RR(ROCK AND READ)045を読んだ。そこで、ヴェルサイユ活動休止の理由が語られていた。これを読む限り、ヴェルサイユの「活動再開」はありそうだ。よかった。彼らに言わせれば、今は「何も歴史に残せないタイミング」。まさにそうなのかも。似たことはKISAKI氏も言っていた。
「…実際、俺らはもう必要とされていないのだろうかって感じさせる結果が数字となって出てくる」(KISAKI)
「ヴィジュアル系<冬>の時代」にまた入ったってことだろうか。いや、「ネオヴィジュアル」のブームも終わった、と言った方がよいかもしれない。あるいは、僕のヴィジュアル系史の認識で言えば、第三期が終わった、とも言えそうだ。(第一期:黎明期、ヴィジュアル系前夜、第二期:98年ヴィジュアル系ブーム期、第三期:00年代ネオヴィジュアル系時代)。あるいは、第四期(ヴィジュアル系の技術・テクニックの向上時代)の終焉とも。
けれど、ということは、次世代のヴィジュアル系は今から始まる、ということだ。カリガリやムックが新しい時代を作ったように。ポジティブに考えれば、新しい時代の誕生前夜期に入ったということになる。もっと言えば、DIR EN GREYやアンカフェが築いてきた「フレーム」とは異なる世界観の誕生前夜、ということになるだろうか。DIR EN GREYが築いたLOUD系を突きつめたスタイル、そして、アンカフェが築いたポップでキャッチーでダンサブルでかわいいスタイル。そして、ガルネリウスが築いた「究極の演奏美」のスタイル。どれも、もしかしたら「過去のもの」になりつつあるのかもしれない。もちろん、それ以前のヴィジュアル系的なスタイル、LUNA SEAやマリスミゼルのようなスタイルも、今の時代では、今の若者には伝わらない。(金爆が90年代のヴィジュアル系スタイルをリバイバルしているけど、あれはどう考えたらいいのか?!)
したがって、これからのバンドマンには、これまでのスタイルとは全く違う「戦略」が必要ということだ。次の世代の若者に「カッコいい」と思われるようなサウンドやスタイルの創造。リスクも高いけど、刺激もある。自分たちの音や表現スタイルを自分たちで作るんだ!という野心が必要になってくる。今のバンドマンたちを見ていると、「ヴィジュアル系」にとらわれ過ぎている、というか、かなり陳腐なパターナリズムに陥っていて、どれも似たようなバンドばかりだ。「バカなことをしよう」、という気合も見られない。演奏力の向上は否めない。でも、そのせいかどうかは分からないけれど、優等生的なお兄ちゃんたちのバンドになってしまっている。
でも、それは仕方ない。ヴィジュアル系には、既に20年の歴史がある。ヴィジュアル系という言葉が生まれる以前からすれば、もう30年くらいの歴史があり、その中に、ヴィジュアル系の伝統がある。伝統が作られてきた。「ダーク系」という視点からすれば、30年くらいになる。
だから、そうした歴史の中で作られてきたヴィジュアル系の伝統と、ある意味でその伝統と相反する新しい視座。その融合が今、ますます強く求められきている。そういう意味では、「実験的要素」の強いバンドが求められる。金爆(ゴールデンボンバー)はまさにそういう要素を兼ね備えていた。ただ、あのバンドは演奏を放棄している。あのマネはできない。一回限り、彼ら限りだろう(彼らのサウンド自体は、とても古く、極めて伝統的なスタイルなんだけど、逆にそれがよかったとも言える)。
だから、極端な話、現在のヴィジュアル系ファンに、「げ、何アレ?!」と思われるくらいのバンドでなければならないだろう。その「何アレ?」が、新しいスタイルを創造するのだから。もちろん見た目的にも。ある意味で、「過去の否定」が求められる。ヴィジュアル系の基本は、「visual shock」=視覚的な刺激。視覚的に「度肝を抜く」、それが目指される。「度肝を抜く」ということは、これまでにない世界を示さなければならない。「あー、またこういう感じかー」じゃダメ。今の若い人たちが、「げ!」と思い、徐々に「もしかしたら、すっげーカッコいいかも?!」って思えてくるような視覚的刺激。
否、最終的には「ヴィジュアル系」に代わる新しい造語を作るくらいでなければならないだろう。もうそろそろ、ヴィジュアル系に代わる言葉が必要な時代なのかもしれない。昔、「ポジパン系」、「黒服系」、「ダーク系」なんて言葉もあった。こうした言葉は、ある種、その当時のメディアが、奇抜なバンドに対して、命名したものだった。
バンドマンたちも、みんな、主張すればいい。かつてのバンドマンたちは、自分たちのサウンドを自分たちで命名していた。ラルクは「サイコソニックシェイク」だったかな(苦笑)。デランジェは「サディスティカルパンク」(笑顔)。ZI:KILLは、「痛い音」、否、「ポジティブメタル」。で、Xが、「サイケデリックバイオレンス クライムオブヴィジュアルショック」(長い…汗)。
単に演奏やスタイルを真似るのではなく、こういう部分こそ真似をして、自分たちの音を自分たちの世代の人間にぶつけるんだ!っていう気合が、今のバンドマンに求められているんだろう、とも思う。
例えば「POP'N ROLL」、「21’s Illusional Punk」、「Dream Punk」、「Idol Metal」、やや政治的に、「Democratic Hard Beat」、あるいは「濃厚ドロドロダークサウンド」(苦笑)など。ヴィジュアル系よりもかっこよくて、新しい感じ。こういう感じで、面白いことやろうぜ、的な。そういう「遊び」が今のヴィジュアル系にないんだな。つまりは「想像力欠如」と「ゆとり欠如」(苦笑)。ゆとり教育を受けた世代こそ、ゆとりをもってバンドをやってほしいと思う。ゆとりとは、「遊ぶ」ということ。80年代暮れのバンドブームは、そういう「遊び」に満ち溢れていた。
怪しければ怪しいほどいい。みんながドン引きする方がいい。「職業にしない」というくらいの方がいい。プロを目指すと、どうしても新しい風は起こらなくなる。ある意味での「アマチュアリズム」の復権。ヴィジュアル系のコンセプトは、基本的に、「耽美」、「華麗」、「ダークネス(闇)」、「狂気」、「叫び」、「暗黒」、「冷血」、「残酷」、「黒」、「白」。そういう「カオス」や「デカダンス」。そういう方向性で、今の時代の人々にあっと言わせる世界観やスタイルや表現。そのコンセプトに共感する人たちが、自分たちなりに、その世界を表現すればいい。ある意味で、過去を見ないくらいがいいのかもしれない。
「やりたいようにやれ」。
それが、今年のヴィジュアル系界で最も求められていることかもしれない。それは、「自由への招待」でもある。自由は、最高に尊い言葉だが、誰もがその自由から逃走しようとする。そして、過去の伝統にしがみつこうとする。それでは、新たなスタイルは生まれない。ロックは基本的に自由だ。何をやってもいいのだ。やりたいことをやりたいようにやる。売れるかどうかも実は(クソ)どうでもいい。「俺たちを見ろ!」という強い気持ちと想いが、ヴィジュアル系ロックの根底にあるはずだ。
2013年。どんな年になるんだろう?!
Vogue - Material
ゴールデンボンバーの新譜にシンクロするヴィジュアル系バンド「nuvɔ:gu」(ニューヴォーグ)の代表曲。バブル時代を彷彿とさせるけど、いわゆる「視覚的刺激」がなんたるかを教えてくれるPVだと思う。彼らは、当時のダンスミュージックと様式美系+耽美系を融合させようとしていた。
AION - BE AFRAID (FILM PLASMATIC MANIA)
AIONのコンセプトは、「DEATHRASH BOUND」だった。デス+スラッシュを融合させるという明確なヴィジョンがあった。