茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

サワラチャンの加計呂麻日記-064

2013年09月27日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -064

 

  

 

 

 

  いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。                   

特集は島暮らし 

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。                                                 それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介!  

 

島暮らし-008 

 

 最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

 


 

これからのお話し島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、

周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域をも含むとお考えください。

 


 

<郷に入れば郷に従え>(「郷に入りては郷に従え」)

  皆さんが良く聴くですね。 とは言うもののこれがなかなかの曲者でして、可也の方が耳学問でこの文章を諳んじておられる模様。しかし、何時も思うのは本当にこの言葉の意味を知っているのかな、或いは真剣に考えた事が有るのかなという事です。

本日はこの諺を軸にして、離島や陸の孤島の限界集落で起こるトラブルについて書いてみたいと思います。この手の諺は世界共通の諺のようで、多少の意味合いに違いは有っても、中国、ドイツ、朝鮮、イタリアなど相当数有るようです。 

日本の例・・・ 

郷に入りては郷に従え
【注釈】  『童子教』の「郷に入りては而ち郷に随い、俗に入りては而ち俗に随う」から。
「郷」とは、村里の意味。

【意味】  郷に入っては郷に従えとは、風俗や習慣はその土地によって違うから、新しい土地に来たら、その土地の風俗や習慣に従うべきだということ。また、ある組織に属したときは、その組織の規律に従うべきだということ。 
「郷に入りては郷に従う」「郷に入りては郷に従え」「郷に入っては郷に従う」ともいう。 
【出典】  『童子教』  ・・・注・平安時代の僧侶・安然(あんねん)が著した


中国の例・・・

南宋・普済『五灯会元・巻三十一・洪州大寧道寛禅師』が出典 

且道入郷随俗一句作麼生道。良久曰、西天梵語、此土唐言」 

 「『入郷随俗』とはどのような意味なのでしょうか?良久が言うには、仏法を述べるのに西方にあるインドでは梵語(サンスクリット語)を使い、私たちのいるここでは中国語を使う、ということなのだよ。」


 欧米の例・・・

【英語】  When in Rome do as the Romans do. (ローマにいるときにはローマ人がするようにせよ)
Every country has its law.(どの国にもそれぞれの法がある) 

 
【用例】  「自分の価値観とは違ったところがあったとしても、郷に入っては郷に従えで自分たちがこの町に合わせて規則を守っていくべきだ」 

 


 

 

  皆さん如何でしょうか。良く本土でも、ここ加計呂麻島の住民でも、一部の方達がしたり顔に軽く使っております。恐らくこの方達は故事来歴は知らぬと思います。大抵が耳学問であろうと思います。一般の方でも正直、これらの原典を知っている方は、かなり少ないと思います。

何れも各国同じような意味合いの言葉ではありますが、考えようによっては土地の人の我侭、保守性を隠す隠れ蓑の常套用語として使われていることが多いようです。爺の住む在所でもそうですが、離島に限らず、山間僻地に限らず、昔からの古い伝統を長らく持ち続けて来た土地には、この言葉を長らく使い続けてきた一群の人達が居るのです。その土地その土地には独特の伝統が伝承されているのですが、只管、形を変えぬように頑固なまでに、保持しようとする考えですね・・・・・

 

では、伝統というものの正体とは、本来どのようなものなのでしょうか。

 

                                      能楽 

 

 

 日本の芸術・芸能の世界には、これと表面的によく似た面がみられます・・・・・ 

 

 能狂言の世界では、能面というを千数百年来使い続けて来ております。面(おもて)が痛めばその面を本面として写しを打ち、只管そのを重んじて面を打ち、舞台で使い続けていく。 能の面に限らず、舞台の上での所作全てがその通りに伝承されていく・・・

しかし、演者や能面師は一見型に呪縛されているかのごとく外見的には見えても、実際は型の中にどれだけ自分の個性を精一杯表現出来るかが彼らの勝負所なのです。・・・・

浄瑠璃

 

お解りいただけますでしょうか。 歌舞伎でも浄瑠璃でも・・謡・落語・浪花節・民謡・・日本の伝統芸術の本質はここに有るのです。ですから千数百年もの間生き続けることが出来たのです。

 

この諺の持つ意味合いはそんなに難しいものでは有りませんし、高度な哲学性を持ったものでも有りませんが、とても怖い言葉でもあります

 

NHKのFM放送を聞きながら、このブログを書いておりましたら、能楽の狂言方の年若い修行者の話が聞こえてきました。

   「伝統芸術とは何ですか?」・・・・Q

          「形を変えて心を伝えるだと師匠から伺っております・・・A

 

爺の言うとおりの事・・・・グット・タイミングでした。  最近NHKも良くやるね(^-^)

 

次回は<ムラ社会>について、具体性を持った事例をご紹介してみましょう。  

 

   喫茶店でちょっと一服  

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                       株式市場の天気予報   

 9/26  14.760.07    39.05 ↓

 

 

 

 連日底堅く今週は蟹の横歩きをしました。8月下旬からの反騰相場が第1局面を終了して、中断保ちあいに入った週でした。悪材料も無く良い相場付きに成りました。理想的な教科書通りの動きです。この段階は戻り高値のあたりのヤレヤレ売りをどうしても浴びてしまいます。

止むを得ず売りで手仕舞わなければならない方達も居るのです。ここで戻り新値を取って来たら新たに買い付いて行くのが定石だと思います。ここで弱気で迷うようなら相場は触らないほうが良いと思います。下のチャートでも戻りで前の高値を取って来ていますから、2013.06月の戻り高値は必ず取りに来ます。消費税。法人税の問題が決着を見るころでしょう。結局。年末以降に20.000Pointを取らなければこの相場は終わりません。慣性が付くと相場は行くべき所まで行くのです。

 

 

 相場に元気が有りますし、安部内閣の信認が増しておりますし、取り巻きの閣僚が手堅いベテランぞろい。中国も韓国もこのところ手が外れてばかり。だんだん秋波を送り続けて居ります。先を読める政治家なら無理をしませんし、日本には手は出せません。相場はこれを既に読んでいると思います。ここは強気でどうでしょうか。・・・爺はそんな風に見えます。

日露の政治的な取引がどうなるかが面白いところですが、<引き分け>を何度も言うのは、一つのメッセージと素直に受け取った方が良いかなと思うんですが。プーチン氏は脇が深いから、ねっちりと寝技勝負で行くべきでしょうが、彼は既に腹は決めたと思いますよ。KGB出身にしてはスマートですね。頭も切れるし、決断力もある。これが最後の日露のチャンスではないでしょうか?

 

 政治は一歩先は闇ですから、確定的なことは言えませんが・・・・日本は政治経済的に転換点をハッキリ過ぎて来て、この辺りで上昇気流を掴んだと思います。それが長期チャートの月足にハッキリ出てきています。一度相場は尻(ケツ)を入れてたら最後、ちょっとやそっとでは相場は壊れません。途中の道中は相場の綾で、上下は有りましょうが、大勢上昇相場だと思います。

中国が日本に対して宣戦布告をして来たら、どうなるかは分りませんが<そりゃ、無理でしょう>。韓国は古代朝鮮の新羅の二の舞をする事に成るのかもしれません。親父さんが草葉の陰で泣いていると思いますよ。新羅は唐帝国に見捨てられたじゃありませんか。

                                     毛沢東主席

        

 

 中国が怒っているのは・・・毛沢東・周恩来VS田中角栄・大平正芳の、かの会談の密約らしきものを、反故にされたと思っているのではないのでしようか・・・事の真偽は分りませんがね。中国は面子を重んじる国ですから、そうそう信義に反する事を言い、行動する国ではないと思っております。今回の一連の尖閣の問題は、南シナ海とは同列に考えないほうが宜しいかも。

棚上げにする」ということで、双方が問題の先送りをして、後は双方尖閣諸島から手を引いて、ムニャ、ムニャにして欲しかったのでは・・周恩来氏はそう言っていた筈です。それは毛沢東氏の考えでも有りましょうから。 習主席はその辺りを十分理解をしていると思うのですが・・・・でも、既に4人は黄泉の人・・・法理論だけでは政治は動きません。世間には<なあ~ナア~の線>て有るじゃないですか。

これは爺の考えですが・・・あてにならない サワラ 

 

金融経済学入門講座 

 

 

 

昭和恐慌と金解禁 

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-007  

 


 

 昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇 

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件) 

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で否訣 

       1928年  張作霖爆殺事件 

             1929年 ニューヨーク株式市場大暴落・・・世界大恐慌

             1930年 昭和恐慌本格化す 

             濱口 雄幸狙撃さる 若槻礼次郎内閣成立

             陸軍中堅による三月事件

       1931年  満州事変勃発  犬養内閣成立 英国金本位制停止

             高橋 是清 大蔵大臣就任 金本位制停止 

                    


 

 ここ暫くの間、1920~30年代の日本の政治金融経済を書いてきました。当時の金融経済の状況は現在と比較して、より現在のアメリカの金融経済に酷似しているとしたら、いかが考えますでしょうか。少し当時の状況を書き出して見ましょう。

                                            ウオールマート

 

A・・企業が外部資金を調達する主たる場は株式市場である。・・間接金融

B・・株主の力は強力で高い配当を要求する・・・・シャンシャン株主総会は有り得ない

C・・労働市場は採用、解雇が頻繁に行なわれる・・・失業率25%

D・・貯蓄率が低く、消費が80%を占める・・・貧富の差が激しい

E・・企業経営は買収合戦が激しく、業績を上げなければ、即地位を追われる可能性がある

如何でしょうか。これは現在のアメリカの金融経済そのものです。しかし、これが1920年代の日本であるとしたら、なかなか納得できないと思いますが。

 

                  <丘を越えて>・・昭和~大正期・・Nikkei より

 

 日本型経済体制は前世紀から引き継がれて来たもので、日本の所謂、江戸時代からの古い商慣習や経済体制の伝統を引き継いで来た、と考えても無理からぬ所でしょう。しかし、現実は全く違っておりました。江戸時代は鎖国政策で出島でオランダからの文化が移入されていた事は確かですし、又、徳川幕府の末期はフランスからの文化文物を取り入れて居りました。いずれにしても、西欧の大陸文化が主流でした。以前にも書きましたが、法律はフランス、プロシャの法律を模範としたものであり、会計学は大陸系の静態会計学です。

山口、鹿児島県(長州・薩摩)などには、英国などの強い影響が有ったことですから、英米法の影響が強かったと考えられます。ペリー来航で日本も大きく開港を迫られ、日本からも数々の方が渡米しました。明治政府は長州・薩摩の影響が強かったのですから、日本の経済構造が英米の経済構造に似てきたのは、当然の事かもしれません。

 

                            オランダ商館・長崎出島

 

このような事から、1920代の日本の経済構造がミニアメリカであっても、不思議ではない訳です。しかし、打ち続く経済不況によって、政財界、思想界、軍関係などから、疑問の声が上がってくるようになりました。

アダムスミスの自由主義経済には根本的な欠陥が有るのではないか・・と言う事です。折りしも、隣国の社会主義体制国家・・マルクス/レーニン主義に基づく経済政策が大きな不況にも見舞われる事なく、順調に伸びている事への憧れが有った事は事実です。

中国大陸は日清、日露戦争後混迷を極め、大陸の列強が中国大陸に進出し、上海などは租界と成っておりました。 列強諸国の草刈場であったのです。香港、マカオは最近になって中国に返還されましたが、これなどはその象徴的な事実です。しかしながら、現中国政府は当時の列強に対して<歴史認識云々、損害賠償>すら言いませんね。我が国には大変な剣幕で、有りもしない領土的野心を尖閣諸島に向けて来ておりますが・・・

マカオ                 

 

内容的には既に記述している事と重複はしておりますが、アウトラインを思い描いていただければ結構です。・・・・

このような時代背景から、自由主義的経済体制では上手く行かない → 計画経済体制の導入への経済思想にだんだんなって行ったのです。 官界において実質的に中堅に位置づけられた方達が、朝鮮半島、満州でこの計画経済の実験を試みようとしていたのも事実です。官界だけでなく、旧財閥に対する新興財閥・・日産グループ・・などが、それらに呼応して満州に眼を向けたのも事実です。しかし、旧財閥は太平洋戦争以降は積極的でしたが、この当たりは寧ろセーブしておりました。

満州国

 

二大政党が合い争っていった政治体制の中で、昭和恐慌が日本経済を蝕み始め、アメリカ型経済体制に疑問が発生し始め、農家の主力産業・米価の大暴落が社会不安を醸成し、これが農家から出征した新兵に対する同情心から、軍の仕官層に政財界に対する不満が大きく鬱積するようなって来た・・・・この辺りが陸軍が朝鮮・満州に活路を求め、それに財界の一部が付いて行くという形になった・・・・陸軍の単なる独走ではないと言う事になります。これが歴史の真実でしょう。

教科書的には<陸軍が勝手に独走し、政界がこれを制御出来なかった>と記述されておりますが、この当たりは不正確ですし、ハッキリ言って間違いで、政治力の不甲斐なさではないでしょうか。これには二人の政治家が大きく関わっているように思えてなりません。

 

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  以前からこのシリーズをお読みいただいている方は、気が付いていた事と思いますが・・・・文章が途中で何時も時々、昭和末期から平成初期の経済恐慌に戻ることを・・・・皆さんも先刻お解りの通り、このシリーズの主眼は<昭和経済史>でなく、別な所にあるのです。「失われた15or20年の真実」とは何か? 最近日本経済新聞にも外国のジャーナリストなどが、この事について投稿するようになりました。外国人の方が立場上鋭く切り込んでいるようにも思えます。それはそれとして、この時代を実際に生きてきた我々は、新たな眼で、教科書や参考書に余り依拠することなく、現実の事実を証拠として採用し、より客観的に考えてみたいと思います。我々その者が時代の生き証人なのですから。

 

 

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 それでは、次回は今回に引き続いて、第二次世界大戦という大陥穽に落ち込んでいく、主要な要因<戦時経済体制>について書いてみて、その後少し戻って本論である所の<金本位制、金解禁、再禁止>について書いてみましょう。 

 

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