今日はポジティブ・シンキングを考えましょう。といっても、それと私の暗示学とがどういう関係にあるかということなんですが。
「暗示学とポジティブ・シンキング」
ポジティブ・シンキングという言葉はよく知られております。要するに、コップに水が半分入っているとき、「まだ半分残っている」とみるか「もう半分しかない」とみるか、というようなことです。
事象はひとつなのに、物事の見方は様々あります。そこで、ポジティブな方に目を向けて行動しなさい、というようなことでしょう。
このポジティブ・シンキングを、私は暗示の基本型の一つとして取り上げています。しかし、これはどちらかというと自分にかける暗示として有用だと思っています。
というのは、人に暗示をかける以上、自分も常に肯定的な見方ができないと、人を動かせないと思うからです。
ですから、なにかあるたびに自分をほめるとよいのです。特に苦しいときや失敗したときですね。こんな具合に、しょっちゅうやるとよいでしょう。
「こんなに苦しい状況なのに、俺はよくがんばっていられるものだ」
「あんなにひどく上司に怒られても、俺は平気でいられる。これは相当人間ができてきた証拠だ」
しかし、ポジティブ・シンキングというのは、私の『リーダーの暗示学』においては、ひとつのパターンでしかありません。
ポジティブ・シンキングの使い勝手の悪さというのは、こういう発想をとれる人は少ないということです。
日ごろから訓練している人ならできるでしょう。また、調子のいいときなら、誰だってできます。ところが、調子がものすごく悪くなると、たいていの人はできなくなると思います。これでは、いざというとき使えません。そこが難しいところです。
「観念を切り替える」
暗示というのは、要するに否定的な観念を変えるということなんですね。ポジティブ・シンキングの目的だって同じです。
観念というのは、日ごろ抱いているイメージのこと。「どうも、あの人は苦手だ」「あの種の仕事は苦手だ」といった、消極的な観念をみなさんなにがしかおもちでしょう。それを切り替えるのです。
ポジティブ・シンキングでは、それを別の見方にする。
「あの人は嫌味だが、仕事は頼めばきっちりやってくれる」といった具合にイメージを変えるわけです。
「今日の仕事は失敗したが、得るものは大きかった。いつかはこの経験が役に立つ」とか。
小倉久寛さんという役者がおりますが、このかたは三宅 裕司さんの劇団仲間です。この小倉さんが新聞にコラムを書いていました。たしかこんな内容でした。
小倉さんがまだ売れていない若いころの話です。劇団員にアルバイトの仕事が入ってきました。どこかの企業コマーシャルで、サラリーマンの役だったそうな。
ところが、サラリーマンのことを知らないのか、小倉さんは全然うまくできず、仕事を首になってしまったそうです。さあ、困った。劇団にも迷惑がかかる。小倉さんは頭を抱えてしまいました。
すると、三宅さんが言ったそうです。
「小さな仕事のうちに失敗してよかったな。これが大きな仕事だったらたいへんだった」
この言葉を聞いて、小倉さんはすっかり気が楽になり、そう言ってくれた三宅さんにたいへん感謝したそうです。
三宅さんの言葉というのはポジティブ・シンキングなのですが、架空の事象との比較ともいえますね。まだ、劇団が成功するかどうかわからず、大きな仕事が将来来るという保証なんかないのですからね。しかし、これを聞いて小倉さんはすごく気が楽になった。このあたり、言葉のセンス、人間の心に対するセンスが必要でしょうね。
補足説明をすると、小倉さんは劇団が将来大きくなって成功することを希望し夢見ている。そういう潜在心理と、三宅さんの「大きな仕事だったらたいへんだった」というのが、ものすごく親和性が高かったわけです。それで小倉さん(の潜在意識)は、三宅さんの言葉をすんなり受け入れてしまったのです。
架空の大きな出来事と比較するのは、結構よくある手かもしれません。悪人が人を脅すときはよくこうやって脅かす。
ヤクザが島帰りの職人を土蔵破りに引き入れようとします。しかし、職人は改心していてのってこない。すると、ヤクザの親分はこう言う。
「お前さんには、きれいな女房とかわいい息子がいたな。お前も家族が元気で暮らすことを望んでいるよな……」
いや、ぞっとします。こういうのはあまりよい例ではなかったが、まあ、同じような架空の出来事を空想させるパターンとも言えるわけです。
さて、拙著『リーダーの暗示学』では、こういう天才的なことはちょっと脇においておきます。そのかわり、相手が抱いているイメージと違うものを探そうとします。
小倉さんのケースであれば、彼はもうダメだと思っているわけですが、そうでない事実をひとつみつければいいのです。
「今までにうまくいった例だってあるから、それをもっとやってみよう」というような言い方です。
こちらの方が、実際には応用は広いように思います。これは私が最もお薦めする暗示基本型です。初心の人はこっちから始めて、そのうち三宅さんのような飛躍した発想ができるようになるといいと思いますね。
「暗示学とポジティブ・シンキング」
ポジティブ・シンキングという言葉はよく知られております。要するに、コップに水が半分入っているとき、「まだ半分残っている」とみるか「もう半分しかない」とみるか、というようなことです。
事象はひとつなのに、物事の見方は様々あります。そこで、ポジティブな方に目を向けて行動しなさい、というようなことでしょう。
このポジティブ・シンキングを、私は暗示の基本型の一つとして取り上げています。しかし、これはどちらかというと自分にかける暗示として有用だと思っています。
というのは、人に暗示をかける以上、自分も常に肯定的な見方ができないと、人を動かせないと思うからです。
ですから、なにかあるたびに自分をほめるとよいのです。特に苦しいときや失敗したときですね。こんな具合に、しょっちゅうやるとよいでしょう。
「こんなに苦しい状況なのに、俺はよくがんばっていられるものだ」
「あんなにひどく上司に怒られても、俺は平気でいられる。これは相当人間ができてきた証拠だ」
しかし、ポジティブ・シンキングというのは、私の『リーダーの暗示学』においては、ひとつのパターンでしかありません。
ポジティブ・シンキングの使い勝手の悪さというのは、こういう発想をとれる人は少ないということです。
日ごろから訓練している人ならできるでしょう。また、調子のいいときなら、誰だってできます。ところが、調子がものすごく悪くなると、たいていの人はできなくなると思います。これでは、いざというとき使えません。そこが難しいところです。
「観念を切り替える」
暗示というのは、要するに否定的な観念を変えるということなんですね。ポジティブ・シンキングの目的だって同じです。
観念というのは、日ごろ抱いているイメージのこと。「どうも、あの人は苦手だ」「あの種の仕事は苦手だ」といった、消極的な観念をみなさんなにがしかおもちでしょう。それを切り替えるのです。
ポジティブ・シンキングでは、それを別の見方にする。
「あの人は嫌味だが、仕事は頼めばきっちりやってくれる」といった具合にイメージを変えるわけです。
「今日の仕事は失敗したが、得るものは大きかった。いつかはこの経験が役に立つ」とか。
小倉久寛さんという役者がおりますが、このかたは三宅 裕司さんの劇団仲間です。この小倉さんが新聞にコラムを書いていました。たしかこんな内容でした。
小倉さんがまだ売れていない若いころの話です。劇団員にアルバイトの仕事が入ってきました。どこかの企業コマーシャルで、サラリーマンの役だったそうな。
ところが、サラリーマンのことを知らないのか、小倉さんは全然うまくできず、仕事を首になってしまったそうです。さあ、困った。劇団にも迷惑がかかる。小倉さんは頭を抱えてしまいました。
すると、三宅さんが言ったそうです。
「小さな仕事のうちに失敗してよかったな。これが大きな仕事だったらたいへんだった」
この言葉を聞いて、小倉さんはすっかり気が楽になり、そう言ってくれた三宅さんにたいへん感謝したそうです。
三宅さんの言葉というのはポジティブ・シンキングなのですが、架空の事象との比較ともいえますね。まだ、劇団が成功するかどうかわからず、大きな仕事が将来来るという保証なんかないのですからね。しかし、これを聞いて小倉さんはすごく気が楽になった。このあたり、言葉のセンス、人間の心に対するセンスが必要でしょうね。
補足説明をすると、小倉さんは劇団が将来大きくなって成功することを希望し夢見ている。そういう潜在心理と、三宅さんの「大きな仕事だったらたいへんだった」というのが、ものすごく親和性が高かったわけです。それで小倉さん(の潜在意識)は、三宅さんの言葉をすんなり受け入れてしまったのです。
架空の大きな出来事と比較するのは、結構よくある手かもしれません。悪人が人を脅すときはよくこうやって脅かす。
ヤクザが島帰りの職人を土蔵破りに引き入れようとします。しかし、職人は改心していてのってこない。すると、ヤクザの親分はこう言う。
「お前さんには、きれいな女房とかわいい息子がいたな。お前も家族が元気で暮らすことを望んでいるよな……」
いや、ぞっとします。こういうのはあまりよい例ではなかったが、まあ、同じような架空の出来事を空想させるパターンとも言えるわけです。
さて、拙著『リーダーの暗示学』では、こういう天才的なことはちょっと脇においておきます。そのかわり、相手が抱いているイメージと違うものを探そうとします。
小倉さんのケースであれば、彼はもうダメだと思っているわけですが、そうでない事実をひとつみつければいいのです。
「今までにうまくいった例だってあるから、それをもっとやってみよう」というような言い方です。
こちらの方が、実際には応用は広いように思います。これは私が最もお薦めする暗示基本型です。初心の人はこっちから始めて、そのうち三宅さんのような飛躍した発想ができるようになるといいと思いますね。