故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.307 「小型ジェット機の旅」のお話。

2014年11月03日 | 日記

日本時間の真夜中の0時を過ぎてから、私達はシカゴのオヘア空港から目的地のモントリオールへ向かうことになった。機内が左右2座席・1列4座席で合計66人乗りの小型ジェット機に搭乗することになった。出発時には小雨が降っており、空港の窓から見えるアカシアの葉はきれいな黄色に染まっていた。ここは日本よりもやや気温が低い感じがした。

 

私がこれまで搭乗した国際便の飛行機の中では1番小さな飛行機で、飛行時間も2時間20分と短かった。新潟空港と中国・ハルビン空港との飛行時間とほぼ同じ飛行時間であった。滑走路を飛び立った飛行機は1分もしないうちに厚い雲の中に突入した。上昇し続けた飛行機は25分ほどのフライトで、下に白い雲、上に青空の見える高度を飛ぶことになった。

 

時計を見たら日本時間で午前4時30分を指していた。飛行機の揺れも手伝い、私は急に眠気を催してきた。笑顔の似合う体格のいい女性乗務員が1人で機内の案内放送から飲み物のサービスなどをこなしていた。私がその乗務員に「1人で忙しいですね?」とお聞きしたら「忙しいがこの仕事は楽しい」との返事が返ってきた。

 

機内放送で間もなくモントリオール空港に到着するとのアナウンスが入ってきた。飛行機の窓からは道路を走っている車の流れと工場、それに2階建ての低い家並みが見えてきた。それにしても成田空港を飛び立ってから長い長い飛行機の旅も終わりに近づいてきた。

 

入国審査を終え、私たちが次のモントリオールへ向かう予定の小型ジェット機。

上昇し続けた飛行機は25分ほどのフライトで下に白い雲、上に青空の見える高度を飛ぶことになった。

笑顔の似合う女性乗務員が1人で機内の案内放送や飲み物のサービスをこなしていた。

日本航空の飛行機と違い、ここのビールは有料であった。

ほぼ満席の機内。

ホテルに向かうバスの中から見た景色。

ホテルに到着後、出された夕食の鶏肉料理。