昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

皇室廃止論

2015-01-09 20:35:33 | 国際・政治

オカブが憲法改正論者であることは以前のエントリーでも書いた。
しかし、ここでアナーキスト、極左、反日、売国奴の誹りを覚悟の上で発言すればオカブは「皇室廃止論者」である。
憲法改正と皇室廃止を同一人物が述べ立てることに、現代のいわゆる保守・革新、左右のカテゴライズ、さらには「ウヨ・サヨ論争」の虚しさの実態が浮かび上がってくるのだが、それはさておいてオカブは従来のカテゴリーの右でも左でもない。よくリベラルの連中や、自称真正保守の連中が、自分は「右でも左でもない」と唱えるが、それとはちょっとニュアンスが違う。
オカブは古臭い政治概念の「右・左」に自分が取り込まれないことを自覚し、その右・左、保守・革新のレッテル貼りに飽き飽きしているのである。
話が本題からずれたが、オカブは皇室とは本質的に現代でも極めて政治的なツールであると認識している。
そして、明治絶対主義政治制度から敗戦後、今上まで、天皇制はそれが論者によってネガティブととらえられようとポジティブととらえられようと、日本人の国民意識・アイデンテティを保持するうえで極めて有効な政治的ツールとして機能してきたと認識している。
しかし皇室が「有効な政治的ツール」として機能したのは今上までであろう。天皇制は伝統的統治の正当性の本質であった。
今上が崩御され、東宮・東宮妃が天皇・皇后として即位して皇室は有効な政治的ツールとして機能しうるかははなはだ疑問である。
おそらく天皇をいまだ現人神として敬っている人々は、日本人口の一割程度いると推測している。東宮が即位すればこれらの人のアイデンティは崩壊するであろう。
そして女性週刊誌から皇室情報を得ていた人々のほとんども日本人としてのアイデンテティが崩壊するであろう。
ゴシップネタ的な話題は各メディアを参照していただくとして、女性週刊誌から、ネットから散々叩かれてきた、東宮・東宮妃、およびその息女が日本の象徴たる天皇一家に即位して、どうして皇室が日本の象徴としての尊厳が保たれるのであろうか?
そもそも、明治以降、国民(臣民)と天皇の紐帯は天皇のパーソナリティによって保たれてきた。英君といわれる明治天皇が死の床につかれたとき、病気平癒を祈る人々で二重橋前はあふれたという。そして崩御となったとき追悼を捧げる人々で、また二重橋前は一杯になった。しかし、大正天皇の崩御の時そのような事態が起こっただろうか?あれだけ現代史に重要な役割を果たした昭和天皇の崩御の時そのような事態が起こっただろうか?
伝統的統治の正当性とは言いながら、反面、日本人の意識内にある天皇像のパーソナリティから外れる天皇は国民の求心力とはならなかったのである。最も理想の天皇像から遠い帝徳のない(オカブの主観)東宮一家が即位すれば、日本人のアイデンテティは雲散霧消すると思う。おそらく、日本人の国民意識はこの東宮即位によって八つ裂きにされるであろう。
もはや皇室が権威を失うのは目に見えている。それは国民国家の瓦解につながる。
この際、今上が崩御した時点でもう皇室は廃止しなさいとオカブは声を大にして言いたい。

さて、その後であるがオカブは、大統領制・共和制を夢見ている。
日本が市民革命を経験していないとはよく論者の中で言われることであるが、オカブはそのことが現代日本の最大の癌であると思っている。象徴天皇制という曖昧模糊とした統治形態に頼り、共産勢力の意図も入っているとも言われているGHQ憲法を押し頂く日本に未来はない。すなわち日本国民は民衆レベルで国造りに携わった経験を歴史上持ち合わせないのである。自主憲法制定議論を端緒として、ぜひ日本国民の意思を反映しした国家の造営と国家の運営を行いたい。天皇制という土俗的な因習が日本の近代国民主権国家としての成熟を妨げているのである。
しかも議員内閣制は意思決定の迅速さを求められる現代国際社会では極めて不効率なものである。全面的にとは言わないが、見習うべきはアメリカ政体である。大統領の権限を強め、意思決定の迅速化を推進する。ど素人の議員大臣を排して、その道のプロフェッショナルを省庁のトップに据える。官僚群もスポイリングシステムを採用して流動化を加速する。その上で、権力の暴走を議会がチェックする。これこそが閉塞化した、オリのたまった日本を再生し生き残る道である。しかし、アメリカに倣ってはいけないのは、主権の所在である。国家主権はあくまでも国民に帰属しなければならない。
以上の求められる将来の日本の政体はオカブの私見である。最も重要なのは、国民全員が国家の根本になる憲法、政体、国家権力の生成に参加し、その後主体的に国家をコントロールできる状態を作り出すことである。これは地方自治にも言える。もはや根拠薄弱な天皇を日本国の象徴として仰ぐのは前近代的であり、そのままにしておけば実質的に近い将来、政治の混乱と停滞、国民の政治への無関心を招くだろう。
日本には真の近代国民国家としての道を歩んでほしい。
このことに反論が巻き起こるのは大いに結構なことである。大いに議論していただきたい。オカブは一石を投じたに過ぎない。

話は大きく変わるが今日の晩御飯のおかずはお刺身であった。美味かった。ご馳走と言うなかれ。すべてスーパー閉店間際に買ってきた半額物ばかりである。ああ美味しかった。

滅ぶ惧れおおかり寒のうち   素閑





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