S嬢のPC日記

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教育関連のDMから

2006年07月22日 | 「障害」に関わること
 娘宛てにくる教育関連のDM。乳児期があけた途端くらいに始まった。カワイ・ヤマハ、ベネッセの幼児通信教育は娘の対象年齢の少し後に始まったはず。小学校に入学すればお勉強関連が増え、小学校の高学年くらいから「中学受験」だの「中学進学準備」だのといったキャッチコピーと共に量が増える。中学に入れば「初めての定期試験」だの「高校受験」だのといってまた増え続ける。さて中三。中三にもなれば少しずつ減ってきたように思うけれど、ここに来て増えているDM、「国際留学」「海外留学」。すっごいなあ。やれるもんならやってみろ、という感覚少し。

 いや、アメリカだの北欧だのといったところの障害児教育を体験、なんていう海外留学もあってもいいんじゃないか、と、ふと思う。ふと思って、そうだそうだと検索。

 障害者の海外留学、日本の障害者運動を支えてきた歴史のある「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」。ここでは確か、知的障害の方も数年前から対象に入っていたはず。

 数年前? バカいっちゃいけませんね、最初は’92年。もう10年以上も前なんだな。(ダスキン愛の輪運動ヒストリー

 知的障害者としてこの留学に参加する25期生の面々26期生の面々なんぞを頼もしく閲覧。

 ここにたどりつくまでに大きく貢献してきたのは、やっぱり社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会本人活動だと思う。
我が子に本人活動のリーダーになれるほどの資質が無いなんて嘆くなかれ。我が子の知的障害がある日突然消えるような奇蹟を望むよりも、同様の立場をもつ人の声が聞けることのことの方が、余程現実的で明解。

 娘に関して初めてきた教育関連のDMはカワイ音楽教室。広告パンフの「電車ごっこをしながら走る子どもの姿」の写真を眺め、右から左にゴミ箱に放り投げた当時のわたし。当時の娘はやっと座位が定着してきた頃で、立つも歩くもまだその発達が視野に見えてはいない頃だった。

 数分後だったか数時間後だったか忘れたが、(いや待てよ)と、一度捨てた広告を拾い上げる。母子分離ではない、そばにわたしが同席できる。いけるかも、と、体験日をチェックして参加。

 参加してみれば、母親にへばりつく幼児たちの中で、医療や療育等ですでに集団に場慣れしている娘が一番積極参加。なんのことはない、子どもを歩かせて参加させるシーンでは、わたしが抱いて動けばいい、たったそれだけのこと。「支援付きの参加で可能なことがある」ということを身をもって体験したのは、多分このときが初めてのこと。特になんてこともなく、入会、参加。楽しかった日々。

 そうか、と思い、ベネッセの幼児通信教育のDMに問い合わせ。事情を話して一年下げたDMを送ってもらう。送付されたものを検討、いえこれでもまだまだと、結局対象年齢を3歳下げる。よくできた内容だと、娘を見ながら実感したことを思い出す。

 たかがDM、されどDM。平等に営業されることにちょっとため息をつきたくなることもあるけれど、そこから見えるもの、拾えるものもたくさんあるよな、と、思い出含め、改めて実感。

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