月のたび

日々の日記

どうにかなるさ

2014-04-15 23:12:47 | しみじみ(滋)
今までの取り組み方を振り返って、問題点を探しています。

それは、何となくウスウス感じてきました。

「このままじゃ、ダメかもしれない。ダメじゃないかもしれないけど…」

そういう直感を大事に。

眉唾のスピリチュアル系ブログとか、出どころ怪しいのにまことしやかに語られる情報って、大嫌いです。なぜか、ちょっとわからないけど、ダマされるのイヤだから。ダマされると悔しい。でも、直感は大事に思います。

にもかかわらず、元オウムの上祐さんの話しはおもしろいですね。ああいう風に自分の意見を自由に言えたら、さぞ気持ちがスッキリするだろうよ。舌足らずな私が、彼の動画見ていて感じているのは、上祐さんが作ってくれる空気だね。自由にモノが言えている自由感が動画見ている私にも伝わってきて、私まで晴々します。こういう「いい空気」を持ってきてくれる人ほど、お客さんからは、大事にされる。そういう空気さえ吸えれば、お客さんとしては半分満足できている。一方で、私はダメなんだよなあ。態度が堅苦しいので、空気がぎこちなくなる。居心地悪い気分にさせる。そのあたりの、微妙な兼ね合いを一工夫しなければ、ってところで今悩んでいるわけです。悩んだって仕方ないけどね。で、会話になれることをしよう、と思い、コンビニ店員やスーパーでこっちから雑談して、トレーニングなど通して、見えてくるものを吸収しようとしてます。(まだ、実際行動してません)

もっとも、好感もてる、嫌い、信用できる、信じられない、などの区別は、私自身が動画を見たり、記事読んだり、して自分の心に映ったイメージを通して決めます。そのイメージでダマされていたら、信じた自分がバカだったことになるけど、それ以外の方法知らないので、いい加減だけど、ただなんとなく、で好き嫌いが決まる。でも、そんな風にしていると、アドバイスしてくれる人が出てきて、「いい考えがある」「ああした方がいい」など言ってくれるので、そうなると私も仕事なんかでは、アドバイスの通りにやってみて、そこから、新しい発見やアイデアが浮かびます。

そういうことをひっくるめて、「おもしろい」ってことだと思います。もちろん、自分のやりたいことを、やりたいように出来る人が幸せ者だと思うけど、やりたいこと見つからない人は、どうしていいのかわからない。よく世間で言う成功例に、「自分のしたいようにしたら、うまくいった」と言ってる人がいます。でも、自分が本当に何を望んでいるのか、わからないんだよ、こっちは。おそらく、私が真に好きなことが見つかった時には、世間並に成功するでしょう。けれど、それがいつかもわからないし、好きなことは見つけらないかもしれない。それでも、幸せに成功したい。そうなるには、行き当たりばったりで、何が待ち構えているかわからない不思議なことだらけの人生に巻き込まれるのがおもしろい、と思う。

幸せって何?ということです。「おもしろい」とか「たのしい」と言ってはいるけど、言ってる本人が本心から言ってるのかわんないからねえ。

おそらく、そういう感情ってのは、「愛」と似てると思うんです。よくテレビドラマのストーリーで男女が出会って思い思われ、そういう有象無象の出来事や刺激があって恋愛して、最初のうちは相手に対するイメージとかで美化されてるが故に楽しいけど、そのうち慣れてきて飽きてきて、つまらなくなって、けれど、セックスは楽しいんだよね。それは、心はもう離れているのに、体が興奮するので、本人たちは単にセックスで興奮してるだけなのに、相手を思う純粋な心から生まれる愛であると取り違えて誤魔化しているところが(だって、アソコが擦れて気持ちいいなんて本音を言ったらドラマにならないよ、真実でも隠さなくては)、まるで、私たちがおもしろいとかたのしいって言葉で言い表している内容の中身に似ていて、なんか微妙に取り違えてきている、でも、「結果良ければ全て良し」とも言うしね。細かいこと気にしすぎると、かえってつまんないから。

ところで、こういう細かいこと気にするのって、インターネットのAVの感想で「擬似中出しだからケシカラン」とか「偽乳だから無価値」とか、競い合って、先を争って言い合うのと同じ考え方なのだろうか、ちがうのだろうか。なんか似てるかも~。

じゃあ、おやすみね。