朝、歩く道でございます。
13歳知的障害児の通学を送った帰りに、
歩く道でございます。
自宅から最寄り駅まで、徒歩25分でございます。
バス停は遠いので、もっぱら歩いております。
自宅-駅間で、使うルートはいろいろありますが、
子どもを連れず、単独歩行の場合は、
もっぱら、この道を使っております。
(箱根駅伝の復路です)
理由は、
「人がいないから」でございます。
耳には必ず、音楽でございます。
MP3プレイヤーで、がんがん、でございます。
で、
「歩きながら、音楽に合わせてステップ踏む」には、
最適の、「ほぼ無人」の道でございます。
耳に響く音楽に合わせて、
「ショー的歩行」をしたくなるのを、ぐっと押さえております。
前、前、前、後ろ、後ろ、前、前、とか、
右斜め前ツーステップ、左斜め前ツーステップ、
後ろ、後ろ、前、前、とかね。
やりませんよ、やりません。
人がいなくても、車がね、いますから、
車からね、見えますから。
だから、ちょびっと
跳ね気味に歩く、程度でございますな。
つまりね、
踊りたくなりますな。
でも、自分、
「うまいヤツ」ではありませんわな、
好きだけど。
たいしてうまくもないけれど、
自分の世代の感覚では、
若者にとって、「踊り」というものが、
ずっと長いこと「遊び」の大切な要素では
ありましたな。
自分の前の世代には「ゴーゴークラブ」がありましたし、
’70年代、’80年代と、
ディスコというのは、「普通の若者」にとっても、
ポピュラーな遊びではありましたな。
学祭でディスコってのも、
よくあったのではないかと思いますな。
そういえば、
友達の両親で、
「大学のダンパで知り合った」なんてのが、
何組か、いたなあと。
’70年代に’50年代が流行って、
フィフティーズ・ファッションってヤツで、
「母親が昔ダンパで着た服を着て、ディスコに行く」
なんてのもあったなあと。
東京在住のちょっと裕福な昭和一ケタ世代ってのの青春の話、
って思ったなあと。
映画の世界みたい。
’70年代後半から’80年代というものは、
カラオケは、
「おねえちゃんのいるスナック」でやるのが一般的でしたな。
’80年代半ばくらいから、
若者向けの「ステージパブ」も増えましたが、
いわゆる「酒とセット」のものでありましたな。
カラオケルームを見ていると、
いい若いモンが椅子に座り込んで、
マイク持って歌ってるのは、
なんか、娯楽がオヤジ的だ
とも、思うのは、
多分、世代感を引きずってるんでしょう。
なんというか、
若きゃ、踊れよ
と思うのは、
もう、年輩者のタワゴトなんでございましょうか。
ディスコ・ミュージックで踊り出す、
ウチのガキ二人連れて、ディスコ行きて~~~~。
「クラブ」ってのは、なんか敷居が高いし。
懐かしいなあ、若い庶民の娯楽のディスコ。。。
で、
ウチでは、時々、
思い出したように、ダンレボ。
もちろん、母も、跳ねまくり。
10歳息子、メチャうま。
13歳知的障害児の通学を送った帰りに、
歩く道でございます。
自宅から最寄り駅まで、徒歩25分でございます。
バス停は遠いので、もっぱら歩いております。
自宅-駅間で、使うルートはいろいろありますが、
子どもを連れず、単独歩行の場合は、
もっぱら、この道を使っております。
(箱根駅伝の復路です)
理由は、
「人がいないから」でございます。
耳には必ず、音楽でございます。
MP3プレイヤーで、がんがん、でございます。
で、
「歩きながら、音楽に合わせてステップ踏む」には、
最適の、「ほぼ無人」の道でございます。
耳に響く音楽に合わせて、
「ショー的歩行」をしたくなるのを、ぐっと押さえております。
前、前、前、後ろ、後ろ、前、前、とか、
右斜め前ツーステップ、左斜め前ツーステップ、
後ろ、後ろ、前、前、とかね。
やりませんよ、やりません。
人がいなくても、車がね、いますから、
車からね、見えますから。
だから、ちょびっと
跳ね気味に歩く、程度でございますな。
つまりね、
踊りたくなりますな。
でも、自分、
「うまいヤツ」ではありませんわな、
好きだけど。
たいしてうまくもないけれど、
自分の世代の感覚では、
若者にとって、「踊り」というものが、
ずっと長いこと「遊び」の大切な要素では
ありましたな。
自分の前の世代には「ゴーゴークラブ」がありましたし、
’70年代、’80年代と、
ディスコというのは、「普通の若者」にとっても、
ポピュラーな遊びではありましたな。
学祭でディスコってのも、
よくあったのではないかと思いますな。
そういえば、
友達の両親で、
「大学のダンパで知り合った」なんてのが、
何組か、いたなあと。
’70年代に’50年代が流行って、
フィフティーズ・ファッションってヤツで、
「母親が昔ダンパで着た服を着て、ディスコに行く」
なんてのもあったなあと。
東京在住のちょっと裕福な昭和一ケタ世代ってのの青春の話、
って思ったなあと。
映画の世界みたい。
’70年代後半から’80年代というものは、
カラオケは、
「おねえちゃんのいるスナック」でやるのが一般的でしたな。
’80年代半ばくらいから、
若者向けの「ステージパブ」も増えましたが、
いわゆる「酒とセット」のものでありましたな。
カラオケルームを見ていると、
いい若いモンが椅子に座り込んで、
マイク持って歌ってるのは、
なんか、娯楽がオヤジ的だ
とも、思うのは、
多分、世代感を引きずってるんでしょう。
なんというか、
若きゃ、踊れよ
と思うのは、
もう、年輩者のタワゴトなんでございましょうか。
ディスコ・ミュージックで踊り出す、
ウチのガキ二人連れて、ディスコ行きて~~~~。
「クラブ」ってのは、なんか敷居が高いし。
懐かしいなあ、若い庶民の娯楽のディスコ。。。
で、
ウチでは、時々、
思い出したように、ダンレボ。
もちろん、母も、跳ねまくり。
10歳息子、メチャうま。
ところでこの写真なんか見覚えがありそうなところ???
若きゃ、踊ってたよねえ、みんな。
ダンレボはさ、’70年代ディスコソングも入ってて、
なんか、すごい楽しいよ。
うちは、旧版しかないけどね、
PS2前の。
写真の道?
じゅん吉兄がいた「横浜」とは、
ちょっと地域違うんじゃないかとは思うんだけど。
えっとね、この先で道が二手に分かれて、
右に行く道が、横浜新道、
左に行く道をまっすぐ行くと、不動坂。
西武とダイエーがでっかいビル建てて、
高層マンション群もすごいモン。
姑、「あの辺はみんな山だった」が口癖。
ちなみに、うちは、
横浜新道と一国が合流するとこのソバよ。
この写真の道路作るのに、
吉田首相に二束三文で土地取り上げられた地主の一人だね、
ご先祖。
大学1年の時は、桜ヶ丘の4畳半一間のアパートに住んでいたよ。忘れもしない落とし便所。。
多分、その頃と、ほとんど変わってないかもね。
ただ、マンションは増えたと思う。
戸数の多いやつね。
東戸塚は、名瀬とか平戸あたりだと、
同じ感じかもしれない。
まあ、マンションはやっぱり多いと思うけど。
東戸塚駅付近の変貌。
http://www.e-totsuka.com/aurora/