月のたび

日々の日記

山には山のうれいあり

2014-04-25 23:23:00 | メディア(憤)
今日会ったおばさんはおもしろい人で、タブレットを持ち、LINEやってるとか、パソコンやってるとか。

そんなこと話してるうちに、自宅の裏が川で、夜中トイレに行く時など、川のせせらぎがきこえると、元々田舎育ちなので、感慨をもよおすとか、この齡になって、お爺さんと暮らして老いていくことの決意とかまで話が及んで、知識が広い方でした。

そして、音楽好きで、外で庭仕事の最中にアコーディオンで、何度も何度もやる。

山には山のうれいあり
海には海の悲しみや
ましてこころの花園に~


彼ら老夫婦の演奏を、真昼間に、というか、平日の昼間の日課なんだろうけど、悲しげなメロディーだな。一曲ごとに年老いていくみたいで。そのおばあさんの話と演奏を思い合わせて、年取ってくこととか、私に告げたかったこととか、何を思いつつ演奏してるのだろうね。おそらく、その老夫婦の父母はもうこの世にはなく、「もうすぐ私たちの番」と感じているかのようで、今生きていくことと、演奏することのつながりを確かめるようとするかのようだった。

そうしてみると、年老いてもいつまでも心に残る輝きとは、真心や誠意であって、そういうものに対する感受性がすごく敏感なんだよ。あざみの歌が繰り返されるごとに、思い出されるのは、心に残る美しい人やものごと、思い出で、偽ること出来ないのでいつまでも輝いてる。

あと、以下、気になる見出しがあったので。

反韓・嫌韓記事 リベラル「団塊世代」まで愛読しはじめた危うい兆候


『危うい兆候』ってフレーズ、使いたがる特殊な人いまだに多いですよね。こういう表現って、どのように危ういのか前提知識の無い外の人にはわかりにくいです。『危うい』という言葉で、理解を強要するような意図を感じます。本当は、そっちじゃないのに。『安倍政権のタカ派路線』とか、『戦後の民主主義教育を受けた団塊世代』が反韓・嫌韓記事を読むことが危ういとのことだが、何が危ういのか。それに、さらにわからんのは、韓国や中国に対する見方がここまで悪化した真の原因がなんであるのか、記事を読む限り、まったく掴めないことだ。つまり、これは特定の読者にのみ向けられた政治的な記事だ、ということです。やはり、既存メディアの情報だけでは、全体が見えないはずだ。メディアの信用がここまで落ちたのも、国民に伝えるべき基本的な情報さえ伝えていない、このような体質にあるはずだ。