それでは、連載第89夜は、平成21年晩夏の上野駅をお届けします。
大井を発った私はその後、撮影禁止の新橋鉄道資料館、東武博物館と行き、その後、暑い中上野駅地平ホームへ。閉ざされた空間で、更に暑いです。
カシの無い土曜日であったので、一発目はトセイ、則ち「北斗星」です(写真)。カニ24 505が、推進運転されます。職員が、弁装置を繋ぎ、機関士に合図を送ります。
「北斗星」の牽引機は、EF81 81「田」でした(写真)。運用は青森信号場までです。
続いて、オハネフ24 25が推進運転されます(写真)。こちらは貫通路を開け、ホースに弁装置を繋ぎ、職員が操作します。
その列車は「あけぼの」でした(写真)。貫通路が閉じられました。
同列車の牽引機は、EF64 1030「長岡」でした(写真)。双頭連結器に、物々しいジャンパ栓群、これは羽越方面の交流電車を牽引し、首都圏経由で郡山入場まで輸送するためのものです。
続いて、スハネフ14 35が、推進運転されます(写真)。これも、特殊弁で遠隔操作です。
その列車は、寝台特急「北陸」でした(写真)。貫通路を閉じ、出発を待ちます。
牽引機は、EF64 1031「長岡」です(写真)。これもEF63並、いやそれ以上のジャンパ栓が輻輳します。
これで、上野駅13番線の役者たちは、全て顔を揃えました。
上野発夜行列車の殿は、夜行急行「能登」です(写真、クハ489 505)。489系12連で、かつては碓氷峠経由、EF63とも連結されましたが、同区間廃止で長岡周りになり、その当時の姿です。露出した自動連結器が、EF63との協調運転当時の名残です。16番線に据え付けられています。
以前は高崎線の最終も兼ねていた「能登」、リーマンが安心して寝過ごし、気付いた時には北陸にいた、という、有名なギャグがありました。この時には既にもっと遅い普通列車が用意されるようになり、それも昔の話となりました。
大井のイベントの翌日は、まず間違いなく松任のイベントの日で、「北陸」にも乗りたかったのですが、残念ながら「能登」でした。せめて、シャワーでも浴びれば良かったと反省しています。
それでは、次回をお楽しみに。
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