金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

靖国の夏-政教分離とは何なのか

2006年06月28日 | 政治

梅雨の一休みで暑くなってきた。暑い夏が来ると小泉首相の靖国神社参拝問題でマスコミが賑わってくる。その前に少し落ち着いて靖国神社問題を自分なりに考えてみたいという気持ちになった。まずは政教分離ということについてである。

政教分離という概念は終戦後現在の憲法が制定される時に立法化されたものである。戦前に「政教分離」という主張が全くなかったとは言わないが、少なくとも現在の憲法制定に具体的な影響は与えていない。信仰の自由と政教分離を定めた憲法20条は、軍国主義とその精神的支柱となる国家神道の復活を恐れた進駐軍が草案したものである。

政教分離について憲法20条第1項後段で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 」第3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定する。

ところが進駐軍によりアメリカから輸入された政教分離だが英語ではSeparation of Church and State であり Separation of Religion and Stateではないということは良く言われていることだ。このことを持ってアメリカでは政教分離とは「キリスト教の特定の宗派・教会と国家の分離」 を意味するが、「キリスト教と国家の分離」を意味するものではないと言う人がいる。私はこの意見をかなり的を得ているとは思うが、全面的に正しいと断言するには少し判断材料が不足している。というのはChurchで宗教を代表させているという意見もあるからだ。またアメリカの政教分離は1791年の合衆国憲法修正第1条で「連邦議会は国教の樹立を規定し、もしくは信教の自由な行動を禁止する法律を制定することはできない」と規定されたことによるが、その具体的な適用については多くの判例がある。ただアメリカの政教分離が国教制度がもたらした不寛容さに対する抵抗の結果得られたものだという歴史的背景は認識しておく必要がある。

なお連邦最高裁の判決の内、政府と宗教の係わり合いについて述べた重要な判決がある。それは1971年のLemon V. Kurtzman判決で要点は以下のとおりだ。

  • 政府の活動は世俗的(非宗教的)目的を持つものでなくてはいけない。the government action must have a secular purpose。
  • 政府の主な目的が宗教を禁止したり、助長するものであってはならない。 its primary purpose must not be to inhibit or to advance religion
  • 政府と宗教の過度の係わり合いがあってはならない。

ところで憲法にしろその下位規定である法律にしろ、その国で暮らす国民の利益や利便性のために存在するもののはずだ。憲法や法律に現実の生活が縛られて窮屈な思いをしているというのでは本末転倒も甚だしい。また本来法というものは、それに先行する歴史的事実や概念の積み重ねが成文化されるものであり、国民の生活や意識とかけ離れて存在するものではない。確かに日本の軍国主義を根絶するためには、歴史のある時期憲法20条の厳密解釈が必要だったかもしれないが、時代とともに弾力的に対応するべきものだろう。

この様に考える時、一国の首相が国のために殉難した戦士の霊に哀悼の意を表することは、宗教的活動というよりは極めて当たり前の国民的行為というべきであろう。

従って首相の靖国神社参拝問題を解決するのであれば、判例でも特別立法でも良いが「首相が戦争で殉難した戦士を慰霊する行為は宗教的活動ではない」と言い切ってしまえば良いのである。それ自体政教分離の卸元である米国の判例からみてなんらおかしいことではないだろう。

だが日本において政教分離を論じる時、踏まえておかないといけない問題は「靖国神社の本質は何だったのか?」という問題である。この問題を外れて観念的な政教分離を論じても意味はない。これについては別のブログで論じる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三菱UFJ、米国本格進出の野望

2006年06月28日 | 金融

私事であるが、今月から地域金融研究所というところが発行するNew Financeという月刊誌に寄稿することになった。来月の原稿は「何故日本は金融でアメリカに勝てないのか?」という表題で既に出版社に渡してしまったが、ひょっとすると何時かこの表題をひっくり返す様な話を米国経済紙で読んだ。

ウオール・ストリート・ジャーナル紙によれば、三菱東京が米国で「金融持ち株会社」を設立する件で米国連銀と話をしているということだ。三菱東京はニューヨークやロスアンゼルスに支店を持っているし、ユニオンバンカルというサンフランシスコの銀行の62%の株式も保有している。つまり既に相応のオペレーションを米国で行なっている訳だが、「金融持ち株会社」を設立することで米国で証券や保険の引受業務、保険の販売、投資銀行業務をやろうという訳だ。この影響については別途コメントするとしてウオール・ストリート・ジャーナル紙のポイントを紹介しよう。

  • 米国で持ち株会社を設立しようという意思決定は、三菱東京・UFJ合併後1年も経たない内に行なわれた。畔柳頭取は米国での業務拡大により三菱UFJを世界でもっとも収益力のある銀行の一つにしようと計画している。
  • 今月三菱UFJは、日本のメガバンクの中で真っ先に公的資金を完済して、米国とその他海外での金融面の自由度を高めた。
  • 同行は前年度約1兆円の営業利益を上げているが、その11.5%は米国とカナダから得ている。
  • これについて連銀はコメントを控えている。米国で外国銀行が「金融持ち株会社」を設立するには連銀に対して銀行とその子会社が米国の銀行が求められる水準で「十分に資本力があること」Well capitalized と「良く管理・統制されていること」Well managedを証明しなければならない。

以上が記事のポイントだ。まず三菱UFJの心意気を賞賛したい。連銀が直ちに「持ち株会社」を認めるかどうか分からないが、米国で認められるとそれこそ世界のトップクラスの金融コングロマリットとして認められたことになるので、是非頑張ってもらいたい。

もし「持ち株会社」が認められたなら、現地化や企業統治・リスク管理を徹底して行い持続的に利益を上げてもらいたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする