こんにちは、蜂助です。
広島県三原市のある三原城は国の史跡になっています。他にもあるかもしれませんが、私はこんな城は初めてしりました。天守閣は陸地側にあるものの、海に向かって船入りを開いており、堀が海に続いているのです。もちろん堀の水は海水です。満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えることから「浮城」とも呼ばれていたそうです。
さらに驚いたことに、この城の天守閣のすぐ脇にJR山陽線と山陽新幹線が通っているのです。いわば、城のど真ん中を鉄道が横切っているのです。

左側が天守閣、新幹線の高架の下に城の石垣が見えます。

さらに


町中のビルの脇に石垣と堀の一部が残されています。ビルが建っているのは、城の敷地内のはずです。
三原城は小早川隆景によって1567年に整備されたと伝えられています。東北の田舎者の私から見ると、こんな大切な史跡のど真ん中に鉄道を通してしまうなんていうのは、いかにも関西人という発想だと思います。アンビリーバブル!です。
東日本大震災の「震災遺構」については何回か書いています。私は、下の記事にある宮城県気仙沼市の陸地に打ち上げられた大型漁船は、国が保存と永久の整備費を負担して残すべきだったと考えています。南三陸町の総合防災庁舎や女川町の倒れたビルなどは亡くなった方がたくさんおられるので遺族の気持ちを考えると撤去もやむなしとも思いますが・・・。
日本人は、すぐに物事を忘れる民族なのでなおさら「震災遺構」を残すべきだと思います。
【河北新報 10月20日朝刊からコピー】
共徳丸 消えゆく船体 気仙沼・解体作業大詰め
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10月19日 船体の大半が切り取られた
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10月9日 船首と船尾の切断が完了
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9月25日 船首の上部が取り外された
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9月3日 解体前
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東日本大震災の津波で宮城県気仙沼市の内陸部に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(330トン)の解体が大詰めを迎えている。現場が19日、報道陣に公開された。
解体作業は9月9日に始まり、全工程の8割が終了。全長50メートルあった船体は船首と船尾部分が切断され約30メートルに、高さも約2メートルになった。約10人の作業員が連日、船倉を重機で砕き、リサイクルに回す部品と廃棄物とに分別している。
解体工事は19日に完了する予定だったが、分別に時間を要したり、台風で中断したりして1週間ほど遅れた。本体解体は22日ごろに完了し、月末には撤去される。
作業を請け負った北海道室蘭市のNPO法人「シップリサイクル室蘭」の清水一道理事長は「撤去完了まであと少し。環境と安全に配慮しながら、気を引き締めてやっていきたい」と話した。
=写真部・震災取材班撮影=