茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

「茜ちゃんの島日記 2018-03-16」

2018年03月16日 | 教育

 

「茜ちゃんの島日記-2018-03-016号」

 

 

茜ちゃんの「島日記

 

2018-03-16

 

 

 

 

昨日までは暖かい晴れた日であったが、本日は菜種梅雨のような雨空である。

もうすっかり梅雨に入ったかのような天気。

一昨日、念願のジャガイモ堀りを敢行!

5kgの種芋を植えて最終的には40kgの収穫であった。

株式投資でも中々出来ないリターンであった。

 

 

収穫したジャガイモは大小さまざま。小さいのも有れば13cmも幅が有る大きなものも有った。

最後までニヤニヤしながらの楽しい収穫である。

身の丈のような雑草が生い茂る荒れた農地を、鍬一つで掘り起こし小石を拾って、

6.5年がかりの素人自作農法であった。

 

畑を耕すのは初めて。全てインターネットの検索で学んだ。

しかし、これらの情報は本州の季節に合った農法である。

奄美は地理的には可なり南方である。寧ろ沖縄に学ぶのが良いのかも。

 

 

それでも何とか今年は成功した部類であろう。先回は掘り起こして水洗いして大失敗。

天日で乾かさないといけないのである。そんなレベルで有った。

今回は3日がかりで天日に当てて、乾かしたものである。

失敗は成功の母である。

 

  

 

爺は道産子だから北海道の広大な農法を見聞きして良く知っている。

このレベルは遊びに過ぎないが、自分ながら天晴れである。及第である。

後は上手に保存して食べて行くことと、種芋を保存することである。

 

近くの叔母ちゃん曰く・・<芽が出たら畑に植えて置けば良い!>

なるほど、奄美のテゲテゲ農法である。これで良いのさ。

 

 

   

 

カボチャも小さいながら陽に当たってだんだん大きくなって来た。

今迄失敗ばかりで成功した事はない。意外と難しいのである。

キャベツは今年は大豊作。本州では一個=¥550円とか。

近くの爺は道端の簡易売店で¥100円で売っていた。

 

   

 

早速、翌日港の売店に行って苗を買う。ピーマン、キュウリ、島ウリ。

翌日、早速芋の収穫後の畑に植える。明日雨と聴いたからだ。今日は苗は皆元気である。

後は肥料を撒いて水の管理である。キュウリは枝を支える支柱が必要である。

キュウリの間に島ウリを植える。

 

島ウリ(現地の方の写真)

 

苗を買うのに「島ウリ」がどんなのか分からないで買ってしまった。気楽なもんだ。

「瓜」と云うからキュウリの親戚かと云う位の知識。

奄美のキュウリの事である。見かけは余り変わらないが、太いのが特徴。

 

キュウリは支柱を立てて立体的に育てるが、島ウリは地に這わせて育てる。

初めは知らないから奄美のテゲテゲ農法かと思っていた。

ところ変われば品代わるのである。味は全く同じであるがその太い事。

それでキュウリの間に置いた訳である。勉強になった!

 

 

  

 

本日は雨の中 でゴーヤーの種蒔きと大根の苗を植え替えた。

京茄子は二度目の挑戦んで、種蒔きである。どうなる事やら。

苗を買う羽目になるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捨てる」ということ。

 

   

 

FaceBookというソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を観ていたら、

「ボブ・プロクター」というアメリカの著名な方のコラムが有った。

<何か欲しいと思ったら・・・要らないもは棄てよ、寄付せよ。売っちゃだめだ!

簡単に表現するとこのような論法である。

ナポレオン・ヒル、アール・ナイチンゲールというような系列の方で有るようだ。

写真の段ボールの山は6.5年の成果である。自分でも驚いた。良くも家の中に有ったものである。

 

    

 

 

綺麗になった廊下の奥の入れ物スペース(災害・非常用の品物ばかり

 

 

それから段々調子に乗り始めて、家の中でゴミ集めを開始。

恥ずかしくなるほど無駄なものが出て来た。中には買った記憶さえないものもある。

我ながら呆れてしまった。是じゃ貧乏な訳である。

 

数週間かかって大方を外に出して、毎週来る役場の収集車に乗せて貰った。

だが、問題は古本である。これが難問。愛着も有るしこれから読むために買ってあるのも有る。

選別が大変である。読む可能性の低いものは目を瞑らなければならないであろう。

 

 

能面を打っている部屋には、能面集や仏像関係、白洲正子全集のコピーが、

部屋中に積んである。これは妥協しないつもり。死んだら図書館に寄付の本である。

という覚悟なのだが。・・・ゴミ屋敷にはならないだけか。

 

納戸には貝を蒐集した段ボール箱が十数箱ある。貝は手に負えない。

陳列しても恥ずかしく無い貝だけ残して、後は全て棄てる積りである。

 

 

奄美大島の海岸を回って砂浜で拾い集めた貝の一部。

 

 

知人から頂いた貴重な貝。フィリッピン産である。

このような貝が沢山有るのである。

 

 

 

こんなレベルの貝殻が段ボールに沢山入っている。

中には思い出のある貝も有る。簡単にはそう手放されるものではないが・・

少し時間を掛けて選別して、廃棄するつもりである。

本州なら小学校の理科の教材にはなるのであろうが。

ここでは物の役には立たないのが残念だ。

 

                

 

話は最後になったが・・このボブ・プロクター氏の文章は良く考えてみると、

誠に理が通っている。実際に実行してみて、それなりの成果が出初めている。

 

「空白の法則」というものが、この宇宙空間には有るそうだ。

物質でも非物質(ものの考え方)でも、それを棄てて空白の空間を造ると、

それを埋めようという作用が働くという。唯ひとつ面白いのは・・

棄てないでオークションなどで換金すると、その効用はなくなるとか。

他人に無償で寄付するか、破棄して捨て去るのみである。

 

 

世の中には数兆円もの財産を持っている方は沢山居られるが、

Microsoftのビル・ゲーツ氏の様に、慈善事業や数百億円単位の寄付をされている方も、

沢山居られるのも事実である。この「空白の法則」が嘘でない証拠である。

棄てた物、寄付した物の空白には、埋め合わせ作用が働くという事である。

 

お金だけでなく新しい人生の行動に出る時も、今迄の生き方を大幅に変更しなければならない。

こんな場合でもこの考え方は適用される。

「思ったこと、イメージした事は真剣であればある程実現しやすい」

これは宇宙の法則だそうだ。経験的によく理解できる。

 

 

 

自動車でも、電話でも、飛行機でもそんなものは古代には存在しなかった。

それらは全て一人の人間がイメージしたものを、試行錯誤の末実現の結果作り出されたものだ。

われわれはその知恵をタダで使わせてもらっているようなものだ。

 

下世話な云い方かもしれないが・・簡単に言うと・・

お金を得たかったら、身近にある不用品を棄てて、空白の空間を造りなさい

という事であろうか。

 

例えお金が入って来なくても、自宅の中がすっきり片付くのは気持ちが良い。

押入れも全てがすっきりした。空間がゴロゴロである。

これから先納戸も今以上にスッキリするであろう。

さて、代わりに何が飛び込んで来るかである。楽しみである!!

 

 

 

 


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