今は労働現場の取材がほとんどだが、20代の頃は、どちらかといえば政財界へキーパーソンへの取材が多かった。
両者の取材を通して、また、最近多い「業界」への取材を通して思うのは、いかに「しがらみ」が多いか。
国会議員は特に、正しいことを正しいと言えず、言ったとしても言っただけの支援者向けのポーズで終わる。
その背景には、「支援」という「しがらみ」があるのだと、強烈に感じている。特に、医療業界はそうなのだ。
これを強く感じたのは『看護崩壊』(アスキー新書)を書いた時だ。
http://ascii.asciimw.jp/books/books/detail/978-4-04-870087-0.shtml
今週のエコノミストでも書いている、いわゆる「特定看護師」問題。
看護師に医療行為を認めるべきか 問題山積の新たな「認証制度」
http://mainichi.jp/feature/news/20120525org00m020004000c2.html
これについては、日本看護協会は創設についてHPでも厚労省への要請を載せているくらい明確に賛同している。
一方、日本医師会は反対。
もし私が日本看護協会から支援を受けて政治家になっていれば賛成といわなければならず、日本医師会から支援を受けていれば反対と言わなければならない。
また、夜勤の規制緩和でも全く逆の同様のことが言える。
看護師の労働を改善したいと思う看護協会は夜勤の規制緩和に反対の立場をとる一方で、経営者よりの意見となる日本医師会では規制は緩和すべきとなる。
もちろん、特定看護師そのものを完全否定はしない。一理あるところもある。が、何を言いたいかといえば、つまり、客観的に総合的に判断して、看護労働の現場を第一に考えれば、特定看護師(看護師特定能力認証制度)の創設には問題があるといわざるをえず、夜勤の規制も緩和してしまえば現場は無法地帯になってしまいかねない。が、もし、どちらかから支援を受けていると、本当に現場に寄り添った大事なことを言えなくなるのだ。
だから、現場のことだけ考えて物を言えるジャーナリストで良かったと『看護崩壊』を書きながら、つくづく痛感したのだ。
もちろん、どれをとっても、どこかの団体批判につながりかねず、出入り禁止になるかしら(厚労省は事実上の出入り禁止状態!?)と思っていたが、今のところ、そんなに懐の小さな団体ではないようで、どちらにも取材に行けている。
ジャーナリストというのは、一般記者と違い、ある程度、事実を指摘しながら、意見を述べることを求められる。
人によっては、本来は学者などが言うべき解決策までジャーナリストに期待するのだから、時代の要請なのかもしれない。
が、私は常に多くの取材から得た「事実」で勝負する。
これは、記者・ジャーナリストの基本だ。
そして、あらゆる場面において、真の解決に向け、「しがらみ」だらけの政治家頼りにならず、かえって迷惑な存在にもなるのだが、その「しがらみ」を断ち切ることができるのは唯一、世論だと考える。
社会全体が問題視すれば、「仕方ない」と政治家は踏み切ることができるのだ。
ひとりひとりの意識、問題を知ること、が大事なのだ。
雑誌や本を読む、ツイッターで情報を得る、なんでもできる今、できることから始めたい。