異常な低金利、大手金融機関の投資、投資による利益追求、バブル、国家財政の破綻、赤字などが経済学者、イギリスのFTなどの主張として現れています。富裕層、金融機関、大資本、支配層がどのようなことを考え、何をしようとするのかが垣間見える分析です。水野教授の分析は、新自由主義経済、利益至上主義、資本主義の矛盾と閉塞感が頂点に達しようとしていることを示しています。
<日本大学教授水野和夫氏分析>
資本主義は死に近づいているのではないか。最新著(「資本主義の終焉と歴史の危機」=集英社新書)で、こう問いかけるのは、元三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフエコノミスト水野和夫氏だ。バリバリの金融マンとして活躍、その後、内閣審議官(国家戦略室)などを歴任し、大学教授へ。現場、統計、理論を知り尽くしている人の発言だけに重い。資本主義の死とは何を意味するのか。だとすると、アベノミクスとは何なのか。
―まず、資本主義の死とは、どういう意味なのでしょうか?
投下した資本が自己増殖していくのが資本主義のメカニズムですが、いまや、資本を投下しても利潤を生み出さない時代。資本主義の死期に突入しています。なかでも日本は最終局面を迎えています。なぜなら、利潤率とほぼ一致する10年国債の利回りがほぼゼロ。ゼロ金利が20年近く続くのは世界史上初のことです。他の先進国でも「日本化」は進み、英米独の国債利回りも超低金利現象を起こしています。つまり、資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしているのです。
いまや利潤を得られるフロンティアはどこにもない
―ちょっと待ってください。世間はアベノミクスで景気が良くなったと浮かれていますよ。
株価が上がったという事実だけで、アベノミクスが成功していると考えるのは誤りです。実体経済での需要がなくなり利潤が出ない状況なのに、無理やり株価だけをつり上げている。米のサマーズ元財務長官は「バブルは3年に一度、生成し、はじける」と言っていますが、バブルで得をするのは金融資産をうまく運用できる一握りの富裕層だけです。バブル期には設備投資や雇用は膨らみますが、バブルが崩壊すれば、設備は一気に過剰となり、人々はリストラにあいます。つまり、バブル崩壊のツケを払わされるのは、99%の私たちです。アベノミクスに限らず、経済が永遠に成長を続けるという「成長教」の誤りにそろそろ気づかなければなりません。
―成長ができないというのは、新たな市場=需要がもう見当たらないからですか?
その通りです。資本主義は常に「中心」が「周辺」というフロンティアを広げることで、利潤を上げてきました。かつては北の先進国が「中心」で、南の途上国が「周辺」でした。しかし、「アフリカのグローバル化」が叫ばれる今、さらなる地理的フロンティアは残っていません。もはや実体経済において投資をして利潤を得られるフロンティアがないため、資本の側は利潤を得る先を実体経済から金融経済にシフトしました。世界中からマネーを集めて1万分の1秒単位で投資し、利潤を求めるようになったのです。
しかし、金融資本主義はバブルの生成と崩壊を繰り返し、99%の人々を苦しめるだけです。銀行が破綻すれば、その救済に巨額の公的資金が使われる。人々から広く重く税金を取り、生き残った人々の富を増やしていく。一体、何のための資本主義なのでしょう? 投資する意義は何なのか。それを問わねばいけないと思います。
■国債金利2%割れという異常事態
―資本主義の限界に気づいたのはいつごろですか? どういう兆候があったのでしょうか?
おかしいと最初に感じたのは、10年国債の利回りが2%を下回った1997年です。その後、ITバブルが起きても、小泉政権で戦後最長の成長を経験しても、利回りは2%を超えません。国債金利≒資本利潤率ですから、従来の景気循環と異なる資本主義の死期に突入したと感じたのです。それで世界の金利の歴史を調べると、17世紀のイタリアのジェノバでも超低金利現象があり、11年間にわたって金利2%を下回る時代が続いていました。この時のジェノバは山のてっぺんまで先端産業であるワイン製造のためのブドウ畑になっていた。つまり利潤が得られるような投資が隅々まで行き渡ってしまった現代と同じように、フロンティアがなくなっていたのです。
<F.T.記事>
実質金利がこれほど低いのは一体なぜなのだろう。この低金利はまだしばらく続くのだろうか。もしそうなら――実際そうなる可能性はありそうだ――、その影響は大きなものになるだろう。資金の借り手には良い話だが、貸し手には悪い話であり、特に世界経済の需要の活気にとっては心配な事態が予想される。
国際通貨基金(IMF)による最新の「世界経済見通し(WEO)」には、世界の実質金利に関する非常に興味深い議論が収められている。その最も重要なポイントは以下の通りだ。
世界的に低い実質金利をどう解釈するか
第1に、グローバル化は金融も統合した。かつては、実質金利は国によって大きく異なっていたが、今やそうではない。どの国の金利も同じ事象に反応しているからだ。
第2に、実質金利――つまり、インフレ調整後の金利――は1980年代からずっと低下している。今では期間10年の金利はゼロに近く、短期金利はマイナスになっている。ところが実質ベースの期待自己資本利益率(期待ROE、ここでは配当利回りと予想配当成長率から推計)はそれほど低下していない。
このような展開を、我々はどう解釈すべきなのだろうか。金融資産の実質リターンは、様々な要因に左右される。人々がどの程度の貯蓄や投資を望んでいるか、どのような資産で貯蓄をしたいと思っているか、金融政策はどう変化するのか、などがその主なところだ。しかも、これらは互いに影響を及ぼし合う。特に、インフレ目標の達成を命じられている中央銀行は、需要が変化したら金融政策の変更でこれに対応しなければならない。
IMFの考察によれば、1980年代と1990年代前半には、金融政策の変化が実質金利に最も大きな影響を及ぼしていた。1990年代後半には、財政引き締めが実質金利低下の最大の原動力になった。また、投資財の価格が消費財のそれに比べて下落したことも大きな要因だった。情報技術(IT)関連製品の相対価格が下落していることは、投資財の相対価格が現在も下がっていることを意味している。
ところが1990年代後半以降、状況は大きく変わってきた。まず新興国で貯蓄率(国内総生産=GDP=に対する貯蓄の比率)が上昇してきている。所得の増加がその主な要因だ。また投資家は、安全と見なされている資産を好み始めた。そしてこれが特に重要なのだが、先般の金融危機の被害に遭った国々では投資が急減し、民間セクターの貯蓄が急増している。
IMFでは、「期間スプレッド(短期金利と長期金利の差)」が縮小していないとの理由から、インフレリスクの低減は長期金利の低下に寄与していないと考えている。そして、それよりも重要なのは国ごとの貯蓄と投資の変化がもたらす影響だとしている。
世界全体で見れば、貯蓄と投資の額は等しくなければならない。従って、世界全体の貯蓄率の変化を見ても、「貯蓄過剰(savings glut)」が大きくなっているかどうかについては何も分からない。なお、筆者がここで用いている「貯蓄過剰」とは、計画された貯蓄が計画された投資を上回っている状態のことだ。これが生じているかどうかを教えてくれるのは価格、つまり実質金利の変化だけである。
期間10年の実質金利は1990年代半ばには4%だったが、2000年代の金融危機前は2%で、金融危機後はゼロに近い水準に下がっている。
この急低下の背景には少なくとも2つの要因があった。1つは、高所得国の投資は長らく減少していたものの、新興国では、特に中国では逆に急増していたということ。もう1つは、投資の急増にもかかわらず、新興国では貯蓄率が投資率(GDP比)をも上回る水準に上昇したということだ。その結果、新興国は大量の資本を輸出する側に回った。
また、新興国ではこの資本流出の大半を国が仕切っていた。そして、新興国の政府は「安全」な資産を購入することが多かった。外貨準備を積み上げる時は特にそうだった。このことは、証券投資で高格付け債券の割合が高まったことの説明にもなっている。
要するに、実質金利が大幅に低下したのは、計画された実質貯蓄と投資のバランスが変化したためだった。そしてこれとともに、証券投資における安全資産志向が強まり、2000年以前の株式バブルが崩壊した。高所得の従業員と資本に配分される所得の割合が高所得国で高まったことも、マクロ経済の需要を減退させた。
各国の中央銀行は積極的な金融緩和策でこれに対応し、概して言えば住宅価格の高騰にリンクしていた信用の急拡大を下支えした。そしてアメリカ金融危機が勃発し、住宅価格も信用残高も急降下を演じた。
ローレンス・サマーズ氏が論じているように、高所得国は信用の極端な不安定性を甘受しなければ需要を十分に増加させることができないという、憂慮すべき状況にあるように思われる。
「長期停滞」に入った世界、流れを反転させるには?
これは短期的な物語ではない。「長期停滞(secular stagnation)」という呼び方がしっくりくるように思える。IMFも、実質金利が長期にわたり低水準にとどまる可能性があるとの見方に同意している。各国政府が計画されている財政政策引き締めに固執すれば、確実にそうなるだろう。
中国の投資率が急激に低下すれば、世界の実質金利は一段と低下する必要が出てくるかもしれない。物価上昇率がこれほど低い時には、これは難しい。
では、何がこの状況を反転させられるのだろうか(※金融機関にとってのメリット)。明白な可能性は、相対的に高い期待ROEに牽引され、高所得国の投資が急増することだ。
ここで障害(※金融機関、大手企業にとって)となる問題が3つある。1つは、企業の最高経営責任者(CEO)は長期を見据えた投資に対して報酬を与えられるわけではないこと。もう1つは、投資財が絶え間なく安くなっていることだ。そしてもう1つが、将来が不透明で景気が低迷している時には、企業は理性的に、投資をする前に待とうとすることだ。
また別の可能性は、新興国で貯蓄が大幅に減少することだ。だが、少なくとも原油価格が暴落しない限りは、これはあり得ないように思える。そうなると、残るは高所得国が財政赤字を出し続けるという選択肢だ。理想的には、歳出がインフラに投資されることが望ましい。(※これが彼らの狙い)住宅関連の信用ブームは、それよりはるかにひどい選択肢だ。浪費家への再分配は、まずあり得ないように思える。
インフレ目標の見直しと需要創出が問題に
もし実質金利が実際に長期にわたり低いままであれば、債権者は生活が苦しくなっていくだろう。だが、危機後の財政の運営は、ヒステリックな人たちが思っているよりずっと容易なはずだ。そうした世界において本当に大きな問題は、従来のインフレ目標が低すぎるかもしれないということだ。というのは、従来のインフレ目標では、実質金利が必要なだけ大幅にマイナスになる余地が十分にないからだ。
だが、目先の問題は、世界の潜在供給量を吸い上げるために必要な需要をいかにして生み出すか、だ。
賢明な方法でこのニーズに応えられなかったことが、危機の大きな原因だった。今後も応えることができなければ、景気回復が腰折れするか、あるいは、新たな金融・経済危機を招くことにさえなりかねない。こうした難題がすぐに消え去ると思わない方がいい。これらは半永久的に続く状況のように見える。