久々にMTRと格闘しました。
1年半ぶりくらいの操作とあって、完璧に操作の仕方を忘れていました。。。
せっかく新しいMTRを買ったのに、、、
PCで曲を作ることもできる時代ですが、そこはMTRにこだわりたいなって思ってて。なんか、「荒さ」があるほうがいいんですよね。なんか、切り貼りって僕の中ではNGで。。。
MTRだと、その辺、全然融通がきかないですから。(あ、いや、僕のMTRは機能がいっぱいあって、いろいろできるみたいですが、面倒くさい、、というか、、あ、、汗)
僕的には、うまい演奏とかって、そんなに重要じゃないんですよね。うまい演奏が聴きたいなら、海外のクラシック~オーケストラ聴いてリャいいわけですから。自分の周りにも、超英才教育をうけた音楽関係者の人もいるし、そういう人のコンサートをみると、「すげ~~」って思いますからね。早弾きだって、ピアノのソロコンサートとかいくと、もう何がなんだかわかりませんもん。。。
自分の音楽に求めるのは、魂とか、熱さとか、自分の思いとか、生き様とかそういうところしかないんです。人のために作ろうって思った時期もあるけど、他人のため、人のためじゃないんだなって思うようになって。もちろん聴いてくれたら嬉しいけど、他人に喜んでもらうために音楽をやっているわけじゃない。売れる―売れないの理屈で音楽を考えると、それはそれで楽しいけど、音楽じゃなくて音苦になる。いや、苦にならないまでも、自分のためじゃなくなる。
僕の中では、理屈的なことや客観的なことは論文で書いて、自分自身のことや自分にかかわることや自分にとって最も大切なことは音楽で表現する、それがベストだなって、思ってます。
ヘタクソで音楽が嫌になった時期もありましたが、ヘタでも音楽は楽しめるんです。ヘタにはヘタなりの音楽のよさっていうのがあって、もともとロックってそういうもんだったんじゃないかなって思うんですね。もちろん基本的な理屈がなければ音楽は成り立ちませんが、理屈で音楽が成り立っているわけではない。理屈なら、論文で十分。。
自分が気持ちいいと思う音楽をただ作ればいい。ソフトバレーの森岡さんもそう言ってました。気持ちいいというのが大事なんじゃなくて、「自分が」というのが大事だったんだって、最近分かるようになってきました。人が自分の音楽を気持ちよく思うかどうかは、分かりませんし、巧くても僕は気持ちよくなりません。
僕自身が、巧い音楽を求めてないんだって、ようやく(遅いけど)分かってきました。もちろんある程度音楽を聴き続けてますから、演奏技術の高い音楽を求めてしまう自分がいます。でも、いつも心打たれるのって、メロディーだったり、歌詞だったり、音色だったりするんですよね。ギターの単純なリフにだって心動かされるし、エフェクターのかけ方一つで曲の好き嫌いがでてくる。
音楽業界ではうだつが上らなかった僕だけど、結局は自分が作る曲が一番好き。自分のメロディー、自分の歌詞が好き。きっとアーチストってそんなもんだと思う。自分がいいと思ったものを素直に作ればいい。それが人に認められれば金になるかもしれないけど、金になるか金にならないかはどうでもいい。「いいものを作りたい」=「自分がいいと思うものを作りたい」というのが真実なんじゃないかな、と。
だから、「聴いてもらいたい」じゃなくて、「聴かせたい」と思うんです。分かってくれる人もいれば、分かってくれない人もいる。それが音楽の魅力なんだと思います。「聴かせたい」じゃないな、「聴いて~~~♪」だな(爆) 自分がいいと思ったものを人に見てもらいたい、聴いてもらいたいというのは健全なことですよね。
凝り出すと大変なんですよね。音楽って。でも、その作っている時間は何にも変えがたい気持ちよさがあるんです。
昨日の夜に、ドラムのほぼ半分を作り終えました。今夜は、ドラム~ベース~ギター~ボーカル入れをしていきます。完成していく過程がすごい面白いんですよね。今回はキーボードも、か(?!)、、、
あー、早くおうちに帰りたいわーーー。。。
ある大切な人に捧げる究極のバラード(バラードになってないけど)。早く聴きたいわ、、、自分が、、、(爆)
「遊びは実際生活の合理性の外にある。必要とか利益とかの領域の外部にある。・・・音楽的表現、音楽的形式も同じことである」by ホイジンガ(ホモ・ルーデンス)