これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

長崎で一番大事な場所

2017年01月15日 21時18分34秒 | エッセイ
 美味しい長崎、楽しい長崎。
 それだけで終わってはいけない。長崎に来た理由のひとつは、原爆投下後の惨状を、娘に伝えなければいけないと思っていたからだ。
「原爆? 中学のときに、社会科見学で第五福竜丸を見に行って、核兵器の怖さは勉強したよ。あんな感じかな」
「亡くなった人の数がけた違いに多いから、またちょっと違うけどね」
「ふーん」
 まずは平和公園。



 日本人よりも、外国人のほうが多いかもしれない。これからも、世界中からたくさんの人が見に来てくれればいいのだが。



 公園の奥には有名な像が鎮座する。高く上げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は世界の平和を示し、静かに閉じた両目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。



 次は原爆資料館。



 入口付近に2匹の子猫がちょこんと座っており、入館者に構ってもらいたいようだった。



「お腹すいた」
「終わったらね」
 ちょうど昼時ということもあり、娘が空腹を訴えてきたが、一時間ほどで終わるだろうと見込んで中に入る。一番見てほしい場所なのに、こちらは外国人が少ないのが残念だ。
 冒頭は、原爆投下前の長崎と、投下後の長崎の比較である。黒くすすけた鉄骨が、不自然な場所から曲がり、爆心地に近い浦上天主堂は屋根や壁まで吹き飛ばされていた。首のないキリスト像が痛々しくて、思わず目をそらす。
 娘は私以上に驚いていた。
「何これ。何でこんなになっちゃうの。あの写真、真っ黒になった人間じゃない? 手とか足があるよ」
 答えは次の展示室でわかる。原爆は地上500メートルの高さで爆発し、建物をメチャクチャに破壊する爆風、2500度もの高温となる熱風、がんや白内障、白血病などを引き起こす放射線がさく裂した。爆心地から1km以内では、致死率100%といった恐ろしい数字が心に突き刺さる。
 高温で泡立つ瓦、溶けて固まった瓶、黒焦げになった弁当箱など、通常では考えられない惨状の証拠物件が残っていた。
「ひどいねぇ、信じられないよ。そりゃ、たくさん人が死ぬわけだわ」
 娘がときおり話しかけてくるが、予想を遥かに超えた衝撃に、上手く言葉にならないようだ。原爆での死者は、投下後の12月までで73884人、負傷者は74909人もいたそうだ。当時の人口が約24万人だから、無事な人の方が少ない。
 火傷で耳を失い、穴だけが残った少年や、荷車の下敷きになって息絶えた馬の写真には、ことさら胸が苦しくなった。たった一発の爆弾が、多くの人生を狂わせたのだ。
 出口付近には、核兵器廃絶に向けた展示があった。兵器だけでなく、私は原発も必要ないと思う。経済の発展や生活の利便性よりも、安全に暮らすことのほうがずっとずっと大事だ。
 結局、2時間近くいただろうか。
「お腹は、もうどうでもよくなった……」
 娘がフラフラと、出口に向かって歩き始めた。こちらの肌までピリピリするような悲惨さを、しっかりと受け止めてくれたようだ。若い世代にこそ、知っておいてもらいたい。
 最後に爆心地へ向かう。



 ここには、浦上天主堂の柱が残されていた。



 投下後の写真は、無残極まりない姿である。



 心の拠り所が突然破壊され、信者の方々はさぞ心細い思いをされたことだろう。
 今は、ただただ、世界の平和を祈るばかり……。


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コメント (10)
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