住民票には記載されません

更に、住民票は除票になってから5年間しか保存されないので、
5年以上前の住所地の住民票は取れないんです。

とまあこんな具合に、住民票は住所の履歴の証明書としては役不足なんですね。

一方、戸籍の附票には、その人のこれまでの住所すべてが記載されています。
そして、それぞれの住所について、いつそこに移ったのかという日付も記載されています。
つまり、住所の変遷を証明するのは戸籍の附票でなければならないのです。

ウチのダンナの場合、今の住所の直前に同市内での移動が一回あるとはいえ、
同じ市に戻って来たんだから、住民票でも良さそうなもんだと思いますが、
そこはお役所仕事、やはり「規定ですので戸籍の附票が必要です」と言われましたね。

実家の親に手配してもらったダンナの「戸籍の附票」には、
結婚して以来の住所の履歴があり、(←転居済みなので横線で消されてます)
最後の行に“【住所地】アメリカ合衆国”と記載されていました。

そして転入手続き後の住民票を見ると、前住所の欄に“アメリカ合衆国”との記載が・・・
うぅ~ん、感無量です。

このゴミは何色?

2010-05-26 13:51:01 | 帰国後のあれこれ
帰国前から予想していたことではありますが、帰る早々ゴミの分別に頭を悩まされてます。
ウチの辺りは、それでも(分別の種類が)楽な方じゃないかと思うんですが、
それでも“ゴミ捨て無法地帯”アメリカとは比べ物になりませんわな。

ウチの地域は以前は公共のダストボックスがあって、いつでもゴミが捨てられたんですが、
現在は戸別回収になっていて、ゴミの種類によって回収日が決まっています。
帰国直後とあって毎日大量のゴミが出るにも関わらず、処分が思うに任せぬってのは、
ちとツライですわ。

ゴミを出す時には、自治体指定のゴミ袋(有料)を使用することになっています。
“燃やすゴミ”(“燃えるゴミ”じゃないのね)は週2回、
“容器包装プラスチック”は週に1回、
そして“燃やさないゴミ”(これも“燃えないゴミ”じゃないの)は2週に1回、回収日があります。

これ以外に、リサイクル系のゴミがあります。
紙パック、古布・古着は週に1回、隔週でペットボトル、ビン・缶、雑誌・雑紙
新聞、段ボールの回収は月に1回、
有害ゴミ(乾電池、蛍光灯など)、危険ゴミ(スプレー缶など)も月1回の回収。

紙ごみはちょっと厄介で、リサイクルできるかできないかの判断が難しい。
ガムテープやシールの台紙、感熱紙やカーボン紙がリサイクルできないのは分かるとしても、
裏が銀色の紙パックとかアイス・ヨーグルトの容器はリサイクルできないそうなんです。
リサイクルマークが付いててもダメなのかなぁ。。。?

落ち葉・下草は透明の袋に入れて燃やすゴミの収集日に出しておけば回収してくれるけど、
剪定した枝は、“粗大ゴミ”として事前に申し込みが必要です。(ただし無料)

プラスチック容器で、コンビニのお弁当やスーパーのお惣菜が入っていた容れ物は、
シールは剥がさなくて良いけど、軽く水で流して汚れを落としておかなきゃいけない。

歯磨き粉などの洗えないチューブは、使い切っていれば中身が入っててもそのままでOK。

水ですすいでも落ちないような汚れが付いたペットボトルやビンは“燃やさないゴミ”になる。

ペットボトルは潰して出さなきゃいけないけど、は潰しちゃいけない
 こ、細かい・・・

今は、何かゴミを出そうとするたびに、市から配布された『ごみ・資源分別辞書』を見ては
「これって何色?!」とアタフタしています。

迷わずゴミ捨てができるようになるまでは、しばらく時間がかかりそうです。

新車購入

2010-05-25 22:23:05 | 帰国後のあれこれ
帰国して2日目。
ほとんど時差ぼけは出なかったとはいえ、しばらくはのんびり休みたいところではありますが、
早々に日本での生活を立ち上げなきゃいけません。
諸手続きに役所を訪れたり、買い物したりと、あちこち出歩かなきゃいけない。
そのために必要不可欠なもの、それは・・・移動の足

というわけで、さっそく新車を購入いたしました。それも一挙に2台!!
やっぱり、一人1台無いと不便ですから~

ダンナは男らしくブラック、私はシルバーにしました。
せっかくなので、ここでご披露させていただきますね
ええ、二輪です。

自転車ですよ。

これが我が家の新車ですけど、
それが何か?


今まで乗っていたのは、駐在中、家の前でずーっと野ざらし雨ざらしになってて、錆び錆び
ブレーキはスカスカだし、ライトを点けるとガガガガガガガガガ・・・・・ともの凄い音がする。
乗るのが恥ずかしいくらいの代物と化してました。

それでも一時帰国の時は、やむを得ず騙し騙し乗ってたんです。
「本帰国した暁には新調しよう!」と、心に決めて。。。
そして遂に、その日がやって来たというわけです。
調子は抜群、乗り心地は快適そのものです。

それにしても、自転車の性能も、日進月歩で進化してるんですね~
最近のは、ステンレスで錆びにくくなってるし、何よりも特筆すべきはライト
前輪の中心部分が発電機になっていて、辺りが暗くなると自動的に点灯するんです!

昔のはタイヤをこすって発電する方式で、ライトを点けると走行が重くなるのが難点でした。
だからめんどくさくって点けないって人も、多かったはず。
しかし、今は自転車も道路交通法上の縛りがいろいろと厳しくなってて、ライト点灯は必須。
そんな事情から生み出された機能なんでしょうかね。
発電機がついているせいで、走り出しが弱冠重たい気もしますが、問題にするほどじゃない。
実に活気的です。

小回りが利いて、運動不足解消にもなる。
日本の町にはやっぱり、自転車がよく似合うのです。

ただいま帰りました!

2010-05-24 23:49:15 | 帰国までのあれこれ
というわけで、日本です。
まずはなんとか、無事に到着いたしました。

LA最後の朝は、薄く雲がかかっているとはいいながらも、綺麗な青空が見える晴天でした。
しっかりめに朝食をとった後は、しんみりしているヒマもなく、荷造り作業にとりかかります。

引越業者さんからもらっておいた中型のダンボール2個に、
帰国した後、たちまち必要になる衣類や日用品なんかを詰め込んでいきます。
これらのダンボールは、成田空港に着いたら宅急便に預けてしまうので、
スーツケースにはアメリカ出国、そして日本帰国直後から必要な書類などを中心に詰める。
その傍らで、ホテル生活用に持ち込んだ品々で、廃棄するものを分別してまとめていきます。
必要品が不必要品に紛れ込んだら大変なことになりますので、かなり神経を使う作業。。。
なんとか荷造りが終わった頃には、もう部屋を出る時刻になっていました。

ダンナの会社は、駐在員の本帰国の際、駐在仲間全員が家族同伴で見送るのが伝統で、
午前10時にホテルを出発の予定だったんですが、15分くらい前にロビーに下りてみると、
日曜日の早朝だというのに、既に全員が勢揃いしてくれていました。
本当にありがとうございます。

おまけに、私のお友達のYちゃんも、息子ちゃんを連れてわざわざ見送りに来てくれました。
本当に、感謝してもしきれない。
御礼を言っていたら、あまり人前では泣けない性質の私も涙がこみ上げてきました。

そんな中で“隊長”も到着。挨拶をかわしつつも、そこで衝撃の事実が明かされました。
「Hちゃんと待ち合わせしてたんだけど、来ないから電話してみたら「今起きた」って!」
マジですかーーーーーっ
無理だ、絶対間に合わない・・・

会社の奥さま方やお友達と最後の挨拶をしたり、みんなで記念の写真を撮ったりしてたら、
あっという間にもう出発する時刻。
全員とゆっくり名残を惜しむには、15分じゃ短すぎますね。。。

Hちゃんとは最後に会えないままでお別れかぁとガッカリしていた所へ、
寝ぼすけ女王がすっぴんのまま登場!! 間に合った~
ダンナに「はじめまして。すっぴんでスイマセン~」て、あいさつ変だよ、Hちゃん
溢れかけてた涙が引っ込んで、大爆笑に変わりました。
これはもう、代々語り継がれる見送り劇になりましたな

Hちゃんも加えて、これでホントに最後の記念写真を撮ったら、今度こそ出発。
ダンナと車に乗り込み、社長の発声による万歳三唱に見送られて、ホテルを後にしました。

車の行程は順調で、予定時刻に空港に到着。

チェックインもスムーズ、オンタイムで搭乗開始。

帰りの飛行機は全日空で、乗客はパッと見たところ、圧倒的に日本人比率が高い。
そのせいかアテンダントさんも全員日本人で、機内での応対は全て日本語。
おかげで、すっかり頭の中が日本語モードに切り替わりましたよ~

LAXでは空港混雑で離陸に手間どり、成田空港では天候不順で着陸に手間取りましたが、
大幅な遅延はなく、無事に日本に帰着いたしました。

入国審査を終え、荷物をピックアップしたら、税関へ。
ここでは通常の“免税”ではなく“課税”の方に並びます。
カートに詰まれた大きなダンボール2箱を見て、係官「海外引越ですか?」
そうですと答え、“別送品あり”と記載した申告書を提出すると、受付書類を渡されます。
それを業者から指定された運送会社のカウンターに提出して、これで引越手続き完了!!
あとは“家”に帰るだけです。

成田は生憎の雨模様。

すでに小降りになっていましたが、なかなかの荒天だったようです。

雨のため、電車に遅延や運休が出ていて、成田エクスプレスにも影響が出ていました。
それでもなんとか30分後の席が取れ、電車を乗り継ぎ、自宅に着いたのは午後10時近く。
つ、疲れた~~~~ やっぱり、旅行や一時帰国の時とは勝手が違いますね。

しかしながら、これからもしばらくは事務手続きや荷物整理で落ち着きませんが、
まずは無事に故郷に帰って来られて、祝着至極です。

たくさんの思い出をありがとう

2010-05-23 00:26:33 | 帰国までのあれこれ
我が家のアメリカ駐在生活も、遂に最後の日を迎えました。

私が渡米してから約3年3ヶ月。
その間、実にいろいろな事がありました。


渡米直後は、住んでいる地域や家族構成などの関係で、友達も知り合いも居なかったので、
独りでジムに行ったり、車をただダラダラと乗り回して自宅周辺を探検する毎日。
スーパーで店員に声を掛けられる度にビクビクして、極力周りと目を合わせないようにしてた。

そんな私を心配したダンナが、仕事がらみの駐在員仲間に、奥さまを紹介してもらえるよう
頼んでくれたのが転機でした。
彼女がお稽古事の情報をくれたり、友達とのランチ会をセッティングしてくれたり、
そのおかげで新しい出会いがあり、一挙に世界が広がったのです。
私よりずーーっと年下にも関わらず経験豊富なRちゃんは、私の最初のお友達で恩人です。
本当にお世話になりました。ありがとう!!


アメリカに来て、日本だったらまず出会えなかっただろう人に出会い、お友達になれました。
ランチやお茶に行ったり、ショッピングしたり、手芸にいそしんだりしながらのおしゃべり。
お友達から聞く、アメリカでの生活習慣や、レストランやお買い物の情報は本当に貴重で、
いつも参考にさせてもらいました。
ダンナも、奥さま達の情報網には舌を巻いていたものです。
「持つべきものは友」とはよく言ったものだと、しみじみ思います。

本帰国後は、アメリカでできた大切なお友達になかなか会えなくなるのが、何より寂しいです。
彼らが帰国した時には、あるいは私に再渡米するチャンスがあったら、
その時は是非お会いしたいと思います。
異国の地で思いがけなく出来たこのご縁が、帰国後もずっと続くことを願って止みません。


ダンナと私の両親たちにも、言葉では言い尽くせないほどお世話になりました。
ウチは実は、日本の自宅を空き家のまま残してあったんですが、
家が傷まないようにと、両家の両親が定期的に家のメンテナンスをしてくれていました。
両家ともウチまで電車で2時間近くかかるというのに、高齢にも関わらず足繁く通ってくれた。
おかげで、未だに日本を離れた時のように綺麗なままです。
心から感謝しています。本当にありがとうございました。


そしてダンナ。

渡米直後は、日本語でしゃべれる相手がダンナしか居ないもんだから、
帰宅後のダンナをつかまえては、その日あった出来事をいちいち報告してましたっけ。
もともと口数が少ないうえに、仕事で疲れてるにも関わらず、よく相手をしてくれたなぁ。
それに、ほとんど毎週末、近くのビーチやロサンゼルス観光にも連れ出してくれました。
私が退屈しないように、ここがイヤにならないようにとの配慮だったと思います。
ありがとうね

3年の間に、たくさん旅行にも連れて行ってもらいました。
アメリカ国内の国立公園を中心に、西海岸だけでなく東海岸や、カナダまで行っちゃったね。
仕事が忙しい中、頑張って休みをとって、いろいろ下調べしたりタイムテーブル作ったり、
おかげで、いつも充実した旅を満喫できました。

ダンナは、外国で外国人たちと仕事をしていて、自分の事でいっぱいいっぱいだったろうに、
いつも私の事を気に掛けてくれていました。
ダンナには本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。ホントに本当にありがとう。
これからも一緒に仲良く生きていこうね。


私たちが無事に駐在生活を終えられたのは、周りで見守ってくれていた方々のおかげです。
この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

日本へ帰る事、それ自体はとっても嬉しいのですが、
ここも今や第二の故郷のような心持ちになってて、この地を離れる事の淋しさは否めません。
いろいろ苦労もあったけれど、今思い出すのはただ「楽しかった」ということだけです。
そう言える幸せを噛みしめています。


最後に。
不定期更新にも関わらず、このブログを気にかけて遊びに来てくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
自分の備忘録として綴ってきたモノで、他人様にお見せするのは恥ずかしい限りなんですが、
「気に入ってる」とか「役に立った」なんて言ってくれる人が居るのは、とても嬉しくて、
励みになりました。

帰国後も、気負わずにゆる~く、日本での様子などを綴っていこうと思っていますので、
よかったら、今後もお付き合いくださいまし。

それではみなさま、また会う日まで、どうかお元気で!

思い出をたどる道

2010-05-22 20:13:39 | 帰国までのあれこれ
とうとう、明日は日本へ出発です。
駐在生活最後の土曜日、通い慣れた散歩道を、ダンナともう一度歩いてみることにしました。
アパート裏のトレイルが、ウチらのお決まりの散歩コースでした。

一戸建てが並ぶ住宅街は、アメリカン・テイストが満載です。

アーバインにはよく整備された広い公園があちこちにあります。週末は、よくサッカーの試合をやってましたっけ。

近所のイチゴ畑に、よくウサギを見にきました。

今は畑を潰して教会が建ったせいで、ウサギの数が激減し、滅多に見られなくなっちゃったのが残念。。。

交差点の角に、ひときわ見事なジャカランタの大木があります。
この辺りでは一番大きくて、見応えがありました。
去年はイマイチだったけど、今年は見事な花を咲かせました。

よくこのベーカリーカフェで、散歩帰りにブランチを食べました。
お気に入りはエッグスフレとチキンのパニーニ。
前者は午前10時過ぎには売り切れちゃうし、後者は午前11時以降からしかオーダーできなくって、何時頃に行くべきか、いつも迷ったものです。

Rite-AidとかCVSといった薬局系のコンビニは、お菓子コーナーとかシーズングッズの売り場を見てるだけで楽しかったなぁ~

TUSTINの某所にあるジャカランタ並木。
渡米してすぐ、まだ友達も居ない頃、家の近所をフラフラ探検していて見つけました。
来たばかりの頃は、この濃い紫色にむせ返りそうになったもんでしたが、今じゃすっかりお気に入り。

ここからは、ちょっと遠出をして、ビーチに出掛けました。
ハンティントン・ビーチに向かうPCHは、文字通り海岸沿いのドライブを楽しめます。

青い空、白い砂浜、、、
カリフォルニアを代表する景色ですね~

ハンティントン・ビーチのピア

白い砂浜は、久しぶりの好天とあって、風が強いにも拘らず水着姿で海に入っている人がたくさん。

ピアの入り口は、浜辺を散歩する人や芝生で日向ぼっこする人、ストリートパフォーマー達などなど、いつも大勢の人で賑わっています。

ピアの先端にあるのはRuby'sという、ベタにアメリカンなレストランです。
結局、一度も行かず仕舞いでしたが。。。

サーファーの聖地でもあるハンティントン・ビーチは、いつ来ても波が高い。。。

浜辺にはビーチバレーのコートがたくさん設置されていました。
近々、大会でも催されるのかな?

歩き疲れたら、ビーチのメインストリート沿いにあるスタバで休憩。
アメリカのスタバではオーダーした時に名前を聞かれるんですが、ダンナのはアメリカ人には非常に発音しにくいので、いつも“Mike”という偽名を名乗ってました。

私の通称もあるんですが、それはナイショ

名残は尽きませんが、そろそろアーバインに戻りましょう。
I-405沿いにあるサンタアナ空港は、滑走路がフリーウェイに対して直角に設けられているので、走っている車の頭上を、着陸態勢の飛行機がすれすれに降りていく様子が見られました。

“仮住まい”だったはずが、いつしか“離れがたい我が街”となっていたアーバイン。
懐かしい景色達に別れを告げ、いよいよ日本に帰ります。

最後の晩餐?

2010-05-21 22:55:33 | グルメ
アメリカを離れる前に、何を食べておきたいか。
ガツンと巨大ステーキ? いえいえ。。。

我が家のアメリカ駐在の最後の記念メニューは、こちらでした。
レインボー
ロール!!

お寿司はアメリカ人にも人気で、カウンターに座って握りを食べてる姿をよく見かけます。
箸も、実に上手に使うんですよ~

そんなアメリカ人ですが、案外と海苔巻きは苦手
見た目が気持ち悪いのと、口の中に張り付くのがイヤなんですって。

そこで編み出されたのが、カリフォルニアロールに代表される変わり巻き寿司です。
寿司職人的には邪道なんでしょうが、ウチらはけっこう好きで、よく食べてました。
特にこのレインボーロールは、いろんなネタが乗っていてお得感ばっちりです。
中の具はアボカドと
たっぷりのカニかま
(本当のカニじゃない所がミソ)

外国料理のレストランは、日本にもたくさんあるけれど、
さすがにこれだけは、日本では食べられないだろうなー

お別れのランチはリッツで決め!

2010-05-21 17:55:21 | グルメ
駐妻友達とランチに行けるのも、今日が最後です。
「最後に憧れのリッツでランチしたい!」という私のリクエストに、お友達が応えてくれました。
今日は、運転はちょっと苦手なHちゃんが車を出してくれるというから、ますます感無量です。

風光明媚で有名なラグナビーチLaguna Beachから、PCHを更に南に下り、
ダナポイントDana Point近くまで行ったところにある高級ホテルリッツ・カールトン
The Ritz-Carlton,
Laguna Niguel


One Ritz-Carlton Dr.,
Dana Point, CA92629

TEL:(949)240-2000

※ホームページ→こちら

ここのオーシャンビュー・ダイニングは、眼下にビーチを望む、絶好のロケーションが自慢。
以前、ダンナと「ちょっとお茶でもしようか」と冷やかしに来たことがあるのですが、
日曜日だったもんでサンデーブランチをやっていて、お値段がお一人様$80(!)と言われ、
すごすごと引き下がって帰って来たという、苦い思い出があります。
平日ならもう少し気軽に楽しめるので、友達とのお別れランチには最適というわけです。

午後1時ごろに到着したんですが、人気のレストランだけに、窓際の席は予約で満席状態。
でも、窓際の景色を楽しまなきゃ、せっかくわざわざ来た甲斐が無い!!
というわけで、空席ができるまで、待つことにしました。
高台に立つホテルの中庭からの眺めは、文句なしの絶景

辺りを散策したりして時間を潰していたら、20分ほどでお声が掛かりました。
案内された席の窓の外には、青い海と白い砂浜が見えます。


お食事は前菜のカラマリとサラダ、ミニバーガーの三品を三人でシェア。

上品な盛り付けと味付けと、気持ちの良いカリフォルニアのビーチの景色を心ゆくまで満喫しました

デザートも食べたかったんですが、そろそろ駐車場の時間がタイムオーバー。
そこで、場所を移動することにしました。

PCHを来た方向に戻り、更に北に上がり、Corona Del Marまで移動します。
ビーチ沿いのドライブは、本当に気持ちが好い

デザートタイムはこちらのカフェにて。
Zinc Cafe & Market

3222 E. Coast Hwy,
Corona del Mar, CA92625
TEL:(949)719-9462

※ホームページ→こちら

ケーキのサイズは大振りでアメリカ~ンですが、甘さ控えめで、ひと手間かけた感のある、日本人好みの味。

お互いのケーキをつつき合いながら、話題の尽きぬおしゃべりに時間を忘れる

“駐在妻”という共通項で繋がった友人関係。
出身も年齢も過ごしてきた境遇でまちまちだけれど、ここまで仲良くなれたのは、
みんな人間的に素晴らしい方達ばかりだからです。

皆さんと知り合えたおかげで、右も左も分からない外国で、充実した毎日を送れました。
本当に感謝しています。お世話になりました。
このご縁が、どうか今後もずっと続きますように。。。

快適♪ホテル生活

2010-05-21 00:26:34 | 帰国までのあれこれ
火曜日に引越を終え、出発までのここ数日はホテルで過ごしております。
Residence Innという、Marriott系の長期滞在者向けのホテルです。
ダンナは、赴任して早々は、ひと月程このホテルで過ごしたそうで、
なにやら感慨深いものがあるようです。
1クイーンベッドのお部屋です。
なかなか広い。
ソファーがエキストラベッドになります。

ちょっとしたアパート並みのキッチンがあって、電子レンジとコーヒーメーカーは元より、ガス台、トースター、ディスポーザーに、普通サイズの冷蔵庫まで完備されてます。

更には鍋類、カトラリー一式、お皿にコップ類と、ほぼ完璧に自炊可能な状態です。

すごいわ~

ちなみに、朝食サービスがあるので、自炊しなくても勿論OK。

飲みかけだったお茶っぱや牛乳、食べかけのお菓子なんかを
アパートを退去する時に、捨てずにホテルに持ち込んだので、
まるで今まで通り自宅に居るかのような、リラックスした生活ができてます。