月のたび

日々の日記

なんかインターネットに疲れてきたぞ

2014-04-17 23:23:28 | ひとこと言わせて!
よく「意識の高い人」たち馬鹿にしたくなるけど、なんだ私のことかとも思う。インターネットだから、自分を偽れるから、ネットの中だけでカッコイイ人になろうとして、そう言ってる自分が本当は一番怪しいし、STAP細胞のニュースも関係者でもない人たちがあれこれ、いろんな細かいことを、うるさくいつまでも、ダメだの言うのには、このごろはもううんざりです。

結局、簡単にいい加減なことを言えたり、ごまかせるから、変な流行やニュースができる。コピーアンドペーストそのままで。けど、そういうことに振り回されるのにも、なかなか疲れましたよ。だって、小保方さんの論文の批判してる人たちだって、論文の書き方のルールだのを、どっかから仕入れてきて、丸写しのコピーで、以前から知っていたみたいに言ってるのに。よくわからん。そういう専門家風の空気をネットに持ち込まれても、こっちは疲れるんだよ!って言いたくなるでしょ。意識高い人が多すぎて疲れるのと同じで。

それにインターネットでコメントする人って、わざわざ細かいことにこだわったり、余計な一言に噛み付いたり、まあ元はマスコミにもそういう癖があり、その流れの先に今があるのだろうけど。何の解決にも至らない事柄を、いつまでも追及してるのって、テレビのワイドショー以上に無意味と思う。

インターネットって、そういうところが閉鎖的だと思う。議論で解決しない事でも、無理矢理議論で捩じ伏せようとするところ。関係者でもないのに。おかしいでしょ、こういうの。

じゃねー、おやすみ。


どうにかなるさ

2014-04-15 23:12:47 | しみじみ(滋)
今までの取り組み方を振り返って、問題点を探しています。

それは、何となくウスウス感じてきました。

「このままじゃ、ダメかもしれない。ダメじゃないかもしれないけど…」

そういう直感を大事に。

眉唾のスピリチュアル系ブログとか、出どころ怪しいのにまことしやかに語られる情報って、大嫌いです。なぜか、ちょっとわからないけど、ダマされるのイヤだから。ダマされると悔しい。でも、直感は大事に思います。

にもかかわらず、元オウムの上祐さんの話しはおもしろいですね。ああいう風に自分の意見を自由に言えたら、さぞ気持ちがスッキリするだろうよ。舌足らずな私が、彼の動画見ていて感じているのは、上祐さんが作ってくれる空気だね。自由にモノが言えている自由感が動画見ている私にも伝わってきて、私まで晴々します。こういう「いい空気」を持ってきてくれる人ほど、お客さんからは、大事にされる。そういう空気さえ吸えれば、お客さんとしては半分満足できている。一方で、私はダメなんだよなあ。態度が堅苦しいので、空気がぎこちなくなる。居心地悪い気分にさせる。そのあたりの、微妙な兼ね合いを一工夫しなければ、ってところで今悩んでいるわけです。悩んだって仕方ないけどね。で、会話になれることをしよう、と思い、コンビニ店員やスーパーでこっちから雑談して、トレーニングなど通して、見えてくるものを吸収しようとしてます。(まだ、実際行動してません)

もっとも、好感もてる、嫌い、信用できる、信じられない、などの区別は、私自身が動画を見たり、記事読んだり、して自分の心に映ったイメージを通して決めます。そのイメージでダマされていたら、信じた自分がバカだったことになるけど、それ以外の方法知らないので、いい加減だけど、ただなんとなく、で好き嫌いが決まる。でも、そんな風にしていると、アドバイスしてくれる人が出てきて、「いい考えがある」「ああした方がいい」など言ってくれるので、そうなると私も仕事なんかでは、アドバイスの通りにやってみて、そこから、新しい発見やアイデアが浮かびます。

そういうことをひっくるめて、「おもしろい」ってことだと思います。もちろん、自分のやりたいことを、やりたいように出来る人が幸せ者だと思うけど、やりたいこと見つからない人は、どうしていいのかわからない。よく世間で言う成功例に、「自分のしたいようにしたら、うまくいった」と言ってる人がいます。でも、自分が本当に何を望んでいるのか、わからないんだよ、こっちは。おそらく、私が真に好きなことが見つかった時には、世間並に成功するでしょう。けれど、それがいつかもわからないし、好きなことは見つけらないかもしれない。それでも、幸せに成功したい。そうなるには、行き当たりばったりで、何が待ち構えているかわからない不思議なことだらけの人生に巻き込まれるのがおもしろい、と思う。

幸せって何?ということです。「おもしろい」とか「たのしい」と言ってはいるけど、言ってる本人が本心から言ってるのかわんないからねえ。

おそらく、そういう感情ってのは、「愛」と似てると思うんです。よくテレビドラマのストーリーで男女が出会って思い思われ、そういう有象無象の出来事や刺激があって恋愛して、最初のうちは相手に対するイメージとかで美化されてるが故に楽しいけど、そのうち慣れてきて飽きてきて、つまらなくなって、けれど、セックスは楽しいんだよね。それは、心はもう離れているのに、体が興奮するので、本人たちは単にセックスで興奮してるだけなのに、相手を思う純粋な心から生まれる愛であると取り違えて誤魔化しているところが(だって、アソコが擦れて気持ちいいなんて本音を言ったらドラマにならないよ、真実でも隠さなくては)、まるで、私たちがおもしろいとかたのしいって言葉で言い表している内容の中身に似ていて、なんか微妙に取り違えてきている、でも、「結果良ければ全て良し」とも言うしね。細かいこと気にしすぎると、かえってつまんないから。

ところで、こういう細かいこと気にするのって、インターネットのAVの感想で「擬似中出しだからケシカラン」とか「偽乳だから無価値」とか、競い合って、先を争って言い合うのと同じ考え方なのだろうか、ちがうのだろうか。なんか似てるかも~。

じゃあ、おやすみね。


やりたいように、やればいいんだよ

2014-04-09 23:09:46 | 今日の出来事(重要性低)
先日の家のじいさんは、年は60~70歳くらいだろうけど、見た目が、すごくサッパリしてましたよ。第一印象がとてもよい。最初、電話で問い合わせてくれたときに、それほど高齢とは思われぬ程の美声。言葉使いが、ハッキリしていて、声が美しい。そこで、頭脳明晰な方だと思われた。

そして、温和で礼儀正しく坊主頭で、その住む家は平屋で奥まで土間が続いているような、純和風の家造りと相まって、伝統的な日本人像を感じさせ、なおかつ美声である、というのがたいへん印象をよくしている。

そこで、私の話し声はどうして汚いのか?と考えた。そういうのって、普通に考えればわかること。自分に自信があれば、することも、話すことも、自然にハッキリ、スッキリ、美しくなる。逆に、自分の生き方に不満や怖れがあって、常にビクビク、怯えながら生きていたり、話す人の生き方では、自然に、話し声や振る舞いや、人との応対のなかにも、そういうのが出てきてしまう。だから、ハッキリしない人、であって疎まれやすい。

普段から、明るく、前向きに自信を持って生きている人は、自然に社会に受け入れられる、わかりやすさがある。見ている人まで元気をもらえるような人ほど、みんなが自然に集まってくる。それは、当たり前の話しです。

まあ、悩みが多いのが人間なので、私みたいなのが、「ハッキリしない人」と思われても仕方ないかな、って思ったりもします。

時代の価値観も変わっていくものだから、いままで良いとされてたものが、悪いことになっちゃうこともあるでしょう。

そういうことも、あるものなので、いつまでも絶対正しい、なんてものは無く、だから、釈尊の言うように、「自分に頼れ」ってことなのでしょうね。

裸で生きて、裸で死ぬ

2014-04-08 22:41:12 | ひとこと言わせて!
4月に入り、情報調べている。

行政の許可必要なこととか、いわゆる既得権があり、新規参入難しいところに直面して、でも、インターネットをフル活用で情報得てやってます。

けれど、スピード感が無さすぎる気もして、そういうメリハリのバランスもちょっと良くないです。

けれど、「明るく、前向きに」っていうのを大事にしてます。

やっぱり、人との応対が大事だし、上手な付き合いができるためには、こっちから明るく、ハキハキしなくちゃならないでしょ。

それで思うのは、浅草キッドの水道橋博士が「服を脱ぐのが笑いの原点」みたいなこと、往年のラジオで言ってて、それは、今の私にこそ必要なことだな、とよく思います。

お互い人間同士が、仕事や何かで関わっていく時に、気安く付き合いができるかどうかは、結局、「裸の付き合い」ができるかどうか、ってのが一つの大きい要素である。人間同士がぶつかりあうことだって、当然ある。キレイな生き方なんて、とてもできなそうなくらいに、ある。

それは、こっちから、自分をさらけ出せるかどうか、ってことなんです。私だって、相手がどんな人間かわからないので、常に、「嫌われるかもしれない」「嫌がられたらどうしよう」とか気にする。けれど、それだと、疲れるし、そういう気遣いはさらなる気遣いを必要とするので、エスカレートするので、きりが無い。

だから、勇気をもって、嫌われるリスクを背負い込んで自分から裸になれ!という生き方が原点なんだよね!それを、みんな、うすうす、わかっていながら、なかなかできない、っていうのが、現代風ってこと。

本音をいえば、裸で生きたい、けれど、それができない、だから、水道橋博士になれないの。

けれど、AVで露出というジャンルのものがあるのが、すごいよね。

ああいうのも、結局、慣れ、だと思うけど。アダルトビデオの中の話と、現代人の心理と同じじゃないだろうけどね。

同じかもしれないけど。

言えるのは、「裸になる、服を脱いでみる」という実践が何よりも大事だ、ということだ。こういうのは、いくら頭で考えたって解決しない。だったら、実践した者勝ちだ!実行力のある人が勝つ。

今、こうして色々考えてることも、実践の小さな一つであるけど。

恥ってのは、捨てるときは、捨てなくちゃならんものなんだな。

では、おやすみ!

だからあなたはダメなんだ!

2014-04-07 21:42:12 | ひとこと言わせて!
今日はダメだった。

中途半端な仕事のしかたをしているのが、浮き彫りになってきた。

私の一番良くないのは、人と距離を取りたがるってことで、裏返して言えば、人付き合いで傷つきたくないとか、からかわれたくないとか、もちろん、近所には知っている方もいるし、同級生もいるし、それで「いやだな」とか「はずかしい」というような、そんなことって、本当に私が向上したり、進歩するためには我慢していかなくちゃ、レベルアップできないってこと、わからなくちゃ、『そんなことさえわからないのか!いままで、どういう生き方してきたのか?』って話だよ。

あと、仕事でいろんな反省あるけど、普段は自分用の日記に書いていることを、たまには当ブログに書いてみようか。この頃は、自分用の日記に好きな事書いてばかりだから、それだと、ブログに書くことなくなるから。

どうせなら、自分が「生きてる」って実感をもてるような生き方をしたい。それが、ドラマだから。けど、私って、凡庸だから、すぐ怠けてしまう。だから、「悔しい」とか「まけるな」「やってやる」ってこといつでも、忘れないようにしとかなくちゃならないけど、すぐ忘れちゃうんだよね。けれど、なんとかして立派な人間になりたい。普通の人よりも特別な人間になりたい、っていう欲求を捨てることができない。そんな風に、立派な生き方に憧れるのであるけど、それでも、マダマダ、取り組み方が足りない。たとえば、先週土曜日にNHK-FMっていう、中川しょうこちゃんのラジオ聞いたけど、彼女は確かにかわいいけど、ちょっと努力の向きがズレてる気がして、本当はもっと、いい女性らしさをそのままストレートに出せばいいのに、本人にしてみれば、頑張っているつもりだろうけど、努力と結果が効果的に結びついてない感じである。けれど、誰だって似たところあるよね?、たとえば、私だって、必死に頑張っているつもりなのに、成果が出てないし、自分の中で「今ひとつ足りない何か」が存在してることに気づいているのに、それが何だかわからないってことがあるように。人間は、自分の欠点には気がつきにくいようだ。だから、しょうこちゃんのラジオで、その辺のヒントないかな?って、耳を傾けていたわけです。

けれど、あと少しの気がするのに、今ひとつ何か足りないんだよ。このもどかしさ、わかってくれますか?私がいいと思ったしょうこさんは「女らしい色気」なの。この色気を見ると、私の中で一瞬、時間が止まり、もっと色気を感じたくなる。それって、たとえば、見慣れた女の子の中に、実はかわいかったり、エロかったりってことに気がつく瞬間なんです。そういうとき、彼女のことが、よくわかったような、うれしさがひとりでに湧いてきます。でも、そういうのって、本人が演出して、出せるものではないんです。あくまでも、自然に相手に伝わっていく。そして、そういうのが女性の美しさだけじゃなく、その人の人間性を作っていく信頼感みたいなものだと思います。

だから、それは「ありのままのあなた」というのとは、少し違うけど、自分の持ち味がわかっていて、それをすんなり、不思議なことではあるけれど、自分を越えた力を借りて、ストレートに伝えられるって方法があり、そういうことできる人が、自分の魅力を上手に引き出せる人、ってことだと思います。

また、秋山祥子ちゃんも私の大好きな女性です。今の時代は、ハッキリ言って悪いけど、AVに出る女の子のほうが美しいです。それは、テレビでは女の子の美しさをよく見ることができないからです。別に女の裸が見たいわけではない、いや、確かにキレイでかわいい女の裸を見たくなる気持ちはある。確かにある。けれど、女の子のかわいさと、そこで行われていそうな行為の猥褻さが同居したようなパッケージの作りをみて、そのDVDの中身に妄想が自然と膨らんでいきます。けれど、だんだんわかってくるのは、結局、どんなに美しくてもかわいくても、裸になって、声出してセックスしてる映像ってのは大差なかったりします。その女の子の美しさには引かれるけれど、かといって、私(たち)が求めるのは、エロさではなくて、もちろんエロい方が刺激が強くて興奮するけど、不自然に演出されるよりは、その女子の自然な、そのままの女らしさのほうに、強い憧れを感じます。そこには、その美しい姿になるまでの、女の子のストーリーを感じさせるようなものがあります。そのストーリーは、私が勝手に妄想で信じているだけの、根拠の無いものかもしれませんけど、あるAV男優によると、祥子ちゃんはとても性格がよい、そうで、外見と内面の美しさは、やっぱり自分の信じるものを小さいころから持っていて、大変なことがあっても、信念を貫いてきた生き方がそうさせてるのだと、信じてみたい、そういう気持ちにさせてくれるし、これが本当の人間の美しさだと、教えてくれます。

だから、彼女みたいな女子には憧れる。彼女みたいな人に会ってみたい。だから、あえて彼女のDVDは買わない。けど、一枚買ったことあるな。私も、自分の信念を貫く生き方をしたい。そのためには、彼女のアダルトビデオみているようじゃダメで、普段から「悔しい」とか「まけるな」という思いを大事にしているし、そうやって必死に前進を続けていると、だんだん妄想が膨らんできて、実際に祥子ちゃんに会えそうな気がしてくる。正しくレベルアップを続けていれば。でも、会ってみたところで、何をしたいって訳でも無いけどね。

全体的にいって、秋山祥子ちゃんはキレイだと思うけど、AVばかり見ていると、成長しなくなるので、あまり見ないようにしている。そうすると、キレイだなって印象だけで終わってしまうのね。それにAV女優だと、すぐ卒業しちゃうし。けれど、中川しょうこちゃんはラジオだから接触機会が多い故に個性が見えてくる。だから、彼女の好きなところもあれば、物足りないところもある、より人間らしいイメージがつかめる、そういう人の方がかえって猛烈に好きになれる時もたまにあります。




いい日

2014-04-02 22:30:25 | 今日の出来事(重要性低)
4月2日(水)ムネオ日記

STAP細胞疑惑は上の記事に共感します。いくら研究者と言っても、研究だけできればOKなのでは無く、自分のことで疑惑が生まれたら、自分でそれを説明できなければ、ダメと思います。

でも、私にもそういうところ、あります。表に立って説明するの苦手とか、緊張するとか。そういうのって、人間同士がぶつかり合ったり、自然の中で何とかして生きようとする中で自然と身につけていくことじゃないかなあ。だから、北海道で育ったムネオさんの考え方を支持したくなります。

こういうの、人として大事でしょう。誰にとっても最低限必要であることでさえ、苦手な人が増えすぎちゃったから、道徳教育が必要になったんだよ、おそらく。

ところで、今日は晴れていい天気で、富士山がきれいで、桜も咲いてて、風は強いけど、天候に恵まれて、いい景色見ながら仕事できて良かった。それだけで、よかった。(全然儲かってないけどね。)

面白いのは、いつの間にか、これって、私の好きな事そのまんまじゃん、ってことを仕事中にしている自分に気づくことだ。

まあ、辛いと思うこともあるけど、前向き思考でやってます。

けど、「くやしい!」とか「まけるな!」って気持ちも忘れないように、しています。やっぱり今よりも成長したいから。