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昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

余寒

2019-02-18 15:50:34 | 俳句

親しき中にも礼儀ありと言われる。
その通りだと思う。
家の中では妻のことを面白半分にけなしている。
別に悪気はない。
情愛なかばの悪口である。
しかしかーたんはそれでひどく傷つくらしい。
真剣になって言い返してくる。
莫逆の友という言葉もある。
しかし我々、夫婦の間では当てはまらない。
マーク・トゥウェインが「女を擁護するのは簡単だ。しかし貶し、からかっていたほうがよほど面白い」という言葉を残している。
フェミニストではないオカブはそれに大賛成だが、家の中では大人しくして、かーたんを大切にしよう。

北向きの部屋の余寒や目板塀   素閑

採り尽くし葱の畑の余寒かな   素閑

星空に浮かぶ余寒や夢の里   素閑

方丈に座る無想の余寒かな   素閑

平らかに広がる大地余寒かな   素閑

臈たけたにょせうもくさめ余寒かな   素閑

すり硝子余寒の侘びしき光かな   素閑

人あまた駅のホームの余寒かな   素閑

病妻の枕辺語る余寒かな   素閑

ろくでなし罵り追わる余寒かな   素閑

阿弥陀仏やわらかき顔余寒かな   素閑


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海苔

2019-02-18 00:17:59 | 俳句

北海道はニセコの土地がブームだという。
外国人が手広く土地を買い漁って別荘やリゾート施設を建てているという。
オカブがニセコに行ったのは、もう60年近く前だが、倶知安の何もない駅とイワオヌプリ、チセヌプリという山に登った記憶しかない。
とにかく、60年前のニセコには何もなかったのだ。
そこが賑わっているというのは、ご同慶の至りだが、ニセコの何がそんなにいいんだろう?
中国人などの外国人にとっては、スキーをするのに北海道のパウダースノーは夢のような存在らしい。
それで、彼らをニセコに惹き付ける。
なぜニセコでなければいけないかは措いておいて、北海道の土地全体が外国人に買い漁られているという。
安全保障上の問題もあり!という物騒な話もある。
実際上、日本人が立ち入れない地域もあるという。
まあ、穏便に済めばそれに越したことはない。

おもゆれど海苔のかほるは尼僧寺   素閑

紅白に黒の混じるや海苔の膳   素閑

朝ぼらけ日昇る浦の海苔の嶋   素閑

大騒ぎ海苔のしけりに妻たちが   素閑

海苔に酒かぶらとしをのけふの膳   素閑

海苔の飯醤油の一滴たらしけり   素閑

早暁や越後の宿の海苔の箱   素閑

興ずるに海苔の絡まる老ひた舌   素閑

老ゆる人海苔を一枚齧りけり   素閑

明けの空海苔焼くくりや郷の家   素閑

大利根の水上の旅海苔の朝   素閑


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安吾忌

2019-02-17 09:33:05 | 俳句

中世を暗黒時代と呼んだのは誰だろうか?
もちろん西欧の中世のことである。
このことに関しては、多くの反論が歴史家などからなされている。
この誤解は中世がローマンカトリック教会の呪縛によって雁字搦めにされ、まったく文化の不毛の時代だったという事実誤認からきている。
しかし、実際には中世は豊かな文化が花開いていた。
吟遊詩人や工匠詩人、恋の詩人。騎士文学。シモーネ・マルティーニらの画家。城塞・教会建築とそれにまつわる彫刻芸術。中世独自の音楽。果ては艶笑譚までありとあらゆる文化の宝庫だった。
決して華やかな後代のルネサンスに劣るものではない。
しかも、その文化はカトリック倫理に基づく画一的なものだけではなく、退廃的な芸術すら含まれていた。
時間と能力と体力が残されていたなら、ヨーロッパ中世を研究してみたいという誘惑も起きないことはない。

安吾忌やただくれなひの夕の空   素閑

発つ友に荒れるさかずき安吾の忌   素閑

かりそめの恋もありぬる安吾の忌   素閑

煤り濃し雨を待たれよ安吾の忌   素閑

葬祭の列に小雨や安吾の忌   素閑

起きさうもない事を言う安吾の忌   素閑

あたたかきことも冷たし安吾の忌   素閑

良妻も悪妻もおんな安吾の忌   素閑

夕支度ふとけふ想ひ安吾の忌   素閑

九つの子の行く末や安吾の忌   素閑

踏み染めし川辺の坂や安吾の忌   素閑


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2019-02-16 14:00:48 | 俳句

武田家というと武田信玄の武田である。
信玄が戦に滅法強かったので、その印象があまりに強いが、また武田家は画才に秀でた諸将を輩出したことでも知られている。
信玄自身も『渡来天神図』など優れた作品を残している。
また信玄の弟、逍遥軒信廉などは名品として知られる『武田信虎像』をものしている。
戦国武将はただ戦が強い荒大名だけでは、国治も外政もままならなかったわけだ。
武田信虎はご存知のように信玄を疎んじたため、信玄に放逐され京に上った。
そこで足利義昭の同朋衆(お伽衆)として扶持を得る。
信虎も近国を切り従えて相当な武将だったが、唯々諾々とこのような晩年を過ごしたのは興味深い。
人間の運命は分からないものである。

染まりゆく白き梅花よ朝の園   素閑

楼上のあふるる梅の迷える香   素閑

さらばへていずれかぐはし梅の花   素閑

かそけくも梅一輪に月の出や   素閑

興亡しいまは廃れぬ梅の城   素閑

狂歌詠みそれもかなわず梅の花   素閑

あきなはれ梅一枝の涙かな   素閑

梅が枝のところ寂しい賤の庭   素閑

梅盗む心ありけり小若衆   素閑

梅老ひて木曾の檜も劣りせじ   素閑

梅を見ゆ今日碧なすあけの空   素閑


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2019-02-15 18:00:28 | 俳句

スポーツが嫌いだ。
スポーツが嫌いと言うよりスポーツが苦手だ。
音楽も苦手だ。
こう言うとなんだが、オカブは時間に密接に結びついた物事が大の苦手だ。
だから、スポーツのテンポに乗った動作や、絶妙のタイミングでのシュートやパスなど全く別の世界だ。
音楽もまた、リズムがまったく取れない。
静的なものしかできないのである。
どうしたものか?
そこで、オカブは時間とあまりかかわりのない登山という「スポーツ」を選んだ。
これは、非常に楽だった。
一面で体力的には苦行に近いものもあったが。
しかし最近では「登山」の一分野のクライミングでは一秒を競う競技が行われている。
多くの人があれは「登山」とは見做さないが、なんとなく釈然としない。
そこで登山もやめて、家に引きこもっている。
なんとも扱いようのない爺である。

うそなくや暮れるまでなけなき告げよ   素閑

ここの地に幾年住みたる鷽なけり   素閑

ひそやかに四方に響くうその声   素閑

あずまやにうその来たれる丘の家   素閑

やまひえて床の端よりうそのなく   素閑

春なれどつぼみばかりのうその庭   素閑

枯れたるも華やぎしかなうその庭   素閑

通せんぼ子らのかひなにうその鳴く  素閑

家閉ざす鉱山の街うそなけり   素閑

川波の岸に向けてやうそなけり   素閑

死に行ける女の絶唱うそなけり   素閑


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猫柳

2019-02-14 16:28:34 | 俳句

どうもこの世に期待しすぎるのは考え物のようだ。
それこそ「地に働けば角が立つ、情に掉させば流される」である。
世の中とはそんなものである。
それを、あたかもこの世は理想主義の天国であるべきだ、あるいは理想主義を実現しなければならない、と考えている向きがあるようだ。
しかし、そんなところは無い。
あったとしたら、そんなに住みにくいところは無いだろう。
でも、本気で考えているのかどうか知らないが、その理屈を力で圧してくるから、ありとあらゆるところで軋轢が生じる。
それは家庭や学校などの身近なところから、国会などの政治、国家間の国際関係など多岐にわたっている(会社はさすがに金を儲けるためには汚いこともしなければならないという現実主義が染みわたっているから、そんなことは少ない)。
そこで連中は美辞麗句のお題目を並べ立て、理想主義を振り回す。
そんなことには付き合わなくてよい。
「とかくこの世は生きにくい」ということで詩が生まれ芸術が生まれるということで納得しておけばよいのである。

猫柳雪消の藁家田の端に   素閑

猫柳孫の自慢の同級生   素閑

猫柳早きあしたの礼拝や   素閑

木はいまだはだかのままの猫柳   素閑

猫柳花屋に挿したる二三本   素閑

猫柳峻厳なるかな一ノ倉   素閑

猫柳静かな朝のガラス瓶   素閑

野の仏露地に挿したる猫柳   素閑

猫柳心折れたる青き雲   素閑

音程も狂えるワルツ猫柳   素閑

猫柳三十匹の子を連れて   素閑


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山焼く

2019-02-13 16:41:12 | 俳句

北に行けば寒くなる。
南に行けば暑くなる。
北半球の常識だ。
しかし最近その理屈が通用しなくなっている。
北の果ての北海道が夏に極端に暑くなっている。
それに対して南の沖縄はそれほどでもなく、夏が北海道より涼しくなっている時もある。
異常な現象だ。
エルニーニョのなせる業か、はたまた地球温暖化の結果か?
しかし京都議定書の話題・議論はどこに行ってしまったのでしょうねえ?

山焼けり遠き紅蓮の幻か   素閑

老荘も知らねどつとに山焼けり   素閑

ほの白く雨もけぶるや山焼けり   素閑

田の向こふ常念の前山を焼く   素閑

山焼くや野辺の仏の煙かな   素閑

山焼くや江戸より望む奥相模   素閑

山焼くや炮烙の豆煙りあげ   素閑

青き空木造校舎に山焼けり   素閑

トンネルを出ると山焼く煙かな   素閑

剛たるや山火の燃ゆる巌の鼻   素閑

山焼くや白き仙女の化身かな   素閑


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薄氷

2019-02-12 16:42:36 | 俳句

浪費は良くないと分かっている。
散在したくとも、元手がないのでできない。
しかし、わずかなものでも手許にあると使ってしまう。
人間の本性である。
どうしても、やってはいけないと分かっていてもやってしまう。
中毒のようなものである。
オカブはギャンブルは絶対にやらないが、パチンコにはまる人の気持ちも分からないではない。
あれは一度はまると、絶対に抜け出せないだろう。
だからやらない。
やらなくても貧乏から抜け出せない。
稼ぎがないくせに浪費していれば当たり前である。

しほの香はうすらひはれる里までも   素閑

薄氷ともに旅するみちのく路   素閑

山里にほのか日の照る薄氷   素閑

子の帰り待ちて夕餉か薄氷   素閑

窓の辺に鈍き明かりや薄氷   素閑

村はずれ祖霊も眠り薄氷   素閑

野の仏供える陶片薄氷   素閑

薄氷とにも出にくくひとり酒   素閑

峠道逆修の塔に薄氷   素閑

うすらいに梅のこぼるる或る日かな   素閑

薄氷娘泣く泣く帰りけり   素閑


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春泥

2019-02-11 15:25:08 | 俳句

「MBA」といういわゆる資格がある。
実は「資格」でもなんでもなく米国の大学の「経営学修士」という単なる学位なのだが、一時、企業幹部になるには、この学位が必須と言われていた。
しかしスティーブ・ジョブスも、ビル・ゲイツも、ザッカーバーグもこの学位を持っていない。
数十年前になるが、オカブが漠然とアメリカン・ドリームに憧れて、米国留学しMBAを取りたいなどと夢想していたころ、取引先の米企業の幹部から、MBAの学位は金融にしか役に立たないからやめておけ、と言われた。
確かに、その通りだ。
現実のビジネスで成功する、特に起業に成功するには、経営大学院に行くよりも、ドア・ツー・ドアのセールスで汗をかいたり、プログラミングを必死に勉強したりするほうがよほど役に立つ。
まあ、何事にも王道はないということだ。

春泥に傘と菜の束市の路   素閑

とろとろと馬曳く荷駄や春の泥   素閑

泥まみゆ村のはずれに春の刻   素閑

おくれ毛もおきて急ぐや春の泥   素閑

花のみが春とも言えず泥の色   素閑

春泥や汽車の音する田んぼみち   素閑

春の泥梅の一枝手折りけり   素閑

春の泥背戸の林に柴拾ひ   素閑

春の泥山に囲まる三軒家   素閑

やり込めた相手が春泥かへしけり   素閑

紅白に山彩るる春泥や   素閑


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京菜

2019-02-10 15:51:53 | 俳句

もう、既に何回もご紹介した。
しかし今年もこの季節がやってきた。
京菜である。
我が家にとっては、これを食って初めて春が訪れを告げる。
調理は簡単である。
大量の京菜(一束)を洗ってザクザク切って、豚肉とともに割り下で鍋で煮る。
生煮えのところをバリバリ喰う。
春の精気をもろに喰らっているかのようだ。
これも何回も申し上げたが、この料理はサントリー・ローヤルの広告に「すき焼き」として掲載されていたものである。
昔は広告・宣伝でも乙なものがあったものである。

ありありと京菜の煮ゆる益子鍋   素閑

先のこと思ふも疎し京菜煮る   素閑

井の水をざぶりと洗う京菜かな   素閑

新たなる季節を喰えり京菜鍋   素閑

三日月に京菜の映ゆる今日の宵   素閑

京菜切る二寸のまな板あふれけり   素閑

初京菜青くすぐれて貴しや   素閑

初京菜雨に小雪の混じりたる   素閑

煮もうせど生にて喰えり京菜かな   素閑

妻を見て破顔一笑京菜鍋   素閑

青きこと命にもゆる京菜かな   素閑


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